しりとりの修行を積んでみた

しりとりの修行

しりとりは奥が深い。しりとりが言語に依存することは言うまでもないが、そこには幾つかのルールと戦略のバリエーションが存在している。一番有名なルールは「ん」が付くと負けというものだが、実際には「ん」の付く言葉は皆無ではないので高度なルールでは「ん」の使用が許可されることもある。ここでしりとりのエッセンスを取り出すと、「言語空間と知識の制約を受けながら、言葉を紡ぎ出す連想ゲーム」ということになる。しかししりとりにとって重要なのはあくまで表面上の言葉であって、意味は完全に置き去りにされているということだ。ソシュール言語学で言うならば、シニフィアンが重要なのであってシニフィエは問われない。よってしりとりにおいては、その無意味な文字の連なり、突飛な連想ゲームが最終的に塊として出現することになる。そこでその塊は何かを示すことになるのかもしれず、そのことを検証するために今回はしりとりの修行として一人しりとりを異なる方法でやってみたいと思う。

100回しりとり

実演

しりとり → 陸上競技 → 擬態 → 板 → 体力測定 → インノケンティウス3世 → イタチ → チリ → 林檎 → ゴーストライター → 魂 → 椅子 → 水泳 → イスタンブール → ルミノール → ルール → ルクセンブルク → 鯨 → ライチ☆光クラブ → ブール関数 → 宇宙 → 鰻 → 餃子 → ザクロ → ロックンロール → ルービックキューブ → ブラジル → ルンバ → バミリ → 理化学研究所 → ヨーロッパ → パセリ → リュウグウノツカイ → インポテンツ → ツインビー → ビール → 流刑 → イチジク → 熊手 → 出口 → 地球 → 鬱血 → 津軽海峡 → 烏骨鶏 → イッテルビウム → ムー → 村 → 落雷 → イチョウ → 運動会 → インフルエンザ → 財務省 → 牛久 → 国木田独歩 → ポカホンタス → スマイリーキクチ → チャルメラ → 落花生 → イリジウム → 骸 → ろくろ首 → ビット → とんねるず → ズーラシア大陸 → 工藤新一 → 血 → 秩序 → 洋室 → 積み木 → キュウリ → リーマンショック → 空海 → インド → ドイツ → ツンドラ気候 → 馬 → マイクロメートル → ルイジアナ州 → 雲梯 → 命 → 超能力 → 苦海浄土 → 土木 → 苦行 → ウーマンラッシュアワー → ワニ → 虹 → 地雷 → 伊能忠敬 → 海上保安庁 → 浦島太郎 → うたた寝 → ネバーランド → ドリーム・シアター → 短冊 → クトゥルフ神話 → ワンダと巨像 → うちなーぐち。

分析

まず100回しりとりをやってみた。ルールとしては「ん」を付けることなく、単純に100回しりとりを繰り返すことができれば成功。やはり1人でやっている分、自分の知識や好みの傾向、偏りが出てくる。また「インノケンティウス3世」については、「インノケンティウスループ」というテクニックがある。これは何かと言えば、インノケンティウスは3世が特に有名だが、実際には1世〜13世まで存在しているので、「い」の付く言葉が来た時には13回これらの「インノケンティウスストック」を使用することが可能になる。欠点としてはその戦略がばれた時点で「インノケンティウスループ」が禁止される可能性があることと、「インノケンティウスループ」においては最後が「い」になるので、相手も同様にそのテクニックを使用してくることで、一気に「インノケンティウスストック」が消費されてしまう可能性があることだ。他には元素記号を覚えておくと有利なことと、「る」攻めの中でも特に「る」で開始して「る」で終わる「ルール」、「ルミノール」などは覚えておくと良い。個人的には地球 → 鬱血 → 津軽海峡 → 烏骨鶏 → イッテルビウムの流れが好き。

文字数増加しりとり

実演 (日本語)

絵 → エイ → イチゴ → ゴミ箱 → コカコーラ → ラウドロック → クロネコヤマト → 冬虫夏草 → ウクライナ航空 → ウッチャソナソチャソ → 総合人間学部 → 文豪ストレイドッグス → スマトラオオヒラタクワガタ → 大日本帝国憲法 → 宇宙戦艦ヤマトシリーズ。

実演 (英語)

I → it → toy → yell → light → tripod → darling → Gregoria → Arlington → navigation → nationality → youthfulness → sexualization → neurobiologist → troubleshooting.

