失敗作で出来損ないという可能性

認識と存在と評価

どうやら家族にとって自分は失敗作で出来損ないという認識をされているらしい。他人の評価には一面の真実が宿るので、ある側面から見れば確かにそうなんだろう。父親は最近庭で植物を育て始めた。子育てに失敗した代償行為として植物は裏切らないというのがその理由らしい。姉はそれに反発して子育てを失敗した原因を両親に求める。何故失敗したという前提を疑わないのか、仮に失敗だとして他人のせいにするのか、その失敗にこちらを勝手に含めているのかは良く理解できないが、自分は失敗しているという被害妄想が強いのだろうか。母親にとっては自ら事業を起こすこと、フリーランスとして働くこと、アート制作をすること、展覧会をすることなどは仕事をするうちに入らないらしい。日本に帰国してから何も働いたことがないと認識されていることにまず驚いたが、とりあえず会社に所属して働くという行為のみが彼女の認識する働くという行為になるようだ。確定申告をしようが、賞を受賞しようが、会社を設立しようが、作品が売れようが、何もかもが認識の範囲外なのでこの時空間においては特に何の効力も持たない。たとえMoMAで作品を展示しようが、ヴェネツィア・ビエンナーレに出展しようが、ノーベル賞を受賞しようがこの状況は全く変わらないだろう。認識しないことは存在しないことと同じであり、存在しないことは評価対象外であり、評価対象外であることは例外なく最悪の評価に等しいからだ。

夢の原則

自分としては人生の中で数限りない決断を下してきたが、その中で自分の最良の選択と思っている大きな選択は過去に一つの間違いもなく全て両親に否定されてきた。ということは逆に言えば両親に否定されるような決断をしているということは、自分は自らの定義する成功への道のりを歩いているということになる。自らの定義する成功とは何か、それは自分にとって好きなことをやり続けることだ。そこで諸事情により来年海外で活動する予定であることを両親に話してみたが、案の定全否定され、説教が始まった。そこで父親が未だに自分に公務員になってほしいという夢を諦めていないという衝撃の事実が明かされたが、その夢が叶うことは残念ながらないだろう。何故ならば夢とは自分で見て叶えるものであり、他人に押しつけるものではないからだ。この夢の原則さえ守っていれば夢は必ず実現していくが、この原則を守らない限りは夢が叶うことは永遠にない。色々文句を言いつつもやり続ければ最終的には応援してくれるという意味では、自分はただ自分の夢を信じて突き進めば良いだけだ。

復讐と親孝行

自分にとって自分は成功作で上出来である。自分の評価には一面の真実が宿るので、ある側面から見れば確かにそうなるはずだ。見た夢は全て叶えてきたし、これからもそうなるだろう。その意味では子育ては成功しているが、それに気付くことができるかどうかはまた別の話だ。人間はこの瞬間に既に全てを手にしている、ただ違いはそれに気付けるか気付けないかでしかない。また子どもを生むのは一種の暴力だと思っているし、未だにその考えは変わらない。何故なら存在するかどうかという最も原初的で根本的な部分に関して人間はその選択肢を持っておらず、その選択肢は半ば強制的に選択されてしまうからだ。そういう意味で世界は最初から不条理なものとして存在している。そんな不条理な世界においてただ生きているということの連続性、継続性を保っているという事実だけで他に何も必要ないくらい立派なことではないか。双極性障害を患っていると世界の不条理さと自分の不条理さの両方に揺さぶられることになるので、生き延びるということがとりあえず何よりの仕事であり達成なのである。そういう意味では引きこもり、ニートと分類される人であっても、例外なくこの生きるという途轍もない仕事をやってのけている。生まれてきたことに対する感謝は未だに両親に伝えることはできないが、失敗作で出来損ないとして生き延びること、これが両親に対する最大の復讐であり、最大の親孝行なのである。

続自己紹介プレゼン 後編: バイト時代〜日本帰国時代

バイト時代〜美大時代

バイト時代

後編では中編の続きとしてバイト時代〜日本帰国時代、つまり現在に至るまでの話を書いてみる。発狂事件が起きたことによって過去の自分は1度死んだ。人間関係がリセットされ、今までの自分の軌跡が否定され、人生は本当の意味で終了したかに見えた。しかし「1度は死んだ人間なのだから、その終わった人生を好きに生きよう」という後ろ向きを前向きに展開する思考に至り、やり直しを決心して立ち直る。そしてまずは引きこもりという状態を断ち切って社会と接続する必要があると考えた。そこで面接を受け、人生初のバイトを始める。その頃には創作活動も開始しており、詩や小説を書いたり、ギターで良く分からない効果音や曲の断片を制作していたりした。バイトはその市で一番忙しい飲食店の皿洗いということで大変だったが、徐々に人とのコミュニケーションを取り戻し、自分の手でお金を稼ぐという貴重な経験をする。また創作活動を始めていた影響で今までほとんど興味もなく、行ったこともなかった美術館を巡ろうと考えた。そこで最初に訪れた川崎市岡本太郎美術館で岡本太郎の作品に衝撃を受け、また次に訪れた東京都現代美術館で現代美術という分野と作品に衝撃を受ける。そもそもアートも知らなければ現代美術というジャンルがあることすらほとんど知らなかったが、自分がやるべきことはこれしかないと直感する。そこで来年の受験までほとんど時間がなかったが、立川美術学院という芸大・美大受験予備校の冬季講習に参加するなどした。また引きこもりの現場をインスタレーションの場として展示する作品を制作し、それをポートフォリオとしてセンター試験と共に美大受験に挑むことになった。結果として多摩美術大学と武蔵野美術大学などに合格することができ、武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科に進学することになった。

美大時代

美大時代は人は面白い人がいると思ったが、授業はつまらないと思った。というより当時は制作をしたくてたまらなかったが、芸術文化学科はどちらかといえば理論重視の学科であることが合わなかったのかもしれない。また自分としては競技ディベートをしたかったのだが、日本の大学ではそもそも競技ディベートが発達しておらず、当然美大ではそんなサークルも部活も存在していなかった。また日本の教育システムでは文系と理系という枠組みで捉えることが主流だったが、その頃にはアメリカの大学ではリベラルアーツという教養教育を重視していることが分かった。そこでまずアメリカのリベラルアーツカレッジに入って英語の基礎と文系と理系の枠組みに囚われない学問分野を学んだ後に、競技ディベートの強い大学に編入してディベートをやりつつより専門的な学問を修めれば良いのではないかと思った。その決意が固まり、入学から半年ほどして大学を中退した。美大を中退することと留学することについては家族の強い反対があったが、どうしても自分に必要だということで何とか説得した。そして留学カウンセラーなどを利用しつつ、中退後数ヶ月で編入が決まり、そのアメリカのリベラルアーツカレッジに通うことになった。

