自分がいなくても回り続ける場

「自分がいなくても回り続ける場」を作るという新しい目標ができた。これは自分がアーティストとして活動する中で、様々な経験を経て辿り着いた答えだ。昔からそのようなシステムが良いのかもしれないと思ってはいたのだけれど、自分がアーティストであるという意識が強すぎて中々その拘りを捨て去ることができなかった。

アーティストとしては制作をできるだけ自分の手で全て行いたいという欲望があり、チームを作ってからはメンバーにタスクを任せたりもしていたけれど、実際には完全に任せきることはできていなかったように思う。ゴール、ヴィジョン、コンセプトを作って実行していくというのが自分の中心的な役割だと思う一方で、指示出しについては細かく指示を出しすぎていた。もちろんそれはクオリティを上げるという意味において必ずしも悪いことではないのだけれど、どこかに隙を作ったり、遊びどころは残しておくべきだ。そうしないと任された人にとっては、そのタスクは機械のようにただ処理するだけのものになってしまう。それでは結局自分の想像を超えるものにはならないし、何より他の人の色が出ないならチームでやっている意味がない。教育という意味においても、リーダーのポジションにいる人間がやり過ぎてしまうと他の人間が育たない。

またAnrealmsはチーム活動だから、全員の意見があらゆる場面で一致していなければならないという意識が強すぎた。一方でCross Media Artsはソロ活動だから、全て一人でやらなければならないという意識が強すぎた。チームだからといって、全てが一致した状態で進まなければならないわけではないし、ソロだからといって、他の人に協力してもらってはいけないわけではない。さらに言えばそれぞれのやり方を極端に切り分けてやる必要もない。特にリーダー、ディレクター、プロデューサーという視点で見ると、制作を全て自分一人でやろうとすることの問題点が分かるし、その限界も見えてくる。

人が思ったように動かない場合は、それを含めて自分の実力不足と考えるべきだ。人を巻き込んでいかなければ大きなことはできないし、継続的にプロジェクトを進めていくためには、人間関係の問題は常に避けられない問題だ。人間関係の問題で言えば「対等」、「平等」という名のTakerという記事で書いたようなGiver、Matcher、Takerの問題は常にある。全てが自分の問題と考えることは、Takerにつけ込まれる隙を作ってしまう。というよりもその態度によって、Takerではなかった人間をTakerにしてしまう可能性すらある。究極的には出会いも含めて全ては自分の責任とも考えられるが、一方でそのメタ視点を取り払い、明らかに自分の責任でないものはそうでない、という切り分けをすることも自己防衛手段として大切だ。

これらの問題意識を総合した上で解決策を端的に示すと、最初に述べた「自分がいなくても回り続ける場」を作るということになる。これを実現するためにはまず、人は快楽の感情によってしか動かないので、そこを刺激するような巻き込み方をしていく必要がある。またその場には自分だけではなく、巻き込まれる人間を含めた全員のゴールが全て入ってしまう程の巨大なゴールがなければならない。ゴールは磁場であり、その磁力の強さはゴールの大きさに比例するからだ。空き家の話で言えば制作も運営もしていくが、それは必ずしもチームのメンバーだけが独占してやっていく必要はないと思っている。自分たちの理想の場を作る、拠点を作るという意識が強かったけれど、多拠点居住のような方法でも良いし、拠点が日本だけである必要もない。またアウトソーシングには金銭が必要に思えるが、クラウドファンディングなどの方法を考えれば、必ずしも金銭が問題になるとも限らない。

最後に一番重要なのは何があっても自分の色を薄めてはいけないということだ。自分の中のレイヤーは複数あるべきだが、その深層のレイヤーの色は自分だけの色であり、その色は周囲に合わせて薄めるべきではない。むしろ逆に自分の色は濃くしていくべきだ。周囲の無理解が続くことによって、元々その人が持っていた素晴らしい色を薄めてしまう人もいるが、その必要は全くない。その代わりにレイヤーの層を増やし、表層をクリアにすることを目指すべきだ。それは周囲に合わせて自分を下げるのではなく、むしろ自分をさらに上げることによってしか達成できない。そうすることによって孤立化を防ぎつつも、自分の核となる部分を曲げずに生きることができる。その場合は自分の環境も自分に合ったものに変わるだろうし、理解し合えない状況でも違うレイヤーで対応することで、問題が起こらないようになるはずだ。これはTwitterで言及したコミュニケーションの方法の話とも繋がっている。

このように「1人にn回」と「n人に1回」という別タイプのコミュニケーションの両軸を持つことで、より重要な一次情報に触れる機会が増え、自分の成長にも繋がる。「1人にn回」と「n人に1回」の方法は両方試したことがあるけれど、どちらにも満足できず、結局自分の元々の性質に近い「1人にn回」を重視して人間関係を閉じていた。しかし、この両軸をバランス良く持つということは実践してこなかったので、これからはそれを実践するに伴って、あらゆる意味で違う景色が見えてきそうだ。自分の次の目標が見えてきたことで、このように今までの人生においてどうしても克服できなかった問題の答えがようやく見えてきた気がする。今までもピラミッドを建てては壊し、壊しては建てを無限に繰り返してきたが、今回はかなり深い土台の部分から作り直している感覚があるので、次に経つ建築物はもっと丈夫で、高い場所まで到達できそうだ。