分析

次に文字数増加しりとりを日本語と英語でやってみた。日本語に関しては濁点の使用や、〜シリーズの使用など際どいところもあるが、15文字が限界だった。英語に関しては初めての試みなのでやり方に戸惑い、動詞や形容詞を挙げたくなるところを我慢して名詞で頑張ったものの、こちらも15文字が限界だった。ただ単にそれらより長い単語なら思い付かないこともないのだが、しりとりという連なりの制約上難しいものがある。振り返ってみると特に日本語では「う」攻めで自爆し、英語では「n」攻めで自爆するなど勝手にどつぼにはまっていく過程が垣間見える。実演してみた結果、100回しりとりよりも文字数増加しりとりの方がシビアであり、特に最後の文字を何で終わるかが後の命運を分ける可能性がより高くなる印象を受けた

今回の記事のまとめ

今回の記事ではしりとりの修行ということで、100回しりとりと文字数増加しりとりを実演し、後に分析してみた。現代においては言葉や知識の重要性が相対的に低くなってきていることは確かであり、特に内容や意味を伴わない単語の羅列は人間の得意な領域でないことは確かだろう。しかし一方で自分の脳内の内蔵HDDに言葉や知識があることの重要性は変わらず存在している。それはつまり自分が使える画材が手元にあるということであり、また世界の解像度はそれらに依存するということであり、Google検索に入れる単語をそもそも知っていなければならないという問題への対処方法でもある。他にも連想で連なる単語から描ける想像力というものも存在している気がした。Wikipediaが存在している今、百科事典や辞典の意味も失われつつあるわけだが、一方でまとまった読み物として考えるならば、むしろそれらを今読んでみるのも面白いのかもしれない。

すしざんまい 本店に行ってきた

築地の罠

築地といえば海鮮、海鮮といえば築地。豊洲市場の開場日は今年の10月11日に決定したようだが、築地にはどこか江ノ島と似たような雰囲気を感じていて愛着がある。しかし築地には罠がある。そう、時間の罠だ。夕食時に築地を訪れても、ほとんどの店が閉店してしまっており、選択肢が非常に限られてしまう。そして夕食難民として築地周辺を彷徨い歩く中、過去の記憶がフラッシュバックしてくる。以前の時は何とか夜まで営業している店を見付け、夕食を食べたのだが、折角築地に来ているのだから別の店に行きたい。また一旦候補の店を決め、もう一周して他に何もなかったらそこに決めようとしていたのだが、もう一周回ってきたら何とその店が混み合っていた。そこで店の前を通る度にちらついていたすしざんまいのイメージが脳内で浮かび上がってくる。結局Hailey’5 Café渋谷店 → 変なホテル東京 銀座 → すしざんまい 本店という鮮やかな流れに身を任せ、可能世界の世界線を収束することにした。

すしざんまい 本店

早速すしざんまい 本店に入る。余談だが本店という響きには魔力がある。別に本店だから何が優れているという保証もないのだが、何か凄いのではないかと思えるそのハッタリこそが食事にとって重要な要素だ。店内は中々混み合っていたが、特に待つこともなく2階席へ案内された。このタイプの店にしては店員の数が異常に多く、活気がある。客層としては年齢層も人種も様々で、多様性に溢れている。席に着くといかの塩辛と海鮮ちらし丼を注文した。どちらも結構美味く、特に海鮮ちらし丼は量的にも十分。そもそも外食で余り不味いと感じない人間なので非常に満足し、素早く食べ終え、会計を済ませて店内を出る。

変なホテルとすしざんまいのコンボ

はすしざんまい 本店は24時間・年中無休らしいので、築地で夕食難民化してしまった際にはここに行けば良いと思った。それ以外の有名店などに行きたい場合は、事前に調べるなどご利用は計画的に。今回は寿司を食べなかったけれど、見た感じ美味しそうな印象だった。また接客に関しても本店だけあって、レベルが高い。本店繋がりで言えば、来る道の途中に築地銀だこ 築地本店があり、行きの際は帰りにそれを食べようかなどと思っていたのだけれど、お腹いっぱいでそれどころではなかった。というより帰りの時間には既に閉店していた。ちなみに変なホテル東京 銀座からすしざんまい 本店までは歩いて行ける距離なので、この周辺に来る際にはそのコンボを決めてみてはいかがだろうか。