海外時代〜日本帰国時代

海外時代

そもそも英語がほとんど話せない状態で留学したわけだが、人と話すことと海外ドラマの「Prison Break」を字幕なしの状態で何回も見直してシャドウイングし続けることで何となく英語が分かってきた。最初の大学であるOhio Northern Universityでは美大時代ではできなかったこと、つまり作曲の授業を取ったり、数学の授業を取ったりしつつ、ある程度の専門性があるということで大学卒業レベルのアートの授業を受けることができた。また授業は実践的であり、こちらがやっていることに対して教授が1対1でアドバイスをくれたり、実際にコンサートや展示を開いたりなど貴重な経験ができた。そしてOhio Northern UniversityはBurren College of Artというアイルランドの美大に短期間留学できる提携プログラムを持っていたので、その制度を利用してBurren College of Artへ旅立つ。そこでは唯一のアジア人かつ、史上初の日本人の学生ということで、アウェーのアウェーみたいな状況だった。天候に関しても曇天、雨天が多いこともあり、太陽光が少ないという意味で鬱を刺激する環境が万全に整っていた。途中精神的に耐えられなくなりカウンセラーにSkypeで相談すると、話の最後に「大丈夫、苦しむだけ苦しんでください。」というような言葉をもらい、何とか立ち直る。恐らくパスタを食べ続けたのも遠因だった。その学校は最寄りのATMまで数百km、人口数百人という村にあったのだが、夜な夜なアイリッシュバーでは踊りと酒が振る舞われていた。また通っていた同期の生徒は誰しもが才能に溢れており、教授陣の少人数指導も素晴らしく、アイルランドの自然環境、茅葺き屋根のコテージ、生徒個別のアトリエの経験を含めて自分の人生に大きな影響を受けた。そしてBurren College of Artに短期留学中に The State University of New York at Binghamtonというアメリカの大学に編入の願書を提出し、合格。この大学に決めた理由は全米トップ10の競技ディベートチームを有する大学であること、Individualized Major Programという自分で専攻を創ることができるプログラムがあること、Public Ivyと呼ばれるように教育の質が高いこと、その割に学費が安いので通える範囲内であること、現代美術の中心地であるNYのマンハッタンに近いことなど自分のために用意された大学かと思えるほどの様々な理由があった。そして最終的には競技ディベートチームで数々の賞を受賞しつつ、Cross Media Artsという独自の専攻を創って卒業した。また海外時代には何度か長期休暇中に日本に帰国するなどしており、その際にはアートについての講座を開いたり、音楽でライブ活動をしたりしていた。そのおかげなのか海外時代はホームシックになることもなく、自分の抑圧していた願望を全て叶えることができ、それを否定されることもない環境に満足していた

日本帰国時代

そして日本帰国。海外を拠点として活動しようと思っていたのにも関わらず帰国した理由は幾つかあるが、その一つは日本には焦点は当たっていないが素晴らしい文化や財産が眠っており、それを活かして創作活動をすることは日本人である自分にしかできないように思えたからという理由が挙げられる。また一度海外に出ることで初めて分かった日本の素晴らしさに気付いたからという理由もある。アーティスト活動としてはBankART Studio NYK、東京デザインウィークなどここ数年でコラボレーションを含め数多くの展覧会やイベントなどに参加してきた。また個人事業主として開業し、独立して金銭を稼ぐ方法を考え、実践してきた。さらにAnrealmsというコレクティブを創業し、その代表として自分ができることは全てやってきたつもりだ。しかしその活動の中では海外では全く問題にならなかったタイプの様々な運営や人間関係のトラブルがあり、その中には自分が思い至らなかった部分もあるし、未だにおかしいと思い続けているものもある。そして現在は再度海外、特にアイルランド滞在中に訪れたドイツのベルリンで活動したり、他国のアーティストインレジデンスに参加したり、最終的には海外の大学院にも通いたいという気持ちが芽生えてきた。しかしそれは最低でも1年は先の話になるので、それまでの1年を有効活用するために、日本の中での最後の希望として新芸術校に入ってみようと思った。また自分としては将来的にメディアアート、バイオアートのようなものを制作したいと考えており、AIに関しても興味が強い。さらにマネタイズとしても有効な手札になると考えているので、この1年間はエンジニアとしての能力も上げていこうと考えている。今回の連載記事における前編、中編、後編を通してプロフィールはかなり詳細に紹介したが、結局ポートフォリオはほとんど紹介できなかった。それは後に別サイトで掲載予定なので、出来次第NILOGでもお知らせする予定。最後に今回の連載記事を通してNILという人間について少しでも興味を持っていただけたら幸いです。

続自己紹介プレゼン: 連載記事リンク

続自己紹介プレゼン 前編: NIL/Cross Media Arts/Anrealms

続自己紹介プレゼン 中編: 小学校〜引きこもり時代

続自己紹介プレゼン 後編: バイト時代〜日本帰国時代

続自己紹介プレゼン 中編: 小学校時代〜引きこもり時代

小学校時代〜中学校時代

小学校時代

前編では主に先日の自己紹介プレゼンで話した内容とその補足について書いたが、中編からは主に自己紹介プレゼンではほとんど語れなかった内容について紹介してみようと思う。NILOG読者の方は既に知っている内容も含まれるかもしれないが、改めて経歴を整理して紹介する意味も込めて。まず小学校時代は優等生であり、スポーツも万能だった。こう書くと嫌みか、自慢かという精霊たちの声がどこからか聞こえてくるようだが、事実なのだから仕方がない。また当時仲の良い友達はほとんどがサッカー部に所属していたので自分もサッカー部に入りたかったのだが、父親がヘディングなどが脳に良くないとの理由で部活に入れてくれなかった。当時はそれに対して納得がいかなかったが、近年の研究ではヘディングが脳にダメージを与えるという研究結果が発表されているので、今となっては逆に父親に感謝しなければならないのかもしれない。とはいえ休み時間は常に友達とサッカーに明け暮れていた。また所謂不良と先生たちからタグ付けされるような人々に勉強を教えるのが得意で、彼らからも何故か慕われていた。一度先生が出張か何かで不在だったときにその不良グループの1人がクラスの生徒全員を1人ずつ殴っていくという、今考えれば相当問題になりそうな事件があった。それを止めることはできなかったのだが、何故か自分だけは殴れないと言われて順番を飛ばされたことを覚えている。他にも投票で学級委員長に選ばれたり、リレーの選手を6年間継続でやったりしていたが、特にそういったポジションが特別だと思ったことはなかった。というより当時の自分は明らかに物心が付くのが遅く、〜を好き、〜を嫌いという概念すら良く理解できていなかった

中学校時代

中学校時代に入り、ようやく物心が付き始める。そうなってくると、そこで初めて〜を好き、〜を嫌いという概念が理解でき始め、周囲の人がそのタグによって脳内で分類されていくことに対して恐怖を感じ始めた。この頃から教育システムや将来の大学、就職というルートに対する疑問も同時に芽生え始める。そこで周囲の友達などに何故高校に行くのか?という質問をしてみたところ、ほぼ全ての人が「みんなが行くから」ということしか回答しないことに衝撃を受け、何かしらのロボットのように自分たちは洗脳され、生産されているのではないかと思い、怖くなる。また同時期に周囲に対しても心を閉ざし始め、闇堕ちの傾向が強まる。成績に関しては小学校〜中学校時代まで一貫して学年トップのレベルだったのだが、そういうことすらも馬鹿馬鹿しく思えてきた。成績の付け方に関しても教師の恣意的な要素や心理的な要素が多分に絡んでいることに気付き、テストで100点を取り続けることに意味を感じなくなる。そもそもそういった成績を取り続けても両親に褒められることがなかったというのもトラウマの一つとしてあるかもしれない。部活は陸上部で中距離〜長距離を専門にやり、中距離が一番得意だったので800mで入賞するなどしていた。その他にも走り高跳びなどもやっていたが、毎朝と放課後に合わせて何十キロも走るようなスパルタな練習の影響か腰を痛めることになった。結局中学校を卒業するまでに高校に行く意味が分からなかったので、高校には行かない予定だったのだが、両親の懇願により高校受験をして受かった高校に通うことになる。