去る者は追わず来る者は拒まず

今日は祖父の三回忌だった。釈迦の言う初期仏教の教え、特に空と縁起については素晴らしいと思うが、日本の仏教、特に墓守ビジネスと化した仏教には基本的に全く興味がない。ただ日本では宗教と呼ばれない宗教が色濃く残っているので、それを主張しても面倒なことになる場合が多い。しかし、今回寺の住職から聞いた話で興味深かったことは、現在は檀家制度も形骸化しつつあり、墓じまいをする檀家も増えてきているということだ。

そもそも檀家制度の始まりは家制度と深い結びつきがあり、江戸時代の寺請制度がその起源と言える。これは江戸幕府がキリシタンの迫害、踏み絵として寺請制度を使用し、檀家にしてしまうことでキリスト教を信仰していないことを証明させたものだ。しかし、今日ではその起源も忘れ去られ、仏教としては完全に形骸化した上で檀家制度だけがゾンビのように残されている。墓じまいをするにしても様々な局面で莫大な料金がかかる場合もあるらしいが、その金額に関してはかなり恣意的に運用されており、ほとんど実態のない言い値状態になっている。「千の風になって」の「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」という歌詞に対するリアリティが大きくなっている現代社会において、檀家制度の崩壊とその変容は時代を反映していると言えるだろう。

それと同時に本日をもってAnrealmsのメンバーであったAuremelが脱退し、チームがNIL、Konosuke、Jの3人になった。詳細は入り組んでいるのでここで書くことはしないが、彼は今後ソロの音楽活動に専念したいということで、基本的には自己都合での脱退ということになる。2度の話し合いの結果様々な可能性が検討されたが、現段階で脱退することが双方の将来にとって良いと判断した。

自分としては直近の2ヶ月ほどこの脱退問題で色々揺れていた面があり、個人的にもAnrealmsとしてもプロジェクトを一時休止しているような状態が続いていた。今回このメンバーの脱退という決定があったことで、それらについては再稼働していくことが可能になり、個人的な肩の荷も下りた。チームを優先して海外の活動やソロ活動を後回しにしていた面もあるので、その配分は今後変えてみようかと思う。また、LLP設立に関しては一旦延期して保留するなど幾つかのプロジェクトに関しての変更事項はあるが、基本的にはやることは変わらず、チームとしてはそのまま存続していくことになる。以前書いた「「対等」、「平等」という名のTaker」「オープンとクローズドのレイヤー」など今後特に改善していきたい面もあり、Anrealmsの実験はこれからも続いていくことになるが、「去る者は追わず来る者は拒まず」という基本的な精神は今後も大切にしていきたい。

オープンとクローズドのレイヤー

オープンソースはソースコードを公開することが核となる概念だが、元々これはフリーソフトウェアから発展してきた概念だ。フリーソフトウェアはフリーウェアとは違い、必ずしも無償であることが定義に入っているわけではなく、自由という概念に最も重きを置いた概念である。オープンソースにも幾つかの定義があり、通常はそれらを満たすものをオープンソースと呼んでいるわけだが、フリーソフトウェアとの違いはそのブランディング戦略にある。

過去にはビジネスにおいて無償という意味のフリーは邪魔になるなるものと考えられていて、その自由さのメリットを強調したとしてもフリーソフトウェアは敬遠される傾向にあった。少し前にはフリーミアムという言葉が流行り、無償を基盤としたビジネスモデルが構築された。それは「フリー」 + 「プレミアム」ということで、負担の分配比率をサービス内容に合わせて完全に変えることで、無償という概念をビジネスに持ち込んだものだ。これは誰かが誰かの負担を余分に背負うモデルという意味では、負担の総量としては変わらないのだけれど、マネタイズする上でビジネスの定番モデルになったことで、今ではフリーに対するビジネス利用の抵抗感は減っている。しかし、フリーソフトウェアやオープンソースはそれ以前の話なので、そういった意味ではブランディング戦略の一環としてオープンソースが必要とされたと考えられる。

オープンであることとクローズドであることは、結局はメンバーシップの問題に帰着する。誰が利益を得られ、得られないかの線引き問題こそ、誰がメンバーなのかという問題であるからだ。その線引きは多様なレイヤーを保ったまま、少人数の流動的な共同体へと帰着していく。その流れはSNSの流れとも一致しており、巨大になったSNSがグループ機能などを実装し始めているのもその流れの中にある。ここでは誰がその情報を目にし、誰にその情報を流さないのかという細部のコントロールが重要になってくる。家族や国家という共同体は考えてみれば奇妙なもので、家族は血の繋がりによる線引きであり、国家は場所による線引きという一見全く恣意的に見えるメンバーシップの選別方法を持っているわけだが、これらが未だに強固な力を発揮しているというのは刮目すべき事実だ。