変なホテル東京 銀座に宿泊してみた

変なホテル

変なホテルという名前のホテルがある。自らを変と自己主張するものに限って割と普通という法則は、人生の経験則として普遍的なものだ。しかし、ホテルが変ということはアニミズム的な日本ならではの哀愁を感じなくもなく、そこには一定の愛着が湧いてくる。そのようなことを特に考えることもなく、日程と価格と場所の条件が合ったので変なホテルをポチッと予約した。実は変なホテルについては、数年前に長崎のハウステンボスにできた当初から知っていた。しかし今回予約した変なホテル東京 銀座は今年に入ってからできたかなり新しいものであり、「変なホテル」という名称と「銀座」という名称が組み合わさることで、メロンソーダとエスプレッソを混ぜたようなメロンプレッソ感が出ている。というわけで、今回の記事ではその変なホテル東京 銀座に宿泊した体験について書いてみようと思う。

変なホテル東京 銀座

まず初歩的なミスを犯す。変なホテル東京 銀座というホテル名を見て、銀座駅が最寄り駅と勘違いしていたのだ。実際には新富町駅が最寄り駅で築地に近いのだけれど、予約した際の地図には新豊駅と書いてあり、ますます混乱は深まる。結果到着するのに大分時間がかかった。若干遅れて変なホテルに到着すると、事前情報の通りロボットが接客すると思いきや、普通の人間が出現する。そして普通に予約の確認を済ませる。その間もずっと受付の人間をロボットかアンドロイドかと疑って警戒していたのだが、どこからどう見ても普通の人間だった。結局チェックインに関してロボットが関わったのは一瞬だけで、正直拍子抜けした。チェックインを済ませると、エレベーターを使用して部屋へ移動。良いところ、悪いところを箇条書きにしてみると、以下のようになる。

良いところ

・部屋は十分広い。
・風呂が綺麗。
・テレビが大画面で、スマホのYouTubeの映像を投影して楽しめる。

悪いところ

・変にテクノロジーを駆使しようとして、逆にUX/UIのクオリティが下がってしまっている。
・LG Stylerの音が大きい。
・変ではない。

結論

結論を言うと、変なホテルは変ではなかった。何もかもが凄く普通で、特段に良いところも、特段に悪いところもなく、無難な印象。変なホテルというハードルを掲げてしまっているのでこういう評価になってしまうが、別の名前だったらまた違う評価になったかもしれない。ただロボットを使用した接客にはまだまだ超えなければならないハードルが沢山あるのだろうな、と思わせるには十分な宿泊体験だった。実際不気味の谷も結構発動していたし、むしろ恐竜のロボットを見てみたかった感もある。「変わり続けることを約束するホテル」ということで、数年後に何もかもが変わった変なホテルへと変貌を遂げていることを期待したい。

Hailey’5 Café渋谷店に行ってきた

Hailey’5 Café渋谷店

Hailey’5 Café渋谷店に行ってきた。まず18歳以上限定かつ完全防音なので店内の雰囲気は落ち着きがあり、個室にも静寂が漂っている。雑音や騒音に過敏に反応してしまう自分のような人種にとっては、このルールと設備はありがたい。また平日の場合は9時〜18時までならフリータイム1500円で使用できるので、コスパも悪くなく、アイスを含めたドリンクバーの利用が可能で、漫画も読み放題である。一応事前に予約して部屋と時間を確保するのがベターで、1時間までなら外出も許可されている。予約するとQRコードと予約番号が発行されるのは便利だが、登録とクレジットカードでの支払いをカウンターで済ませるのは多少時間がかかった (現金の場合は機械で支払い可能)。個室が余りに快適なので食べ物などをかなり注文してしまったのだけれど、持ち込みや外出も可能なことから考えると無理に全てを内部で済ませる必要はないかもしれない。

『食戟のソーマ』

折角なので漫画を読むことにしたのだが、『食戟のソーマ』で久々に週刊少年ジャンプの世界観に浸った。料理バトル漫画の代表といえば週刊少年マガジンで連載されていた『中華一番!』が真っ先に思い浮かぶが、その審査員たちの顔芸とエロ芸の伝統、ジャンプ流の「友情、努力、勝利 、(血統)、(インフレ)」を引き継いでいるのが『食戟のソーマ』である。ただ主人公が勝つことを至上目的とせず、負けても挑み続ける姿勢、定食料理屋の息子という出自をフル活用すること (ワンピースのルフィで言えばゴム人間的な選択と集中) などには久々にベタな感動を覚えた。YouTuberの始祖たる『ONE PIECE』より『HUNTER×HUNTER』派の自分としては複雑な心境だが、分子ガストロノミーなどアーティストとしても興味深い主題を扱っており、そもそも料理とアートという関係性に興味のある自分としては面白く読んだ。

総合的な評価

結局予約の通り合計5時間30分程度利用したのだが、時間が経つのが相当早く感じた。24時間営業であり、別料金でシャワーも使えるので、宿泊用としても使いやすそう。また都内に渋谷店と池袋店の2店舗があるので、より近い方を選べるのも便利。総合的に見て満足度が高く、都内で落ち着いた雰囲気かつコスパがある程度良い漫画喫茶を探している場合は、選択肢に入れても良さそう。ちなみに今回はシアタールームを利用したが、ネットルーム (リクライニング) もあるようだ。この日はこの後、変なホテルに宿泊し、寿司ざんまいに行ったのだけれどそれらについてはまた後日。

「人狼ジャッジメント」で遊んでみた

「人狼ゲーム」とは何か?