高校時代〜引きこもり時代

高校時代

高校は男子校だったのだが、失望の連続だった。そもそも初日から1週間程度経過してもクラスの誰も話さないという特異な状況が形成されていた。この時点でもう高校を辞めたい旨を両親に伝えるが、とりあえず1年間は通うことを説得され、その期間までは通うことになる。中学校時代までは陸上部だったので今度は球技がやりたいということで硬式テニス部に入りたかったのだが、人数が多すぎて球拾いしかできないという事情により軟式テニス部に入部。授業に関しては今でも覚えているが、最初の古文の授業で歴史的仮名遣いの入った文章をそのまま音読したら、周囲から「おぉ〜」という声が上がった。そんなことは今までになかったので何が起きたのか良く分からなかったが、要するに入る高校を間違えたらしい。数学の授業でかけ算九九を間違える先生がいたり、先生の授業内容ややり方がそもそもおかしいというフラストレーションが溜まり次第に授業を受けることが苦痛になっていった。周囲の人間との話も合わなさすぎたし、一言で言えば宇宙人扱いされていた。この頃から躁鬱病の波が始まった影響もあって通学が苦痛になり、存在しているだけで1秒ごとに苦しい感情に胸を貫かれ続けるような痛みを心に感じ始める。またテストに関しても対策などはほとんどせずに一夜漬けだったのだが、総合点で2位と何百点差かを付けて学年トップになるなどしており、競争心も完全に消失した。そういった悩みを相談しようにも、まず理解されないし、どうせ嫌み、自慢と受け取られて終わりなのでますます心が病んでいく。日本の教育システムでは標準よりできない人間に対して手を差し伸べようとはするが、標準よりできる人間に対しては真面目に対応しようとしない。それはすぐに嫌み、自慢という言葉に変換されて煙たがられるのだが、こっちは真剣に悩んでいるし、自分の進度で自分の学びたいように学ぶことを熱望しているのにそれは許されない。そしてその高校は2年になる段階で理系か文系かを選択しなければならないというシステムになっていた。自分としては両方学びたかったので両方同時に選択しようとしたのだが、その選択は許されないらしかった。これが決定打になり、高校を中退することを決意。辞めるときの担任と両親を交えた話し合いで大学の推薦の話などもされて引き留められたが、この高校は自分を駒としてしか見ていないという不信感がますます募り、その場で辞めた。帰り道に母親が泣いていたことは良く覚えている。

引きこもり時代
前期: テニス生活

高校を辞めて真っ先にしたことは、大検 (高認) を取得したこと。高校を辞めて数ヶ月後に取得したが、1年間高校に通った分の免除科目もあり、基礎的な内容だったこともあって特に対策する必要もなかった。しかしそこで飛び級して大学に通えるかと思いきや、ほとんどの日本の大学では飛び級を認めておらず、飛び級を認めている大学は自分と学びたい内容とずれていたのでさらにやる気がなくなる。そこから引きこもりのような生活に入る。引きこもりといっても外部とコミュニケーションをせずに家にいるのはまずいということにより、近所のインドアテニスに通うことを許可された。ここでは高校時代にできなかった硬式テニスを思う存分堪能し、また周囲が大人ばかりだったこともあって楽しい時間を過ごした。1日に何時間も連続、しかも週5以上通うなど一時期は人生の大半をテニスが占めていた。しかし受験期になっても行きたい大学がないことに気付く。そして適当に志望校を選び、テストの小論文では大学に行く必要のない理由などを書くなどの行為を繰り返していた。最終的にはインドアテニスも辞めさせられたのだが、そもそも大学に入学するために特別な受験勉強をするという意味が良く分からなかったし、最初から学部を分けている意味も分からなかった。受験勉強は普段の生活の延長線上にあるべきであるという考えにより、読書は大量にするが勉強は一切しなかった。また大学の入学の門を無意味に狭くしてプレミア感を付けるより、入学してから勉強に付いていけないなら容赦なく落としていくべきだし、学部も入ってから決めさせれば良いと考えていた。ただそんなことを繰り返しているうちに、本当に外に出ることがなくなり、完全に昼夜逆転の引きこもり生活に突入する。引きこもり時代にはもう外部の教育システムは諦めて独学で学び、自分で修行しようという気持ちが強くなっていた。例えば天才になるトレーニングというものがありハイハイ、うんてい、腹ばい運動などを継続して行ったり、オナ禁を1年したり、体外離脱体験をしたり、瞑想をしたり、とにかくあらゆる分野の本を読んだりしていた

後期: 発狂事件

しかし引きこもり期間が長期化するうちに他人とコミュニケーションを取ることができなくなり、家族とのコミュニケーションも全くなくなり、自分の部屋だけが世界の全てになっていた。たまに行くコンビニでは「お弁当温めますか?」という質問に対して答えることができず、完全に人として終了したと思った。吃音の症状も出始め、もう話すこともトラウマになり、何もかもが嫌になりつつあった。そんな絶望的な状況の中、発狂事件は起こる。元々修行の過程でベジタリアン → ヴィーガンという風に食生活が変わっていたのだが、ある日から1ヶ月間程度の期間断食を決行することにした。断食と言っても水は飲んでいるし、全く何も食べないと死んでしまうので最低限の食事を摂取する日もあった。しかし、身体面では元々痩せている体重が1ヶ月間で10数㎏以上落ちるなどの影響があった。それよりも影響があったのが精神面で、とにかく常に多幸感に包まれていた。後にこれは脳が破壊されていく時の状態であり、脳内物質が過剰に分泌された結果だと自己分析したが、その時の自分には自覚症状などない。次第に幻覚、幻聴が当たり前になり、仏教やキリスト教でいう神々との遭遇も果たす。後にこれが俗に言う魔境に入ることだと気付くが、当時の自分の精神状態はそのように冷静に分析できる状態ではなかった。またそれらの非現実世界と現実世界が交わってきて、次第に現実世界のリアリティと逆転したことにより統合失調症のような症状が出始める。電車に乗っていても目の前の人間が赤いビームを映画のように発射してきたり、何かから指令や助言などを受け取ったりして混乱した。最終的にはこの世界の片隅で愛を叫びながら発狂し、友達に不穏なメールなどを送って海岸に呼び出し、世界を救う儀式をしようとして当時の友達をほぼ全て失うなどした。そこで家族と相談した後に精神病院に通うことになるが、期待していた精神科医との対話が余りにもつまらなかったのと、飲むと20時間以上寝てしまう薬を渡され、眠るだけの人生が始まった。しかしそんな人生は送りたくなかったので、自力での解決を図ることに。0と鏡が怖いという抽象的な精神状態があったことをヒントに、これは自分の脳内で起きているフィクションがフィルターとして現実世界をおかしくしていると認識するに至った。ということは要するに自分の脳内の幻覚と幻聴のリアリティを落とし、現実世界のリアリティを上げれば良いということに気付き、イメージを駆使しつつ自己治療を試みた。最終的には鏡を見た自分の顔が鬼のように見え、そのことにショックを受けてポテチを食べてしまい、ぐっすり眠った後に治った

続自己紹介プレゼン: 連載記事リンク

続自己紹介プレゼン 前編: NIL/Cross Media Arts/Anrealms

続自己紹介プレゼン 中編: 小学校〜引きこもり時代

続自己紹介プレゼン 後編: バイト時代〜日本帰国時代

続自己紹介プレゼン 前編: NIL/Cross Media Arts/Anrealms

パワポ → スライド

今回は続自己紹介プレゼンということで、連載記事を前編、中編、後編に分けて、先日の自己紹介プレゼンで話したこと、話せなかったことを含めて整理して紹介してみたいと思う。まずは以下のスライドを見てほしい。

このスライドは先日の自己紹介プレゼン時にパワポとして使用したものを、MetaSliderというプラグインを使用してスライドとして再構築したもの。1人につき持ち時間が90秒ということだったので、プロフィールとポートフォリオの2択でポートフォリオを捨て、プロフィールもNIL (芸名)、Cross Media Arts (専門分野)、Anrealms (コレクティブ) という三つの要素以外を全て捨てて制作した。とはいえポートフォリオを完全に捨てるのも良くないので、背景に使用されている画像は全てコラボを含む今までに制作してきた作品画像になっている。そもそも今回の課題をやる時間が余りにもなく、提出締め切りまで後数時間というところから急いで仕上げたというのが実情。5月末くらいまでは金銭面での工面のため、このような形で課題を凌いでいくしかない。