個人的には自分のソロ活動とチーム活動はオープンであり、クローズドであるという一見矛盾する2つのレイヤーが内包されていることが重要だと思っている。それは核となる役割を担う「コアなメンバー」とその周囲を覆う流動的で補助的な役割を担う「ゆるやかなメンバー」の2つのレイヤーということになる。その「コアなメンバー」は絶えず「ゆるやかなメンバー」や社会とのレッドオーシャンの競争にさらされながら、ブルーオーシャンを追求していくようなイメージになる。そういう意味で「コアなメンバー」ですら「ゆるやかなメンバー」と交代するような一定の圧力、新陳代謝は必要になる。自分のソロ活動に関してもこの考え方は適用できて、中心的な仕事をやるのは自分で良いし、中心となる名義も自分のクレジットで出して良いが、全てを自分だけでやる必要はなくて、その外部を「ゆるやかなメンバー」が覆っていることは重要に思う。具体的に言えばコンセプトや核となる部分の制作は自分でやるが、専門性の高い部分や、宣伝、販売などは「ゆるやかなメンバー」に任せるというようなアウトソーシングだ。その「コアなメンバー」の人数と役割が拡張されたものがチームであり、そこにもそのチームを覆う「ゆるやかなメンバー」がいるのが理想的だ。

例えばAppleは元々新製品に関する情報の厳密な箝口令が敷かれる体制があり、販売方法もカスタマイズ性を抑えてAppleの思うベストな選択肢提示するようなクローズドなシステムになっていた。Googleは最初はオープンだったかもしれないが、Xでやっているようなプロジェクトに関しては完全にクローズドなシステムになっている。そういった流れの中で、オープンとクローズドのバランスを取るためにはその異なるレイヤーが同時に存在していることが重要である。ソロ活動とチーム活動に関してはオープンであるということに対してもう少しできることがあると感じ始めているので、そういう意味でこれから自分のソロ活動とチーム活動を変革していきたい。

空き家とMastodon: コンテンツとプラットフォームの関係性について

空き家の件でKonosukeと一緒に川越に行ってきた。詳しいことは決まっていないからまだ書けないけれど、近いうちに移住することになりそう。レジデンス、リノベの話はかなり具体的な話になり、家主さんも素晴らしく協力的な人で助かった。「何でも好きにやってくれて良いですよ」という言葉はアーティストにとっては本当にありがたい言葉で、プラットフォームを持つ側の人間として理想的な対応をしてもらった。また金銭的にも移住する前に少し貯める必要があるけれど、初期費用はなしで、維持費としてもかなり破格の提案があった。Anrealmsと「蔵と現代美術展実行委員会」も互いに不足している部分、必要な部分が噛み合っているのでこれから協力的にプロジェクトを進めていきたい。まずは手始めに一緒に「川越市提案型協働事業補助金」に対して申請書を出し、プレゼンに参加することになっている。締め切りまで既に一週間を切っているけれど、何とかなるだろう。個人的にも「蔵と現代美術5回展2017」─響き合う空間─にも応募して出展しようと思っている。レジデンスとリノベの計画を立てることで移住の時期も大体決まってきたから、仮にその前にLLP設立をするなら印鑑制作の時期も明確化するし、全てが目的に向けて研ぎ澄まされてきた。

これらのプロジェクトに関しては具体的には2020年の東京オリンピックが一つの区切りで、そこで世界に対して何が提供できるかが重要になる。東京オリンピックに対する反応としては、大別すると反対、無関心、賛成になるが、個人的にはどの立場にも違和感がある。まず反対に対しては今更反対したところで決まったのだからやるしかない。無関心に関してはそれはそれで良いのだけれど、日本が世界に注目されるイベントなので何もしないのはもったいない。賛成に対してはそもそもオリンピックは人間に順位を付けられるという間違った意味でのヒエラルキーを助長している面があり、経済効果重視で環境破壊などをしていることを考えるとそのまま乗っかっていくことには違和感を覚える。もちろんオリンピックは競技者のためのものでもあるが、その裏側の実態はグローバリズム = 経済のロジックによるイベントという側面が大きい。アーティストとしての立場で言えば、恐らくメディアアートは広告代理店などの支援を得ながら大々的に商業のロジックに乗っかったトリックアート的なものを繰り広げていくのだろうが、その根本のヒエラルキーに疑いを持たないアートは歴史的にみても、ハッキングとしても物足りない。アートは本質的に神殺しの儀式であるので、神 = 幻影を強化するのはどちらかと言えばデザインの仕事だ。そういう意味で、自分としては自分の拠点を持ちながら、ただ反対するわけでも、無関心なわけでも、賛成するわけでもない、代案としてのコンテンツを拠点としてのプラットフォームを持った上で展開していきたい。