今年の2月から配信開始され、流行りすぎて既に衰退の兆しも見える「人狼ジャッジメント」。今回はそのアプリで遊んだ経験を元に、「人狼ゲーム」と「人狼ジャッジメント」について自分なりの考え方を簡単にまとめてみた。まず「人狼ゲーム」のルールや遊び方について知らない人は各自調べてみてほしいが、この記事ではそこからさらに一歩踏み込み、「人狼ゲーム」とは一体何なのかについて考えてみたい。それでは早速「人狼ゲーム」の要素、流れについてまとめると、以下の三つのようになる。

1. 人々の発言を元に、様々な役職、陣営の視点からの幽体離脱/憑依を繰り返すことにより、論理的な考察を進める。

2. その視点整理から導かれる考察を元に、自陣営に有利になるように、エモさを考慮しつつ発言と選択を繰り返す。

3. 敵対する陣営同士が最善を尽くすことにより、協力し合って勝敗を付ける。

反面教師の実例を通しての学び

幽体離脱/憑依

「人狼ジャッジメント」を実際にプレイしている中で、上記の3要素を考える上で反面教師の実例になるような出来事があったので、それについて書いてみたい。まず個人的にはその他の人の役職、陣営の視点になって考察することを、1のように幽体離脱/憑依と呼んでおり、意外とこれができない人が多い印象を持っている。「人狼ゲーム」では特殊な能力を持たない一般人を含め、全ての人に役職が与えられている。その役職は通常本人にしか分からず、また特殊な能力を持っている場合はその役職持ちの視点でしか分からない事実が存在することになる。そこでまずは自分の役職、陣営の視点を整理し、他人の発言を元に誰がどの役職なのかを論理的に考察を進めることが第一歩。しかしそこで止まっていてはダメで、さらにそこから違う役職、陣営の視点であったら今この状況はどういう盤面なのかを考察することがこのゲームの深みになっている。つまり自分視点だけ考えていてはダメで、限られた時間内で数多くの可能性と確率を幽体離脱/憑依を繰り返してトレースしていくことに「人狼ゲーム」の楽しさがある。

占い師の主張

ここで一つ実例を挙げるとする。市民3、人狼2、占い師1、霊能者1、狩人1、狂人1のデフォルト9人村での出来事。初日占い師が2人CO、霊能者が1人COして、初日占いの結果グレーが4人だった。そこでそのグレーの中から昼に1人が吊られ、夜にベグで占い師の1人が襲撃された。そして夜が明けた次の日の占いでグレーの中から黒出しされ、霊能者の結果は白。この状況で残った方の占い師が強く真を主張し、その黒を吊るしかない場面だと言っている。これに対して村はどう対応するべきか?まず村としては自分の役職、陣営の立場、つまり村目線で考えてここで残った方の占い師の黒出しを吊り、それが白だった場合の可能性を考える。すると狩人が既に死んでいる場合か、生きていてもGJが出なかった場合はPP、もしくは狩人がGJを出したとしてもRPPの場面ということが分かる。また初日囲いの可能性も考えると、襲撃されなかった方の占い師はどうしても怪しく見えてしまうという意味でも、占い師ロラが安定と考える。ただし最初に噛まれた占い師が明らかに人狼陣営の疑いが濃い、もしくは残った占い師が信用に値する発言をしている場合は思い切って黒吊りもあり。また狩人COも考えられる場面だが、狩人COはない。