スライドの内容

NIL

スライドの内容は一度に多くを紹介してもどうせ覚えられないだろうと思い、まず表紙でこれから話す三つのキーワード関連の言葉を書いた。次のページではNIL (ニル) というのが人 (芸名) を指す言葉であることを明確にし、由来を仏教、プログラミング、V系という三つのキーワードで整理した。ぶっちゃけ芸名の由来は諸説あり、自分でも既に分からなくなってきている。なので話す度に由来が変わるというスタイルでやっているが、今回は仏教では空と縁起、プログラミング言語的にはNILは何もない、無という意味、V系的にはその世界のテイストを持つ言葉の融合として紹介した。他にも当初は芸名を沢山使い分けていたが、混乱するのでそのうちの一つの芸名だったNILに統一したという説や、NIL、LIX、XIS、SINというしりとりのような言葉遊びの中で生まれた説など様々なものがある。経歴としては編入やプログラムへの参加を繰り返して、合計四つの大学に在籍していた経験がある。具体的には武蔵野美術大学 (日本) → Ohio Northern University (アメリカ) → Burren College of Art (アイルランド) → The State University of New York at Binghamton (アメリカ) という流れ。そしてそもそも日本の美大には競技ディベートがないということで海外の大学を目指した人間なので、最後の大学を選んだ最も大きな理由は全米トップ10常連の競技ディベートチームが存在していたからであり、卒業する前まで世界トップレベルの知性が集合する競技ディベートに打ち込んだ。

Cross Media Arts

Cross Media Artsはその最後の大学在籍時に、大学教授たちを前にプレゼンして創り上げた専攻。もちろん元々Individualized Major Programという自分で幾つかの学問分野を融合させて専攻を作れる大学を選んで進学したわけだが、通常は二つか三つの学問分野を組み合わせるので、六つの学問分野を組み合わせたのは史上初の試みだったと思われる。当然その辺も教授陣に突っ込まれたが、ディベートで鍛えてきた経験を活かして力業で説得して認めてもらった。自分の中の構成としてはPhilosophy、Mathematical Science、Artというトライアングルにより、知性、論理、感性、もしくはエトス、ロゴス、パトスの基盤を形成する。その上でそれらのサブジャンルとしてPhilosophyとMathematical Scienceの間はComputer Science、Mathematical ScienceとArtの間はMusic、ArtとPhilosophyの間はRhetoricという逆のトライアングルを形成する。それらを組み合わせたものがCross Media Artsという魔法陣を形成するという3段階の仕組みになっている。要するにアートをやるのにアートの内部での表現形態の違い、例えば絵画、彫刻、工芸、建築、映像などを横断しているだけでは不足で、あらゆる学問分野を抽象的に飛翔してクロスさせ、表現としてアウトプットするようなダイナミックさが必要だというのがそもそものCross Media Artsという分野を創造した動機になる。

Anrealms

AnrealmsはCollaborative Collectiveと称するコラボレーションを主体としたコレクティブである。スライドにはMIT Media Labの伊藤穰一が提唱したArt/Science/Design/Engineeringというフレームワークが書いてあるが、各人がこれら四つの分野に精通しつつ、どれか一つの分野で飛び抜けた専門性を有することが望ましい。またLayer、Gestalt disciplinary、Emergent debate democracyはAnrealmsを象徴する三つのキーワードであり、Layerは現実世界に対する認識の仕方、Gestalt disciplinaryは表現、研究、制作、事業における対象領域のパラダイム、Emergent debate democracyはコレクティブにおける意思決定の方法をそれぞれ表している。さらにメンバーにも話したことはないが、自分の中のAnrealmsの裏テーマとして「バンドのようなコレクティブ」というものがあり、人数的にも役割的にもそれぞれのメンバーが異ジャンルを混合させたバンドのように機能することを目指している

続自己紹介プレゼン: 連載記事リンク

続自己紹介プレゼン 前編: NIL/Cross Media Arts/Anrealms

続自己紹介プレゼン 中編: 小学校〜引きこもり時代

続自己紹介プレゼン 後編: バイト時代〜日本帰国時代

ディベートとグレーゾーンを実装したグラデーションへ

ディベートとは?

ディベートとは自分と相手の論理の連鎖の報酬により、最適解に最短距離で到達するための技術である。ディベートは基本的に日本に存在していないので、とにかく誤解を生み易い。それはいわゆる朝生的な相手の話を聞かず、ヤジを飛ばす非生産的で結論の出ない議論や、論破厨が振り翳す「はい、論破」といった精神性とは真逆の理念を持つものだ。またディベートにおいては必ず審判が存在しており、ディベーターにおける自分と相手は割り当てられた賛成、反対という役割分担を通して最善を尽くすことで、最適解に協力して到達する共犯関係性が生まれる。これはスポーツと同様であり、スポーツにおける敵と味方というのは仮の役割であって、片方がもう片方と実力が拮抗しており、どちらも最善を尽くした時に両者のポテンシャルが発揮され、名勝負が生まれる。さらにそもそもディベートにおいてはある議題に対して賛成か反対かは試合ごとに変わるので、自分の意見を押し通すという考えは一切なく、どちらの立場からも考えられるような訓練がなされるため、どちらか一方からしか考えることをしない人より圧倒的に頭が柔らかくなる。ただし唯一の欠点としては、ディベートは西洋の個人主義を基盤にしている面があるので、日本のように主張と人格を切り離さない文化圏においては誤解を生み易くなる。

グレーゾーンとは?

一方でグレーゾーンを残す、曖昧にしておくというのは日本古来の処世術の一つだ。これはディベートのように賛成か反対かというはっきりした基軸を持った上で、その細部を議論していく方式とは異なり、むしろ意見や評価をグレーゾーンにして基本的には相手に同調していくことで無駄な対立を防ぐという本音と建て前の文化の産物である。メリットとしては境界線を曖昧にしておくことで、本来なら分かり合えていないことであっても、表面上の友好関係を形成することができること。また協調性の必要な集団作業やハイコンテクストなコミュニケーション方法も可能になる。デメリットとしては問題の核心が不可侵領域になってしまうことがあるために、同じ問題が形を変えて何度でも繰り返されることが挙げられる。グレーゾーンは東洋の全体主義を基盤にしている面があるので、西洋の個人の意見を持たないと一人前として見られない文化圏においては評価されない。

ディベートとグレーゾーンをアップデートしたグラデーションへ

グラデーションとは?