空き家のプロジェクトはアメリカの大学を卒業後に、日本に戻ってきてすぐ、つまり2年以上前から言っていたことで、Anrealmsを設立する前から個人的にずっと問題意識としてあった。全国的には既に10軒に1軒以上が空き家になっていて、建築は新しく建てるよりもその場所を活かしたままどう活用するかが重要になってきた。また既に施行されている空き家対策特別措置法によって、空き家をそのまま放置していると固定資産税が6倍になるリスクもある。少子高齢化社会において問題なのは、少子化ではなく高齢化だ。高齢者が金や資源を独占していて、若い世代は彼らを支えなければならない上に、新しいことをやろうとしても元手が足りないという問題がある。その意味で言えば、空き家というのは若い世代にとっては活用するべき資源であり、宝の山になり得る。

従来からプラットフォーム側がコンテンツを作ることは行われてきたけれど、コンテンツ側がプラットフォームを運営することは盲点になりがちだ。特にアーティストに関しては、ギャラリーというプラットフォームが展示にとって重要だし、ミュージシャンに関してもライブハウスというプラットフォームに縛られがちだ。これらのプラットフォームにおける貸しギャラリー、チケットノルマなどのシステムの何が問題かというと、展示する側、ライブする側というコンテンツを提供する側がプラットフォームに対する客になりがちだということだ。本来ならコンテンツ提供側がお金をもらうのが健全だけれど、お金を払って展示したり、ライブをしたりというビジネスモデル、制度は健全とは言えない。空き家のプロジェクトはそれを改善するための活動の一環で、コンテンツを作る側が自分自身の活動拠点を持つと同時に、ギャラリー、ライブ、イベント、レジデンスなどの運営活動をしていくことに意味がある。

Mastodonもその流れとの親和性が非常に高いプラットフォームと言える。例えばAnrealmsはSlackというチャットツールをチームのプロジェクトやコミュニケーションに使用している。Slackの良い点はチャンネルごとに話題を設定できるから、それぞれのプロジェクトや話題に応じたチャンネルを自由に作って管理ができることだ。またAnrealmsでは独自に「slacktwitter」というメンバーの個人チャンネルを作っていて、そこでは日常のできごと、思考、作業ログ、気になる情報のシェアなどを含めたゆるやかなコミュニケーションが生まれるようにしている。これによってホウレンソウなどが義務化することなく、誰が何をやっているかが可視化する。そのSlackをクローズドでコアな場とすれば、Mastodonはその性質を保ったまま、オープンでゆるやかな外交を行うといった使い分けが可能になる。今のところは個人の自費でサーバー費用を賄っているのと、サーバーに関しても色々調べながら実質一人で運用している。なのでいつまでインスタンスを継続できるか、不具合がないかなどの保証はできないけれど、できる限りで運用していく予定。

印鑑文化に浸る

LLPを設立するためには「代表者印 (会社実印)」が必要で、「銀行印 (会社銀行印)」、「角印 (社印)」と合わせて印鑑3本セットがあった方が良いらしい。印鑑についてはそもそも知らないことが多かったので、色々調べてみた。まず以下のリンクからそれぞれ印影のプレビューが可能みたいなので、試してみた。

「代表者印」

「銀行印」

「角印」

彫刻パターン: 「代表者印」、「銀行印」は通常「回文 + 中文」で彫る。「角印」は通常は「縦彫り」で、文字にアルファベットを含む場合は「横彫り」の方が読みやすい。

開始点の有無: 「代表者印」、「銀行印」の場合は通常開始点を入れるが、この点は文字列がどこから開始するかを示して読みやすくするための点なので、入れなくても問題ない。「角印」は「丸印」と違って開始点は必要ない。

書体: 印影に使用されるメジャーな書体は以下の6種類。

「篆書体」
「印相体 (八方篆書体、吉相体)」
「古印体」
「楷書体」
「行書体」
「隷書体」

「篆書体」は印鑑で最もメジャーな書体かつ、歴史がある書体。読み辛く、複製しにくいという特徴があるため、「代表者印」、「銀行印」などに使用されることが多い。とりあえずこれを選んでおけば間違いはない。「印相体 (八方篆書体、吉相体)」 は「篆書体」の代替として人気のある書体。「篆書体」とは特徴と用途が似ているが、実は他の書体と違って歴史や学術的な根拠がなく、商業的に発展してきたため、「開運印鑑」などの怪しげな商法としても利用される。なので普通に流行してはいるが、積極的に選択する必要はない。「古印体」は「篆書体」、「印相体 (八方篆書体、吉相体)」と違って読みやすいが、複製はしにくいため、「代表者印」、「銀行印」、「角印」のどれでも使用できる汎用性の高い書体。「楷書体」はこの6種類の中では一番知名度が高く、崩しがないために可読性が一番高い。それ故に複製が簡単なので、「代表者印」、「銀行印」などには向かない。「行書体」は「楷書体」を崩した字体で、書道の筆で書かれたような流れる線特徴。これも可読性が高いので、「代表者印」、「銀行印」には向かない。「隷書体」は可読性が高いが、「代表者印」、「銀行印」に使われないこともなく、「古印体」と「楷書体」、「行書体」の間に位置するような立ち位置。印鑑の書体は基本的には自由なので、この6種類から選択する必要はなく自分で書体を制作しても良いし、他の書体を使うことも可能。