自分目線への拘りと村目線の欠如

ここで重要なのが占い師の発言なので、何人かの人がそのPP、RPPの可能性を伝えた。そうするとその占い師はPP、RPPなどはどうでも良く、自分は真で黒出しをしたんだから信じて黒を吊ってくれという発言を繰り返していた。既にお気付きの方もいると思うが、この占い師の発言は全く村目線ではない。仮にこの占い師が真だとすれば幽体離脱/憑依が全くできておらず、自分視点で正しいことをただ正しいと伝えているに過ぎない。まずその占い師が真であるという事実を知っているのは自分だけなので、その事実を知ることができない村人陣営からすれば、村目線で見て負けが確定するかもしれない選択を強引に進めようとする占い師は狂人に見える。結果としてその占い師は真だったのだが、村の選択としては占い師ロラが実行されることになった。この場合この占い師は1がそもそもできていなかったことと、2の「自陣営に有利になるように」という発想が抜けていたと言える。なので他人からは確信できない自分の視点だけに拘り、村目線で考察することを放棄し、他人を上手く説得することができなかった。論理的な考察をして村目線で考えたとしても、エモさを考慮に入れていないために逆に怪しまれたり伝わらないことがある。そういったもどかしさや難しさを含めて「人狼ゲーム」は面白いのだが、今回の場合はそれ以前の問題だった。

村目線の発言例

最終的にその占い師は墓場で罵倒を繰り返し、負け確定と騒いでいたが、結局村人陣営が勝利した。勝利した後も自分を信じずに吊った人に対して謝罪を求めるように言っていたが、結果的に勝利したということはそもそも吊って正解だったということなので村人側は何も悪くない。というよりそもそも「人狼ゲーム」は騙し合うゲームなので謝罪も何もなく、信じてもらないのは自分の実力不足でもあるし、墓場の神視点で人を断罪したり、罵倒したりするのは問題外である。むしろ残った占い師が狂人っぽい振る舞いをしたことは利敵行為とまでは言わないまでも、自ら吊られる要因を作ってしまっているし、論理的な考察や村目線では考察できない占い師を残していても村利は少ない。よってあの場面では「村目線で見ればPP、RPPの可能性があるので、今夜私が吊られることは覚悟しています。狩人のCOがあるなら、今のうちに出てもらいたいです。」「遺言としては私目線で〜は黒で、他にも人狼が1匹いるので、できれば次の日は〜を吊ってほしいし、ラインを探してほしいです。またその時点で霊能が残っていれば色を見て判断してほしいです。占い師はもういなくなりますが、村人陣営頑張ってください。」などと発言していれば、少なくとも村目線で発言していると思われたはず。その場合も狂人が村目線で惑わす発言をしているとも取れるので、吊りの運命は変わらなかったかもしれないが、もしかしたらPP、RPP対策し過ぎるのもつまらないね的な展開になったかもしれない。

敵対する陣営同士の協力プレイ

また「人狼ジャッジメント」に関しては基本的に試合放棄や利敵行為をしてはいけない。自分の気に入らない役職だから放棄、仲間の人狼をバラすなどは全員のやる気を削ぐ。ただしたまにアプリが落ちることがあり、自分の経験としても何度も接続し直してようやく復活した頃には吊りが決定していたことがあったが、その場合は素直に状況を伝えて謝れば良い。そもそも「人狼ゲーム」は敵味方の陣営を問わず、参加者全員が協力して最善を尽くさないと面白くならない。そういう意味では3に書いたように、「人狼ゲーム」は自陣営とだけ協力すれば良いのではなく、敵陣営との協力プレイが本質とも言える。勝ち負けに拘るのは結構だが、その前提を忘れると敵陣営だけではなく、自陣営にも迷惑をかけることもあるので、ゲームを楽しむためにもその大局を忘れないようにしたい。

「人狼ジャッジメント」への要望

最後に人狼ジャッジメントのオンライン対戦 > 全国対戦への要望を二つ書いておく。

1. 屋敷に関して初心者部屋、中級者部屋、上級者部屋への参加は、レート制に基づいて選択できるようにしてほしい。

2. 墓場チャットの表示/非表示を観戦者が選択できるようにして欲しい。

レート制の導入

1に関しては現状初心者部屋、中級者部屋、上級者部屋、誰でも部屋が選択できるが、特にレートなどが設定されていないため、レベルが合っていない人同士がマッチングしてしまい、終始噛み合わない状況を度々見掛ける。上のレートの人は下のレートの部屋にも参加できるようにしても良いが、基本的にレベルに関係なく遊びたい人は誰でも部屋で遊ぶようにすれば良いと思う。荒らしに対してはブロックである程度対処できるけれど、レベルの違いは現状自己認識による。そして実力が低いうちは客観的に自分の実力を把握できないのもまた当然なので、そういった事故を防ぐためにもレート制の導入はありだと思う。レートのポイントは何をどうすれば上がる、もしくは下がるのかは幾つか実装してみなければ分からないけれど、少なくとも何も指標がないよりはましなはず。ただ「人狼ゲーム」は基本的に個人戦ではないし、レートのポイントによるマウンティングなどが流行してもつまらないので、基本的にはレートは隠れていて、ある一定の閾値に上がり下がりすると入れる部屋が変わるというくらい緩い設定をしても良いかもしれない。