一言で言えばディベートは論理性を重視し、グレーゾーンはエモさを重視した結果の産物であると思われるが、それらの行き着く先はグラデーションである。グラデーションには色の連続的な変化があり、多様性が存在している。例えば近年精神医学の世界では、スペクトラムという考え方が導入されている。これは診断において厳密な定義によるカテゴライズよりも、連続的な症状として捉えようという考え方のことだ。ここでは白か黒かという二項対立ではなく、グレーゾーンという曖昧性でもなく、多様なグラデーションを前提としている。また障害者と健常者というカテゴライズにおいては、コンタクトレンズや眼鏡を装着して実生活に影響のない人は大抵健常者と呼ばれている。しかし、本来それらのテクノロジーが発達していなければ障害者であったはずで、そうであるならばそのカテゴライズの前提は実は非常に脆く、また障害者、健常者とされている人たちの中にも無数の多様性があることに気付く。そのように世界はグラデーションであると気付いた時に、ディベートとグレーゾーンをアップデートする必要性に気付く。何故なら世界とはそもそもカテゴライズ不可能な多様性に満ちているので、論理性とエモさの両面がなければその実像を高い解像度で捉えることができないからだ。

多様性の色彩

ディベートは最適解を最短速度で見出すことを得意であるが、一方で人間関係においては友敵理論が発動しやすい。またグレーゾーンはエモさの波に乗り人々に共感を広げることが得意であるが、一方で批評性と問題解決能力が育たない。ならば逆説的に世界はそもそも共感不可能なほど多様であるというグラデーションの存在を認め、その上でディベートの論理性とグレーゾーンのエモさの両輪によってグラデーションを深く、広くしていくしかない。そのグラデーションを極限まで深く、広くしていった結果は連続体仮説のように証明も反証もできない地平に到達する可能性もあり、それは有限性と無限性の哲学とも関連のある話だろう。ただ固有の色彩がそのまま自らの色を深め、また多様な色彩がどこまでも広がっていく世界。分断された世界と偽の共感に満ちた世界よりも、その共感不可能な共感に満ちた世界の方に魅力を感じる。

デザイナー音信不通につき

事の経緯

前置き

最初に告白しておくと、今回の記事は書くかどうか、公開するかどうか非常に迷った。しかし今回の件だけではなく、今までの経験を踏まえた上で個人的に色々思うところがあり、それらを総括することで新しい地平に行ける気がした。また個人的な事柄ではあるものの、公共性を持ち得る話になると思ったので、結果として書いて公開することにした。今回の件に関してはどちらの立場にせよ誰もが当事者になり得る問題であり、一部批判的に書く部分もあるかもしれないが、個人を非難する意図はなく、ここでは何が原因であり、ここから何を学べ、これをどう今後に繋げていけば良いかという方向性を持った話になれば良いと思っている。

事の経緯

まず簡単に事実だけ書くと、「石版を丸呑みする回転木馬」において主に本の装幀を担当してくれていたデザイナーの椙元君が昨年末から音信不通になった。自分の知り得る限り直接のきっかけはなかったが前触れは幾つかあった。まず彼は元々本業が忙しく、連絡が遅れがちであったこと。そして昨年の12月28日のミーティングに来ると言っていたが来なかったことと、それに関する連絡が事前にも事後にもなかったこと。そこから年末年始にかけて連絡がなく、年明けに何度か濱中さんから幾つかの経路で連絡してもらったのだけれど返信がなく、最終的に自分からも確実に届くと思われる経路でメールを送ったのだけれど、結局返信がなかった。プロジェクトに関して言えば、昨年末から椙元君の返信待ちで止めていた作業が幾つかあり、それらは既にスケジュールを大幅にオーバーしており、これ以上待てないことと、期間的に考えても単純に連絡が遅れているというよりは音信不通であり、今後連絡が来る可能性も低いと判断した。なので本日をもって彼が担当していた部分を含めて、残りの作業は自分と濱中さんの2人で仕上げることにしたというのが事の経緯になる。

コラボレーションの難しさと意義

実際クリエイティビティを基盤としたコラボレーションにおいて、今回の件のような事態は日常茶飯事であり、特に珍しいことではない。コラボレーション中に関係が悪化する人、コラボレーション途中で消えていく人、コラボレーション終了後に縁が切れる人など様々だが、正解が存在しない世界で真剣に良いものを創ろうと思ったら、何処かで意見がぶつかり合うのはむしろ自然なことだろう。これはある意味シェアハウスや恋人との同居などにも性質が似ていて、最初は良いと思っていても相手との距離が近づくにつれて悪い部分が見え始めるし、自分との違いも見え始める。しかしそこを乗り越えた先には、悪い部分や違う部分も許容した上でより深い世界が見えて来るので、その地平まで行ければ一先ずは成功と言えるだろう。コラボレーションの場合は日常生活というよりは、普段人に見せない信仰に近い部分や自分の拘っている部分をさらけ出し、時には相手を説得することも必要になってくる。そういう意味で個人的には自分の色を濃くすることに没頭できるソロもやりたいし、自分にはない発想で自分だけでは到達できない地平に到達できる可能性のあるコラボレーションもやりたいし、意義があるものと思っている。

複数の真実

しかしあくまで推測ではあるが、今回の件の場合はコラボレーションにおける意見のぶつかり合いや人間関係の問題が直接の原因ではなかったと思う。彼は才能豊かであり、彼の仕事は非常に質の高いものであったし、彼の本制作に関する知識は参考になっていたし、作品をより洗練された次元に押し上げていた。また「石版を丸呑みする回転木馬」に関して彼が自発的にやりたいと言っていたアイディアなども含めて、彼のモチベーションは相当高かったように感じられた。話し合いに関しては回数は少なかったものの直接会ってのミーティングとSlackを通してのチャットが主だったが、特にそこで問題があったようにも思えない。また彼は責任感も強いように感じられたので、突然連絡が付かなくなったことに関しては本業が忙しくて遅れているだけなのか、年末年始という状況を含めて全く別の事情があるのか、単純に仕事を放棄して音信不通になったのかしばらく判断が付かなかった。結果としては音信不通と判断したが、ここで語っているようなことはあくまでこちらの視点から見た真実なので、椙元君には椙元君なりの真実が、濱中さんには濱中さんなりの真実が存在しているのだとは思う。

音信不通について

音信不通の背景

それらの前提を踏まえた上であえて言えば、背後にどんな理由があったとしても音信不通という手段は取るべきではない。もちろん連絡を取ることができない非常事態も考えられて、既に亡くなっている可能性、事件や事故に巻き込まれた可能性、何かしらの理由で誰かに連絡が禁止されている可能性などは考えられる。しかし仮に連絡はできる状態にあり、今回のプロジェクトのメンバーを途中で脱退、もしくは仕事を引き受けることを途中で止めたかったのだとしたら、単純にそれらを伝えれば良いだけの話ではある。仮に昔なら何処までも追いかけたかもしれないが、その世界線のループの結末は既に知っているので、現在では基本的に去る者は追わないし、逃げたい時は何処までも逃げれば良いと思っている。ただし何かから向き合うことを逃げた場合は、違ったタイミングと状況で再び同じ問題を繰り返すことになるというのは自分が引きこもっていた頃の経験から言えることではあるが。またもしかするとそこまでの人間関係を構築できていなかったことに問題があるのかもしれないが、会ってからの日数と連絡の頻度を考えるとこちらのベストは尽くしたし、コラボレーションにおいて必要以上に他人の人生に踏み込むことが様々な問題を生じさせることは経験上分かっていたので、あくまで作品にフォーカスすることを選択していた。ただそれらを踏まえた上でも、依頼された仕事において音信不通で終わらせるというのは社会人としては擁護することが厳しい態度ではある。そもそも人間関係において相手の怒りを生む大きな原因の一つはその行動の背景、バックグラウンド情報の欠如であり、音信不通はその影響をもろに相手に与える行為であるからだ。そもそもSlack上の繋がりであるのならばそれを切断すれば表面上は関係性が断たれるわけだが、一方でそこには困惑しながら残された実在の人間も存在している。

報連相の欠如とドタキャンと音信不通のグラデーション

またこれは経験則でしかないのだが、報連相の欠如とドタキャンと音信不通の問題は一連の問題としてセットになっていると感じる。というよりこれらはグラデーションで、報連相の欠如がドタキャンに繋がり、ドタキャンが音信不通に繋がる。報連相というのは本来自然な形で仕組みとして組み込まれているべきなのだが、悪いパターンとしては徐々に反応がなくなってくる。そしてそれに対して言及すると義務化してしまうので、更に連絡が取りづらくなってくる。そうなってくるとドタキャンが発生し、一度ドタキャンが発生すると気まずい関係になることと、連絡を取ると怒られるかもしれないという恐怖も多少は出てくるので音信不通になっていってしまう。これらの問題は今回の件に限らず過去に繰り返し起きていたことだが、今回の件でこれらはグラデーションであり、セットであるのだという学びがあった。