中文行数 (彫刻行数): 「代表者印」、「銀行印」の中文行数、「角印」の彫刻行数は一行が大体同じ文字数で、言葉の句切りが良くなるように分けて見栄えを整える。

彫刻名 (回文): 「代表者印」、「銀行印」の回文は通常「会社名 + 会社形態」で彫る。印影としてはLLPの場合、有限責任事業組合とした方が見栄えが良く感じる。

彫刻名 (中文): 「代表者印」 の中文は次の五つのパターンが考えられる。「代表者印」、「代表之印」、「有限責任事業組合員」、「有限責任事業組合員印」、「有限責任事業組合員之印」。後者三つは長過ぎるので却下。前者二つはどちらでも良いが、通常は「代表者印」で問題ない。銀行印の中文は通常「銀行之印」になる。これに関しては以下が参考になる。

会社で必要な印鑑

彫刻名: 「角印」の彫刻名は「会社名 + 会社形態」の後に「之印」、「印」としても良いが、何も書かなくても良い。それらを付けるかどうかは全体の字数と見栄えのバランスによる。

印影サイズ: プレビューでは関係ないが、印影サイズは幾つかのリンクを参考に以下のように決定した。

「代表者印」: 18.0mm
「銀行印」: 16.5mm
「角印」: 21.0mm

印鑑のサイズ選び

印鑑のサイズについて

「角印」 > 「代表者印」 > 「銀行印」の順にワンサイズずつ下がるのがセオリー。全体的に字数が多く、大きくしたい場合は「代表者印」: 21.0mm、「銀行印」: 18.0mm、「角印」: 24.0mmでも良い。登録機関によっては大きさに制限がある場合があるので注意が必要だが、これらのサイズで問題になることはないはず。

最後に日本の印鑑文化について。まず印鑑文化は日本と中国の一部の地域以外では世界的にほぼ普及していない独特のシステム。そもそも「3D Printer」が登場した時点で、複製されることを前提にしていない印鑑文化はセキュリティの面ではかなり脆弱なシステムと言える。これは法整備の問題ではなく、もっと抜本的なシステムの信頼性の問題としてシステム自体を考え直さないといけないはず。印章業界の利権の問題もあるのだろうけれど、本人の意志を確認するという本来の目的に立ち返ればサイン、静脈認証、生体認証などの代替方法は幾らでもある。それぞれの方法には印鑑とは別の問題はあるけれど、セキュリティの面で言えば印鑑よりはましなはず。そもそも文書自体がほとんど電子化した現在、印鑑を使用するということは一回物質として印刷しているということを意味するので、それは資源と時間の無駄にもなる。本来なら必要でない局面で印鑑を押しまくっているという現実もあるし、結構雰囲気とかノリで重要性を醸し出すために何となく押している面もあるんじゃないだろうか。この場合は本来の目的ではなく、印鑑を押すことが自己目的化しているとも言える。また印鑑の種類による重要性に細かくランキングを付けた上で、署名捺印、署名のみ、記名押印、記名のみにもそれぞれ重要度のランク分けがされているという辺りはコントの匂いすら漂ってくる。一方で、印鑑には独自文化として機能を超えた美しさがあり、単純に文字として、物質として、芸術として美しいと思う面もある。とりあえず印鑑については色々調べてみたので、できれば自分たちで制作してみようかなと思っている。

その他役立つリンク

いんかんプチ辞典

お手軽に風変わりな文字体に変換できるジェネレータ-篆書、トンパほか

印相体、開運印鑑の嘘・デタラメ

白舟書体教育漢字版

Negative 2

Anrealmsのメンバー、JがMATLABでアルゴリズム生成したイメージを元に遊びで映像を作ってみた。六つある引数が全て-2の場合なので、タイトルは「Negative 2」。

映像の制作方法としてはまずQuickTime Playerで録画して、Final Cut ProでNegativeのEffectを追加して編集。Logic Proで音作りをする。「Negative 2」を音楽の音程で言う半音二つ分、つまり長2度 (全音) 下がると捉えて何種類かの反復するメロディを違う音色で再現。例えば何オクターヴも全音で下がり続ける、同時に全音を鳴らす、交互に全音を繰り返す、違う音程の全音のペアを鳴らし続けるなど。それらをNegativeにちなんで逆再生する。エフェクト、定位、音量、フェードイン、フェードアウトを調整し、映像と合わせてめでたく出来上がり!