墓場チャットの表示/非表示

2に関しては今後のアップデートで変更になるかもしれないけれど、現状の全国対戦では観戦者が墓場で発言ができないし、墓場チャットは丸見えになっている。それについて考慮してくれるプレイヤーもおり、墓場でのネタバレ禁止をしてくれることもあるのだけれど、これは誰か1人でも破ると無意味なので、基本的には結構な確率でネタバレが起こっている。また何故か観戦者は墓場チャットを見ることができないようにアップデートされたというデマが広がっており、ネタバレしても大丈夫だね的な発言を見ることが度々あるのだけれど、その発言も含めてしっかり見えている。これに関しては観戦者が墓場チャットの表示/非表示を選べるようにするべき。そうすれば墓場の人々は安心してネタバレをして楽しむことができるし、観戦者はネタバレしながら見たいなら表示、したくないなら非表示を選択すれば良い。また参加者の中で墓場のネタバレを見たくないという人もいるかもしれないので、その場合は参加者にも非表示があっても良い。ただその場合は他の墓場の人の発言を無視する形になるかもしれず、悩ましいところ。

「人狼ジャッジメント」のまとめと『レイジングループ』

YouTuber (ゲーム実況者) のおかげなのか、現在大盛況の「人狼ジャッジメント」。しかし人が大量流入するにつれて、深夜〜朝の時間帯しかまともにプレイできないようになっているようにも感じる。「ワンナイト人狼」などは比較的少人数でも行えるけれど、1人でも参加できるし、部屋もすぐ見付かる「人狼ジャッジメント」は良いアプリだと思う。また基本無料でプレイできるのはありがたいけれど、逆にもっと課金などで儲けなくて大丈夫なのかと心配してしまう。今回の記事では「人狼ゲーム」についての大きな枠組みと、「人狼ジャッジメント」の実例を通して説明したけれど、気が向いたら今後基本戦略や自分がやっていることについて解説することもあるかもしれない。最後に「人狼ゲーム」が好きな人は『レイジングループ』も絶対に好きなはずなので、必ずやってみてほしい。ホラーやグロが苦手な人でも比較的大丈夫なはず。また『レイジングループ』は今年の夏〜秋頃に続編が出るらしいので今から期待しつつ、しばらくは死のスケジュールの合間に「人狼ジャッジメント」で殺戮の現場を楽しもうと思う。

「ZOZOSUIT」が届いたので体形採寸してみた

「ZOZOSUIT」届く

先日発送が遅れに遅れた「ZOZOSUIT」が遂に家に届いた。

袋を開封して中身を取り出した写真が以下。

断り書きにはセンサー方式からマーカー方式へと進化したと書いてあるが、これに関しては一先ず置いておく。「ZOZOSUIT」の上下を取り出し、計測用スマートフォンスタンドを組み立てる。

ここからはZOZOTOWNのアプリをダウンロードし、指示通りに計測していく。流れとしては「ZOZOSUIT」を着用し、時計回りに12回写真撮影が終了すると結果が表示されるようになっている。ただしテーブルの高さが低かったせいか、位置の前後が合わず、何度もアプリに注意される羽目に。さらには部屋の明かりが明るすぎてセンサーが読み取れないと言われたので、少しだけ暗くしたら暗すぎて無理ゲーと言われ、中々注文の多いアプリであることを把握する。計測結果に関してはここまで詳しく体系採寸したことがないので、どの程度の精度なのかはいまいち不明ながらも、大体正しそうな印象を受けた。最後に「あなたサイズ」の服と有名人がそれを着ている写真などをチラ見し、アプリを終了した。

センサー方式からマーカー方式へ

ここからは先程置いておいたセンサー方式からマーカー方式への進化について書く。進化は退化を伴うということは良く言われるが、ファッション的、もしくはコンセプトを体現するヴィジュアルとしては大分退化したというのが率直な感想。もちろん計測用なので別に問題はないのだが、こういう商品はブランドイメージが重要なので割とこの変更は痛い感じがする。初代「ZOZOSUIT」はセンサー方式でデザインも全く異なるものだったが、それは失敗に終わり、二代目「ZOZOSUIT」はマーカー方式でデザインが変更されていた。簡単に言えば前者はGantzのスーツのようなデザインだったが、後者はモーションキャプチャーの撮影用の服に水玉模様を鏤めたようなデザインになっている。また発送が大幅に遅れた代わりに送料など含めて無料になったのだが、それに関しては特に怒りも得をしたという感情もなく、色々大変ですねという感想を抱いた。