アーカイブとバックアップ

とはいえ仕事を途中で放棄する、もしくは音信不通になる可能性は最初から考えてはいた。それは特に彼だからという意味では全くなく、これまでの経験上仕事をする途中で何かあったとして、最後に責任を取る人というのはほとんどいないと気付いたからだ。もちろん悪い意味ではなく、良い意味であっても最終的に中々連絡が付かないような関係性になる可能性はある。なので自分としては各メンバーの作業途中のファイルは逐次アーカイブしておきたいし、プロジェクトが無事終了した際にも必ず全員が作業した元ファイルのバックアップをできるだけ取るようにしている。本来はこういったアーカイブとバックアップということすら意識しない状態で、全ての作業ファイルが自動的にアーカイブ、もしくはバックアップされているような仕組みを作っておくのがベストだろう。しかし今回の場合は短期プロジェクトだったこともあり、余りそういったことを言うのも面倒臭いのではないかと思い、そこを徹底していなかった。ただ今回の件で学んだのは、やはりメンバーの誰がいつ消えても良いように、終わってからまとめてではなく、作業途中であってもアーカイブとバックアップは取っておくべきということだ。

二つの理由

先程述べたように彼が音信不通になる前兆は一応連絡が遅れるなどの形であったわけだが、それまでは連絡が遅れても来ると言っていたミーティングには出席していたため、完全に虚を突かれた。しかしそもそも連絡が遅れていても特に何も言わなかったのには二つ理由がある。一つ目の理由は彼には仕事を破格の条件で仕事を引き受けてもらっていたこと。彼に本業があることすら最初は知らない状態だったのだが、その忙しい状態で仕事を引き受けてもらっていたこともあり、プロジェクトの途中で仕事ができなくなってしまっても最悪仕方ないとは最初から考えていたし、濱中さんにもそう伝えていた。二つ目の理由は彼は濱中さんが紹介してくれたデザイナーであり、人間関係で言えば会ってからの期間も含めて明らかに濱中さんと椙元君の方が最初から結び付きが強かった。なのでこちらからも伝えるべきことは伝えるが、彼に何か言うことがあればどちらかと言えば濱中さんから伝えるべきであり、自分がしゃしゃり出るべきではないと考えていた。ただ音信不通に関しては話が仕事としてというよりは人間としての話になってしまったので、最後に自分の意見を書いたメールだけは送信したという形になった。

プロジェクトを運営する立場

最近特に思うのは、自分からプロジェクトなり事業なりを立ち上げて、人をまとめ上げるリーダーの立場としての経験を持った人とでないと中々コラボレーションは上手くいきにくいということ。何故かと言えば先程の逃げたい時は何処までも逃げれば良いという話の真逆の視点から物事を見られるようになるからだ。リーダーや運営には必ず責任が伴うので、音信不通になるということがどれだけ迷惑なことなのかが身に染みて良く分かる。まず音信不通になった場合は心理的なダメージ、コミュニケーションコスト、スケジュールの遅延、作業を代替できる人を見つけるコスト、もしくは残った人による穴埋めなど残された側のダメージは計り知れない。これらに関してはまだ一言今後作業ができないことを言ってくれさえすればその時点から違う方向で動けるが、音信不通の場合は理由を含めて全く不明になるのでそれすらできず、多くの作業が一時中断してしまう。そういう意味では逃げた経験と運営する経験の両方を経験した人が理想的なリーダー、もしくはコラボレーション相手になり得るのかもしれない。何故かと言えば両方の気持ちと視点が理解できるし、最終的に逃げ出すとしても逃げ方が上手くなり、相手に掛ける迷惑を最小限に抑えることができるからだ。つまりその場合は自分のケツは自分で拭くことができるかどうか、相手が支払うことコストを最小限に抑えることができるかどうかという基準を最低基準に据えることができる。

作品至上主義

自分の中では一つ譲れない信念があり、それは作品至上主義であると最近自覚した。要するに自分が至上と思える作品を残すことは、人間関係、金銭などの全てに優先するということだ。この考え方には完璧主義の弊害と同じく様々な問題とデメリットがあり、行き過ぎると危険ではある。しかし基本的にアートを制作するというのは、それ程の覚悟と犠牲がなければ成り立たない。もちろんコラボレーション相手であれ、この思想を一方的に押し付けることはしないし、共感してほしいとも思わないし、共感するべきとも思わない。それは『ファウスト』においてファウストがメフィストフェレスと契約するようなものであるからだ。しかし今回の件においては特に厳しい注文らしい注文は一切していないし、むしろできるだけ口を出さずに自由にやってほしかったので、自分のこの思想が問題を引き起こしたとも考えにくい。ただそれだけ真剣に取り組んでいた仕事だったので、仕事ではなく遊び感覚で捉えられていたのかもしれないと思うと悲しいし、どちらかと言えばやはり悪気のないキャパシティーオーバーということだったのだろう。

今後の「石版を丸呑みする回転木馬」における作品制作について

今後の「石版を丸呑みする回転木馬」における作品制作については濱中さんと話し合ったが、基本的には2人でやりきるしかないので椙元君の仕事は2人で手分けしてやり直し、完遂することになる。今となっては彼の心情は想像することしかできないので、あれこれ憶測するよりは、雑念を振り切り、過去を断ち切り、ここからどのようにベストな作品と展覧会を完成させ、それを鑑賞してもらうかということのみを注力して考えるべきだと思う。個人的にはAdobe Creative Cloudを契約し、束見本も作り直すことになりそうだ。元々が無理なスケジュールだったということもあるし、今回の件もあり、作品と展覧会については更に完成が遅延する可能性が高くなってきた。また全期間Open Studioではあるのだが、作品も展覧会も何とか完成はさせるし、イベントも行うつもりなので、できればもう少しだけ待っていてほしい。これらが中々完成しないので告知も大々的にできないという厳しい状況ではあるのだが、何とか2人で乗り切っていこうと思う。最後に椙元君には椙元君の人生があり、自分の方からは見えていない事情もあることと思うので、今後もその才能を活かしてデザイナーとして活躍することを祈っている。

追記

その後、音信不通だった椙元君から連絡があった。謝罪の言葉と音信不通の原因とまだ参加したいという気持ちが残っていることを聞いた。また以前よりも作業が進み、ほぼ完成に近いデータを提供してもらえた。これに関しては彼の仕事は他の人では代替できない部分があるので、作品としての完成度は最大限のものが提供できることになりそうだ。また自分としては一先ず安否確認ができたことと、音信不通の原因と彼の気持ちが確認できたことで気持ちが大分楽になった。人は必ず間違いや過ちを犯すもので、一度音信不通になった後に自分で自分の責任を取りに来ることは非常に勇気のいる行為だ。なのでこの件に関しては自分はもう追及しないし、反省の気持ちはこのプロジェクトだけに限らず今後の行動で示してもらえればと思う。原因としては主に土日を含めて仕事に忙殺されていたとのことで、彼の仕事の役割を限定することと、連絡のハードルを下げることで本業が忙しくてもできるだけパンクしないように配慮することにした。椙元君には改めてできる範囲で仕事を依頼することになるが、彼に担当してもらう仕事内容としては主に既に出来上がっているデータの修正、素材の提供、デザインのアドバイスに限定する予定で、ラストスパートを再度3人で駆け抜けられればと思っている。