アルゴリズム自体もさらに改良可能だし、興味深い映像が出る数値の法則を研究して出力することも可能。それらのアルゴリズムなどにより精密に従い、映像はAfter Effects、音楽はMaxなどで作り込めばもっと面白いものができるかも。あとはDeepDreamのエンジンを使用したビデオとして作り込んだりしても面白そうかなぁと夢想中。

Anrealms LLP設立への道のり

管轄法務局でLLP登記相談をした時に判明したことと、それを元にリサーチして分かったことをまとめてみる。

1. 必要な提出書面は以下。

・有限責任事業組合契約効力発生登記申請書 1通
・組合契約書 1通
・出資払込金受入証明書 1通
・預金通帳の表紙、表紙の裏面、出資金の入金記載のある部分のコピー 各1通
・印鑑届書 1通
・印鑑証明書 ○通

以下の書面は組合員が法人でない場合は必要がない。

・登記事項証明書 1通
・取締役会議事録 1通
・就任承諾書 1通
・委任状 1通

基本的に有限責任事業組合契約効力発生登記申請書に上記の書面を添付して提出する形になる。これらの書面には完全に決まったフォーマットはなく、自作する必要があるが、絶対的記載事項を含む場合もあるので作成にあたっては注意が必要。出資払込金受入証明書は誰かが代表して出資金の払込みを行っても良く、LLPの場合は最低2円以上必要になる。この書面に添付して提出する、預金通帳の表紙、表紙の裏面、出資金の入金記載のある部分のコピーは出資払込金受入証明書を押した印で契印する必要がある。印鑑届書は管轄法務局でもらうことが可能。これを作成するには代表者実印 = 会社実印と、届出人の市区町村に登録済みの実印が必要になる。この書面に添付して提出する印鑑証明書は実印を届け出た市区町村で取得可能で、各組合員の印鑑証明書が必要。

以前はこれらの書面における書式の実例を記したファイルを法務局で配布していたが、法律上の関係でクレームが付き、配布が中止されてしまったらしい。LLP関連書籍も新会社法が施行される辺りの年が出版のピークで、それ以降は余り出版されていない。なので書籍の場合は根本的な部分は合っていても、細かい部分の記述は法律改正もあって間違っている場合が多いらしい。書式の実例に関しては以下のウェブサイトのリンクが参考になる。

「組合契約書」

「有限責任事業組合 設立書式」

「契約書書式」

2. 登記の事前に法務局で商号調査と事業目的を調べ、被っているものがないかを調査する必要がある。「Anrealms」に関しては被っているものはなかったのでその点は大丈夫。

3. 印鑑は代表者実印を用意する必要がある。登記するにはこの代表者実印と、各組合員の実印があればOKだが、実際にLLPを運営するにあたっては代表者実印、銀行印、角印、ゴム印の四種類があると便利。印鑑は届け出る場所によっても大きさ、材質の規定があり、字体は色々選べるし、印鑑の種類によってもそれらの適切な選び方は異なる。自作するか、依頼して作ってもらうかはコストと手間を比較して決めるのが良さそう。

4. 組合契約書では全ページに組合員全員の実印での割印をする必要がある。組合員が物理的に離れた距離に住んでいる場合は、書面に関しては郵送でやりとりすることになる。また組合契約書を作成して、法務局に提出する際に訂正があった場合には実印か捨印が必要になってくる。その際に実印を提出者に預けることは難しいので、提出に同伴できない組合員の場合はリスクはあるものの捨印をすることで余計な手間が省ける。捨印は相手に訂正の承認を与える意味があるので、悪用すれば改ざんリスクがある。それを防ぐためにはコピーを取得することで訂正前の証拠を残すという方法が考えられる。

5. LLPを登記する場合には登録免許税6万円がかかる。また変更登記の申請にも登録免許税がかかる。何を変更するかによってもかかる金額は変わり、2千円〜6万円の幅がある。これらは変更事項数ではなく申請数に応じてかかる金額なので、変更事項をまとめて申請することによって費用を抑えることが可能。

6. 組合契約書に記載する組合の存続期間については、自動延長規定を規定していても延長される度に変更登記の申請が必要という謎の決まりがある。つまり自動延長といっても、延長の度に変更登記の申請が必要でそれには登録免許税がかかるので、自動延長規定を入れる必然性がほぼ存在しない。そもそもLLPは長期間の継続した活動を想定されていないので、存続期間を定めないといけないけれど、その上限も特に定められていない。存続期間は確定期限ということなので、以下の「時間の比較」のリンクから適当に長くて好きな事象を選んで選択するのも良いかもしれない。例えば「太陽と同程度の質量のブラックホールが蒸発するまでにかかる時間」を参考に、効力発行日から10^66年間とか。その場合はその期間までに以下のことが起こる可能性が高い。存続期間が非現実的なので法務局に修正を求められる、組合員全員が死ぬか、LLPが解散している、法律が改正されてLLPの制度自体がなくなる、組合の存続期間に関する規定が変わる、理論的にその数値が間違いだと証明される、Wikipediaの項目が修正される、人類が滅亡する。なので効力発行日から100年間と定めておけば延長について心配することはほぼなくなる。

「時間の比較」

7. 組合契約書で損益分配について定めない場合は、出資額の割合に沿って損益分配される。出資額とは異なる損益分配の方法を取る場合にはこれを別途定めなければならない。パススルー課税でも損益分配せずに内部留保した金銭についても個人の所得として課税される。つまりパススルー課税は法人税と所得税の二重課税がされないだけであって、内部留保した金銭について課税されないわけではない。