Maker Movementとビッグデータ

「ZOZOSUIT」に関して興味深いのは、Maker Movementで言われていたような流れに大企業が参入してきたということと、生体情報に関するビッグデータを収集した後にそれをどう活用していくのかということ。前者に関して言えば、デジタルファブリケーション的なカスタマイズ性により、個人に最適化した商品を生産することが鍵になるが、「ZOZOSUIT」はその流れを上手くファッション業界の中で活かそうとしている。また生体情報に関するビッグデータを応用すれば、それはファッションだけではなく医療や全く別の分野でも活用できるはずで、今後ZOZOTOWNがどのような方向性を打ち出していくのかは興味深い。単純にこの「ZOZOSUIT」を活用しようと思ったら、会員登録やアプリのダウンロードも自然に行わせることができるし、注文までの流れもスムーズに行く。しかしそういったビジネス上の上手さだけではなく、背後に隠された鉱脈をどう活用していくかによって、海外の大企業と競争できるようになるかどうかが決まるのではないかと思った。

完璧主義の弊害に対する治療法

スロースターターとボトルネック

今回の記事では完璧主義の弊害をテーマに、その治療法を含めて書いてみる。まず完璧主義の弊害の一つに、スロースターターというものが挙げられる。これが何故起こってしまうのかといえば、完璧主義な人は一度その物事に取り組むと、最終的に完璧に仕上げるまでにどれだけの時間と労力が必要なのかを潜在的に見積もってしまうために、中々取り組む気にならないということがある。またそのハードルを乗り越えて一旦取り組んだとしても、二つ先の物事をやるために一つ先の物事がボトルネックになっていることは良くある。そういったボトルネックが複数存在する場合、そのボトルネックの作業に必要以上に拘り、結局その先の全ての作業がストップしてしまうということがある。例えば油絵を描くためにはそのための画材が必要だ。そして画材には様々な種類とクオリティの差があり、どの画材が良いのかというリサーチを徹底的にしてしまうと、絵を描くという作業が先延ばしになるし、それだけで疲れてしまう。制作においては追い詰められれば追い詰められるほど火事場の馬鹿力的に良い作品が生まれてしまうという可能性は常にあり、そういったものに対する無意識の選択が働いてしまっている可能性もある。しかし基本的にはこういった準備に関する寄り道やスロースターターでいるよりも、24/7アトリエで生活/制作するような意識と手の動かしを止めない方が素早く成長する。なのでそうしないための言い訳になるならば、これは完璧主義の弊害ということになる。

ブリコラージュ的な発想

ではそんな状態を解消するためには何をすればいいかと言えば、一つはブリコラージュ的な発想を投入すること。ブリコラージュとは「身近にある物の寄せ集めで完成させる」という意味があり、これは日曜大工的な発想の延長線上にある。完璧主義的のシステムがトップダウン的な発想だとするならば、ブリコラージュ的なシステムはボトムアップ的に手を動かしながら考えるという発想になる。究極的にはトップダウン的な発想とボトムアップ的な発想は同時並列的に起こっているのが理想であり、様々な角度のコンセプトを考慮しつつも、手を動かしながら最適化を図るのが理想である。しかし完璧主義の傾向が強い人はトップダウン的に物事を考え過ぎる傾向にあり、その傾向が強すぎると何も完成させることができずに、時間だけが経過してしまうという状態になりかねない。それに対してブリコラージュ的な発想は、完璧主義の弊害に対する治療法として有効に機能する。

マイルストーンの組み合わせ

他にもマイルストーン的に小さく分割した目標を設定し、それに沿って動く、もしくは異なるマイルストーン同士を組み合わせるというのもありだ。例えば掃除に関しては、一度取り組み始めると徹底的に綺麗にしないと満足しないために、むしろ日常的に部屋を汚くしてしまうということはあり得る。それに対処するためには、ある程度のところまでやって、途中で止めるという考え方が必要である。そのためには異なる小さなマイルストーン同士を組み合わせることが有効に機能する。具体的には部屋が汚いので、制作に必要なハサミが見付からないという状況があったとする。その場合はハサミが見付かるまで、部屋の掃除を続けるというマイルストーンの組み合わせを設定してみる。するとハサミを見付けるという小さな目標と、部屋を掃除するという小さな目標が重なり合い、一石二鳥の状態を作ることができる。しかも一つ一つのタスクは労力が小さいので、取り組みやすいというメリットもある。これによって汚い部屋で延々とハサミを探し続けるという不毛な労力と、部屋を完璧に片付けなければならないという不毛なストレスから解放され、両方を効率良く行いながら目標を達成することができる。この目標を小さく分割し、組み合わせるという発想、途中で止めるという切断、適当であるという自由さは完璧主義に効く薬である。