語尾が気になる現象

語尾が気になる現象

個人的に語尾が気になるという現象がある。これは何かと言えば、キャラ付けのために語尾に特定の文字を付けることがあるが、それが気になってしまう現象のことだ。この手法はフィクションのキャラで多用されるが、現実の世界でもキャラ付けのために使用されることもある。これを実行しているのを見ると、観察者羞恥 (共感性羞恥) と同様に見ていられないという状態になることがある。その反応は語尾が何であれ変わることはないのだが、今までその原因について改めて考えてみたことはなかった。なので、今回の記事では何故自分がそういう語尾が気になるという現象に苛まれてしまうのかの理由について考察してみたい。

諸刃の剣

語尾に特定の言葉を使用するキャラ、人を見て真っ先に思い浮かぶのは、このキャラ、人はいつまでこの語尾を続けるのだろうかという疑問だニル。フィクションのキャラならまだしも、現実の世界でのキャラは語尾に何かを付けることで認識されている場合、それを急に変えることは本人も周囲も既に飽きていたとしても困難を伴うニル。そうなってくると見ている側からしても生き地獄のような状況で、語尾がそもそも気になるのと、いつそのキャラから脱するのかが気になるという二重の気になり具合に襲われるニル。例えば漫画においてはキャラ付けのために特定の語尾を付けると、簡単にキャラ付けすることが可能になる反面、後にそのキャラが重要な人物になったり、性格の変更があった際に路線変更が難しくなるという副作用があるニル。また別の例で言えば例えば一発屋はそもそも一発当てている時点で偉いという主張はあり得るのだけれど、一発屋になってしまう原因の一つに特定の語尾を付けることでキャラ付けし、そのキャラが定着しすぎて飽きられても別の路線に変更できなくなるということがあるニル。そういった意味で特定の語尾を付けてキャラ付けすることは、諸刃の剣であることが分かるニル。

黒歴史化

如何だっただろうか?先程の項目では全ての文の終わりに「〜ニル」という語尾を付けてみたが、違和感を覚え、内容が頭に入ってこなかった人も多かったのではないだろうか?この自己犠牲の精神の上に成り立った実演でも良く分かるように、特定の語尾を付けるということは、一項目前が一瞬で黒歴史化するほどの威力を持っているものなのである。キャラ付けに関しては変更しても影響の少ない要素や、日常的に使用する頻度が高すぎないものであるならば影響は少ない。もしくは特定の言葉で始まって、特定の言葉で終わる程度なら許せる場合が多い。しかし語尾のように日常的に使用頻度の高いものが固定化されると飽きられるのが早いし、見ていられない度も急激に上がる。そういう訳で、キャラ付けに語尾を使用するのはほどほどにしていただきたい今日この頃なのだニル。

五つの共感されない感覚

五つの共感されない感覚

今回はほとんどの読者の方に共感されないであろう五つの感覚の話をする。しかしこれらの感覚は個人的には生きている中でずっと存在している感覚であり、自分にとっては自然な感覚だ。今思ったことだけれど、こういった共感されない感覚を表現するためにアーティストをやっているような部分もあるのかもしれない。その共感されない感覚を表現することで、さらに共感されないことが分かるというスパイラルに入ることもあるし、意外と表現してみたら共感されることもあるのだけれど、それはそのどちらが優れているということではなく、その感覚を表に出してみるということが重要なのだと思う。

方向案内の捉え方

平面の上下と立体の前後

最初の共感されない感覚を一言で言うと、平面の上下と立体の前後が同一視されることに対する違和感ということになる。一番分かり易いのが、駅の方向案内の上向きの矢印。これは平面の上なのだが、立体では前を意味するので、前に進むということになる。ただ時々その表示が前を意味すると共に、階段などを上がる上を意味していることもあり、実際には完全に前を意味している訳でも、上を意味している訳でもない。

xとzの平面、xとyの平面、yとzの平面

仮にx、y、zをそれぞれ横軸、縦軸、高さとする。方向案内はxとzの平面に表示するのが利便性が高いので、その場合はyという縦軸を使えないためにこの問題が生じる。例えば方向案内をxとy、もしくはyとzの平面に表示するのであれば前後が表現できるだろうが、その場合は正面を向いた場合に下の地面、もしくは横の壁面に表示されることになるので利便性が低くなる。もしくは立体で方向案内を表示するということもあるが、この場合は正面から文字が読みづらいという問題に直面する。

立体的な捉え方、平面的な捉え方

こういった方向案内に対して普通は何も考えることなく、自然と理解して自分の向かう方向が分かるのだと思う。ただし自分の場合は一旦そのxとzの平面をxとyの平面に立体的に配置し直さないと理解することが難しい。自分が直感的に捉えてしまうと、上は天井を突き破った上、もしくは階が上、下は地面を突き破った下、もしくは階が下なのかなどと思ったりする。斜めの方向なども同様だ。ここまでくると重症かと思われるかもしれないが、恐らく自分にとっては立体的な捉え方がデフォルトで、平面的な捉え方が元々苦手、もしくはその変換が苦手なのかもしれない。最初は文字通り受け取るという方向性での欠落か何かかと思っていたが、何となく立体的な捉え方がデフォルトに設定されているという説明の方が自分としてはしっくりくる。アートに関しても平面より立体、インスタレーションの方が得意ということももしかしたらこの感覚に関連しているのかもしれない。

観察者羞恥

観察者羞恥とは?

次の共感されない感覚は観察者羞恥。これは元々共感的羞恥 (共感性羞恥) として有名な概念で、分からない人には分からない感覚とされている。観察者羞恥とはフィクションかノンフィクションかを問わず、誰かが恥をかくシーンを見ることで自分も恥ずかしくなる感覚のこと。これは元々共感的羞恥と呼ばれていたものが、共感という要素に関わらず羞恥が起こるのではないかという仮説により、今では観察者羞恥と呼ばれているものだ。この概念はマツコ&有吉の怒り新党という番組で共感性羞恥という名前で周知されたので、知っている人も多いかもしれない。共感的羞恥、観察者羞恥に関してより詳しく知りたい人は、以下のリンクから関連する論文が読める。

Empathic Embarrassment: Situational and Personal Determinants of Reactions to the Embarrassment of Another

共感的羞恥と心理的距離

観察者と行為者との関係性が観察者羞恥に与える影響

観察者羞恥が発動する具体例

この感覚については結構昔から感じていた。もしかしたら緩い基準なら共感してくれる人も割といるのかもしれないが、恐らくこの感覚を持っている人の中でもその強度の差はあるのだと思う。特に素人がテレビに出ている番組を見るのが本当に苦手で、素人がずっとやらかしているような気持ちになるので見ていられない。その何とも言えない空回りし続ける空気感というか、そういうものを想像するだけでもう無理。もしくは人が告白するシーンなども苦手で、これはやらせとかフィクションとか関係なく見ていられない。もしくは観察者羞恥の定義通り、人が何かをやらかして恥ずかしい感じになるような場面も見ていられない。ただ怖いもの見たさみたいな感じでそれを垣間見たい時もあるのだが、やはり長時間は見ていられない。