8. 商号・名称において「有限責任事業組合」という文字を名称の前後に付ける必要があるが、それらの間にスペースを入れてはいけない。つまり「Anrealms」の場合は「有限責任事業組合Anrealms」、もしくは「Anrealms有限責任事業組合」とする必要がある。LLPは登記の場合には使用することはできないけれど、書類や名刺などに使用する場合は問題ない。「Anrealms」の場合はメンバーとの話し合いの結果、LLPの場合の語順も考慮して「Anrealms有限責任事業組合」とすることに決定している。

9. 管轄法務局ではLLPの登記申請は年に2件程度しかないらしい。この知名度と活用頻度の低さが書籍とネットの情報不足、提出書面の分かりにくさに繋がっているのかもしれない。

10. 以下はその他の役立つLLP関連リンク

「有限責任事業組合 (LLP) 設立マニュアル」

「有限責任事業組合 (LLP) 制度の創設について」

「商業・法人登記の申請書様式」

「有限責任事業組合契約に関する登記手続」

「有限責任事業組合 (LLP) 設立チェックリスト」

「 有限責任事業組合契約に関する法律」

Anrealmsについて

「Anrealms」の理念については以下のリンクで説明している。

「Anrealms About」

ここでは、その理念を補足的に説明してみる。

まず「Art」、「Science」、「Engineering」、「Design」の四つの思考のフレームワークは対象領域について述べている訳ではなく、異なるフレームワークによよって世界を捉えた時に初めて見えてくる世界があり、これら四つのフレームワークをメンバー一人一人がインストールしており、状況によってそれらを瞬時に切り替えた上で問題提起、問題解決のコミュニケーションを図っていくことが大事ということ。この姿勢が徹底されていない状態で異ジャンルが入り乱れたコラボレーションを行った場合、必ず原理主義者同士の戦争が起こる。異なるフレームワークをインストールする場合はそのフレームワークの原理、思考形態について学び、実証ベースで試し、フィードバックを得るのが一番の近道であるので、その一連のフィードバックループとコラボレーションによる連携でチームとしての強度を獲得していく。

「Collaborative Collective」とは造語に近い言葉だが、「Artist Collective」と「Collaboration」から発想した言葉であり、異なる独自分野を持った個人がコラボレーションしていく共同体を表す言葉として考えた。個人は独自分野を開拓した上で、コレクティブ内外とのコラボレーションをしながら、表現、研究、制作、事業活動までの一連の流れに参加していくことになる。このコレクティブを成立させる上では、それぞれが個人として独立しながらもコラボレーションとしてはただの分業ではなく、どの場面においても主体性を持った活動への参加が重要になってくる。

物質と情報がなめらかになっていく社会とはつまり、エントロピーが極大から極小、極小から極大まで滑らかに移動し、その違いが意識されないような世界観を表す。その社会においては、情報的なデータは一瞬で物理的な物として実装されるし、物理的な物は情報的なデータのように自由に振る舞う。その世界において、ゴールを描くことは大事だが、それを常に固定化することはリスクになってしまう。なので想像力の限界までそのゴールを引き延ばし、その上でその未来から見た文脈、データを集合知的に捉え、マイナーで終わらない次世代のスタンダードを作っていく。「Anrealms」はこの社会実験としての「Alternative」で実験的なシステムであり、その形態はどのような形にも変化して対応していく。

「Anrealms」は「About」に書いてある通り、「An」+「Unreal」+「Realms」という三つの言葉から作られた造語。国民国家という枠組みが緩やかに崩壊しつつある世界的な潮流において、「Google」、「Apple」、「Amazon」などの巨大企業は既に国境を越え、ある点では国家以上の権力を握っているとも言える。その中で「社会」、「会社」、「学校」、「家族」などの既存の共同体も形を変えることが求められ、それは既存の国家像にそのまま従う形のものでは変化のスピードが間に合わず、最悪ハードランディングを迎えるシナリオにもなりかねない。一方で全てが「グローバル化」、「オープン化」していく流れの中、独自の生態系としての「ローカル化」、「クローズド化」の流れも進んできている。その流れの中では「グローバル化」のロジックを取り入れたまま、「ローカル化」で独自の強みを出す。またあるレイヤーでは「オープン化」を促して全てと接続しつつも、あるレイヤーでは「クローズド化」をすることで関係性を切断していくというようなバランス感覚が重要になってくる。この次世代のシステムの提唱と実践が群雄割拠する時代に、現在の感覚からはある意味で非現実的とも言えるような想像力で既存の枠組みを違う角度から捉え、継続的で持続可能な活動を通して理想の場を作っていくという意味が「Anrealms」という名前には込められている。