言語厳密性

言語厳密性については、たぶん偏執狂的な性質があるのかもしれない。記号や半角スペースなどを含んだ言語表現に関して、常に校閲、校正の目で眺めてしまう。簡単に言えば自然言語に対して誤字脱字も含めてプログラミング言語的な厳密性を求めている場合があるように思う。もちろん自分で詩や小説を書く場合があるので、その場合はそういったルールは完全に逸脱していくのだけれど、このスイッチが一旦入るとかなりの厳密性で文章を捉えてしまう。これは元々ディベートの論理的な性質を極めた経緯と関係しているという理解もあるかと思うけれど、自分としては実はそれとは正反対なんじゃないかと思っている。何故なら自然言語においてルールはあってないようなものなので、言語厳密性を求めるのは実は非論理的態度だからだ。要するに言語厳密性を求めるのは、そこにある種の文章の美しさを求めており、その神は細部に宿る的な構造的な美しさに対するフェチなんじゃないかと思う。ただこの感覚は他者から見て理解するのが非常に困難なので、文章と詩や小説や音楽や話し言葉とのギャップに驚かれたり、論理的な文章を書く人なんだと思われがちなのだけれど、実はそれは完全に誤解だと思っている。

トライポフォビア

グスタフ・クリムトの絵画は良く綺麗と言われることが多いけれど、個人的にはあれほどグロテスクで気持ち悪い絵画はない。それは恐らく自分にトライポフォビア (集合体恐怖症) があるからだろう。ただ面白いのはグスタフ・クリムトの絵画は気持ち悪いが、草間彌生の絵画は特に気持ち悪いとは感じないこと。何に対してトライポフォビアが発現するかの厳密なルールは自分でも良く分かっていない。自分の性質としては、最初は気持ち悪いと思わなくても、一旦トライポフォビア的な視線で見始めると急に気持ち悪くなるということもある。何か抽象的なイメージ同士が結びついて発現してしまうような時もある。これは不思議なもので、この感覚は他の人にも伝染することがある。他にも例えば床のタイルの丸い円が連続しているものに対して発現したりもする。昔発狂事件を起こしたくらいの時は、目を延々と描き続けてそれを引っ掻くイメージをした際に、何か鉄板が爪で擦れるような感覚にトライポフォビア的な感覚が結びついていたことがある。あれは引きこもりの時だったので、恐らく対人恐怖症的な何かとも結びついていたはずだ。後はトライポフォビアの感覚を簡単に説明するなら、村上龍の小説で確かフジツボが爪の裏に発生して全身を覆うみたいな話があったと思うけれど、そのような感覚と言えば分かり易いかもしれない。ただこの感覚も観察者羞恥と同じくたまに味わいたくなるけれど、全身が痒くなって鳥肌が立ち、瞬時にギブアップすることになる。

共感覚

最後の共感されない感覚は共感覚。共感覚とはある刺激を与えた場合に、他の感覚も同時に生じる知覚現象のことだ。その種類は様々であり、人によってその種類と強度は異なる。アーティストは共感覚を持っている確率が普通の人と比較して7〜8倍高いらしいので、アーティスト同士だと種類は違ったとしても結構感覚が通じたりする。個人的には幾つか共感覚のような感覚はあるのだが、一番分かり易いのはアルファベット、数字と色の共感覚。以前からこういった感覚はあったのだけれど、今回初めて研究データとしても使われる本格的なテストを受けてみることにした。

The Synesthesia Battery

テストは以下のウェブサイトから登録して受けることができる。

The Synesthesia Battery

テスト終了後に判定に関連するスコアの部分だけ撮影したスクリーンショットが以下。

それぞれのテストに対して重要な結果の部分だけ抜粋すると以下のようになる。

Grapheme Color Picker Test
Score: 0.52

Speed-Congruency Test
Accuracy: 88.89%

Grapheme Color Picker Testはアルファベットと数字がランダムに出現して、それに感じる色をカラーピッカーからひたすら選んでいくという内容のテスト。全部で繰り返されている問題を含めて100問以上あった。Scoreが1.0以下の場合は通常共感覚者として判断される。共感覚者ではない人が記憶に頼ったり、自由な連想でテストを受けた場合は大体2.0の範囲内になることが多いとのこと。0.0の場合は選択した色が毎回寸分の違いもなかった場合になるのだけれど、それは普通に考えて無理というかそこまで厳密にやる気にならない。今回はScoreが0.52なので共感覚者ということになる。Speed-Congruency Testは、Grapheme Color Picker Testで選択したアルファベットと数字に対する色の組み合わせがランダムに出現するので、それを瞬時の判断で合っているか合っていないかを選択していくという内容のテスト。確か2分程度だったと思う。Accuracyが85〜100%の場合は共感覚者として判断される。今回は88.89%なのでこの指標から見ても共感覚者ということになる。ぶっちゃけ焦って何問か確実にミスった覚えがあるので、実感としても大体合っている。

より詳しく知りたい方は以下の論文を参照してほしい。

A standardized test battery for the study of synesthesia

共感覚者の感覚

個人的にはこのテストで自分の感覚が全て可視化されたとは思わないし、共感覚のような感覚がスコアにされることに対する抵抗感もなくはない。ただ一種の目安としては使えるんじゃないかと思う。自分的にはプロジェクトや作品の名前を考える場合にその色も含めて考えることがあるのだけれど、それについては余り人に共感されないだろうから言ったことはない。さらに今回の別のテストで判明したのは、自分の共感覚は投写型よりも連想型に近いタイプであるということ。これはどういうことかと言うと、共感覚によって生じる色が自分の外の空間ではなく、心の目の中に見えるタイプであるということだ。これは以前からずっと何となく感じていたことなのだけれど、こういう分類があることを初めて知って納得がいった。どちらかと言えば色がそのまま見えるというよりは、分かる、もしくは感じられるという方が感覚として正しかったのだけれど、それは連想型であるということで説明が付く。また人の感情がよりダイレクトな感覚として伝わることがあったり、音が情景として感じられることを作曲に活用したりしているのだけれど、これらに関しても個人的には共感覚の一種だと思っている。音に関しては良くある共感覚の絶対音感のようにある周波数と色が結びついているわけではないから、これらの共感覚に関してはよりスコアとして定量的に測定するのは難しいとは思う。

今回の記事のまとめ

今回の記事では個人的な五つの共感されない感覚について書いてみた。あなたは一体幾つの感覚について共感することができただろうか?一つでも共感できる感覚があったならば嬉しいし、一つも共感できなかったとしてもそれはそうだろうなとも思う。人には多様性があるので、今回の記事では書かれなかったような様々な共感されない感覚があるはずで、意外と誰でも共感されない感覚は持っているものだと思う。今回の記事では割と自分の感覚についてさらけ出してみたのだけれど、身近にいる人と共感されない感覚について話し合ってみると、意外と新しい発見があり、楽しめるんじゃないかと思った。

夫婦喧嘩は犬も食わない

以前「猫の手も借りたい」という記事でNILOGの手抜きに失敗したのが記憶に新しいが、今回はそのリベンジとして犬にまつわる10句のことわざの教訓を松居一代騒動を通して紹介したい。なにせ外は暑すぎるし、部屋にあるクーラーにドライ = 除湿機能が付いていることは今更知ったし、100mlくらい脳が溶けてる気がするし、松居一代のYouTuberとしてのホラーっぷりは涼しいというよりは寒すぎるし。

1. 犬も歩けば棒に当たる
意味: 松居一代のこと。

2. 負け犬の遠吠え
意味: 松居一代のこと。

3. 喪家の狗
意味: 松居一代のこと。

4. 犬に論語
意味: 船越英一郎の胸中。

5. 犬猿の仲
意味: 松居一代と船越英一郎のこと。

6. 飼い犬に手を噛まれる
意味: 松居一代と船越英一郎の胸中。

7. 犬が西向きゃ尾は東
意味: 松居一代と船越英一郎が離婚すること。

8. 煩悩の犬は追えども去らず
意味: 松居一代の現状。

9. 犬馬の労
意味: 松居一代に必要なこと。

10. 夫婦喧嘩は犬も食わない
意味: 松居一代に言って聞かせたいこと。

一つだけ聞きたいのだけれど、彼女は一体何と戦っているのだろうか?