「Layer」という言葉は様々な文脈で使用されるが、これは最初に述べたような思考のフレームワークと強く関連している。人は無自覚にある一定のフレームワークで世界を捉えているが、その世界の見え方はそのフレームワークを変えた瞬間に一変する。これは色眼鏡と言い換えることもでき、色眼鏡という言葉は先入観という意味で大抵の場合は良くない言葉として使用されるが、大体の人間には既にその先入観は思考のフレームワークとしてインストールされてしまっている。であるならば、それを逆手に取ってその色眼鏡の色を様々な色に付け替え、多様かつ多角的な価値観で世界を眺めることで、今までは排除されてきた異質で特異な価値観もその別の評価軸からは評価できるということもあるはずだ。色眼鏡は複眼とも言い換えられて、個人が複眼で世界を捉えることにより、一見矛盾しているように思える分裂した価値観を同時に持つことが可能になる。この「Layer」的な概念をインストールし、複数の色眼鏡、複眼によって世界を捉えることで、イノベーションの種は作り出すまでもなく、現実に自然と発見されるものに変わる。

「Gestalt Disciplinary」は「Antidisciplinary」的な価値観を「Gestalt」の概念を導入することでアップデートした造語。「Antidisciplinary」つまり「脱専門性」というのは最初のとっかかりである。脱専門をしてスコトーマが外れた直後には、世界の全てがメディアとなり、そこには物質、情報を問わず無限のマテリアル、素材が立ち現れてくるはず。要するに全てのジャンルの枠組みが外れてカオスになり、新しい可能性が開ける。しかし、そこまではただの可能性であって、その後にもう一度そのカオスを独自の関係性で再構築してゲシュタルトを再構築することが重要になる。そこには再帰的に新しい専門性が宿る。「Antidisciplinary」は「脱専門性」を再構築する関係性を生み出す、組み合わせ方の独創性を作る手法という意味で専門性を持つのだから、「脱専門性」という言葉では脱専門した後の専門性の構築に対して言葉足らずになり、学際性という言葉との混同と誤解を生みかねない。最終的に専門性を構築しない場合は学際領域、マルチの世界になり、それが必ずしも有効な方法でないことは多くの乱立する学際系学部などで証明済みなはず。学際領域に関しては素朴な古いパラダイムからの「専門性がない」、「何でもできることは何もできないことと同じ」という攻撃に対する弱点がある。ただ、その古い専門性のパラダイム自体が耐用年数が過ぎていることもまた自明なので、新しいパラダイムは必要とされており、それを「Gestalt Disciplinary」と定義する。要するに今までは深さと広さの問題で三次元的に問題が捉えられており、専門性は深さ、学際性は広さで、深さを極めれば広さも極められる、広さは深さに転じるなどと言われていたが、それらの捉え方、パラダイム自体に限界があるということだ。その両方の視点を極大まで解放した上で次元の違うゲシュタルトの構築の仕方、関係性の構築の仕方こそが重要なんだという問題意識が次のパラダイムとなる。

「Emergent debate democracy」は創発的にアイディア、集合知を集め、それに対して相対的にディベート、熟議で意志決定を下し、最終的に絶対的な創造に辿り着くという創造的な意志決定の方法を表す。創発は無意識、感情と対応し、相対は意識、論理と対応し、絶対は超越、感性と対応している。これらはそれぞれ想像界、象徴界、現実界に対応しているとも言えるかもしれない。「Emergent democracy」的な創発の手法だけでは意志の乱立を有効活用できないことが明らかになってきているし、ディベート的な相対の手法だけではトップダウン的な手法の限界、少数派の限界に直面することから、これらをどう両立していくかという問題意識がこの造語には表現されている。ここで大事なのは「民主制」を諦めないことと、「エモさ」の設計をすることの2点。インターネット以後の社会において全ての人が流動的に参加する「直接民主制」のような形態での意見を伝え合う場が有史以来初めて用意されたと言えるが、それによる問題点は結局玉石混淆の問題と意見がまとまらず、より感情的な意見に流されるということ。しかし、この短期間の実践で民主制自体を諦めるという方向は有効な代替案が提示されない限りは難しい方向であり、また人工知能的な発展性を考慮に入れると民主制を常時アップデートしていった先には可能性があるように思える。「エモさ」の重要性については「Emo Truth」宣言の記事でも書いたが、その「エモさ」を考慮に入れた上でシステムを設計していくことでしか人は動かないので、その「エモさ」のデザインをどうしていくかということが課題になる。

この時代における本質的な意味での実力とはビジョンと現実との差分をどれだけなくせるか、どれだけのスピードで埋められられるかという速度で測られる。上記の理念をインストールした上で、「Anrealms」としてできる限りの具体性のある未来を創っていきたい。

以下は文脈として参照した主要な概念。

伊藤穰一: Uniqueness, Impact and Magic、Antidisciplinary、Emergent democracy
Ray Kurzweil: Singularity
鈴木健: なめらかな社会
落合陽一: Digital Nature
黒瀬陽平: 包摂の芸術
村上隆: コンテクスト
千葉雅也: 接続/切断
Takram: ストーリー・ウィーヴィング
Rhizomatik: Rhizome
坂口恭平: レイヤー
苫米地英人: ゴール、抽象度、エントロピー、ゲシュタルトメーカー、トゥールミンロジック
Jacques Lacan: 現実界、象徴界、想像界
東浩紀: 一般意志2.0