負けず嫌いという成長の阻害要因

最後に完璧主義に付随しがちな性質である、負けず嫌いについて。これは例えばスコアに関して一度でも負けたら全てを無にするためにリセットしたい、自分の技術がある程度上がるまでは人前で一切見せたくないなどの心情/態度と深い関わりがある。こういった心情/態度は実は物事を学習するためには一番有害かつ非効率的なものだ。自分が全くできない状態で上級者たちが群がっている場に食らい付き、最初は笑われながらも上を目指していく姿勢というものが学習にとっては必要であり、最終的には一番成長が早い。成長にとっては別に何回負けたっていいし、何度失敗してもいいから最終的にそこに到達するという根拠のない自信と、場違いな中でその現場に居続け、物事に取り組み続けることが最も重要なファクターだ。もちろん完璧主義で負けず嫌いであるという性質は悪いことばかりではなく、そういった性質があるから常人には考えられないレベルに到達している人は沢山いる。なので大事なのはそれらの性質を無理に変えようとするのではなく、むしろメリットとデメリットを客観的に認識し、いかにメリットを活かしつつデメリットを武器に変えていくかという発想の転換にあるのだ。

VR瞑想のすゝめ

VRゴーグル = 瞑想の補助ツール

VRゴーグルは瞑想の補助ツールとして優秀である。根本的なことを言えば物理世界が存在するとして、人間は脳と心の情報世界のフィルターによってしか現実を認識できないので、人間は24時間365日瞑想空間の中に存在しているということができる。であるならば、本来はその情報空間に対して自覚的に自分自身 = 宇宙をハッキングしながら自分の理想の関係性 = 自我を世界に生じさせることを生きることと定義することもできる。そう考えると自我とは可変的なものであり、書き換え可能なものである。しかし多くの人間は自我についてそう認識してはおらず、自分の理想ではない世界を目の前に何度も出現させ、終わらない日常の中で悲劇的なループを繰り返している。そのループする世界線から脱出するために、VRゴーグルを使用したVR瞑想のすゝめについて今回の記事では取り上げてみたい。

快/不快とハードルの高さ

人は苦痛を感じたり、不快であったり、つまらないと思うことには取り組まない。たとえそう思う対象に無理して取り組んだとしても効率は著しく落ちるし、継続することは難しい。瞑想は多くの初心者にとって取り組みづらいものであることは確かであり、経験者の言うようなイメージや映像を五感を通して情報世界で体験することは難しい。つまり簡単に言えば瞑想がつまらなく感じたり、それを続けることが苦痛になったり不快に感じることは自然なことであると言える。そこでVRを使用して視覚と聴覚を使用した映像世界のイメージを補助輪とすることで、その最初のハードルを越えることは格段に容易になる。最終的にはその情報空間の上で理想的なドーパミンの経路を形成し、自分でコントロールできるようにすることが理想。ただしとりあえずVRの世界に没入してみることで、情報空間で運動するということがどういうことなのかという感覚を簡単に掴むことができるはずだ。要するにVR瞑想は通常は不快な状態を快の状態に変換することでハードルの高さを変更し、継続性を獲得するために有効な手段であるということができる。

「VRヒーリング瞑想」

そこで今回の記事では一番簡単に取り組むことができる瞑想として、「VRヒーリング瞑想」を取り上げる。その手順は以下のようになる。

1. 自分の中で最もリラックスできるVR動画を選ぶ。動画の長さは5分以上15分以下程度、イメージだけではなく音もリラックスできるもので、没入感を高めるために360度VR動画であることが望ましい。

2. 個室でVRゴーグルを装着する。個室で行うのはできれば周囲の目が気にならない場所の方が良いから。

3. 姿勢は結跏趺坐や半跏趺坐でも良いが、椅子に座ったり、寝転がったり、途中で動いても構わない。

4. 呼吸法は逆腹式呼吸を行う。逆腹式呼吸とは腹式呼吸の逆で、呼気の時に腹を膨らませ、吸気の時に腹を引っ込ませる呼吸方法。

5. 準備が整ったら準備していたVR動画を流しながら瞑想する。過去のトラウマになった出来事や嫌な記憶を思い浮かべ、それらとリラックスしたイメージや音から想像される心地良い情動を結び付ける。

以上の五つの手順を守って「VRヒーリング瞑想」を行うことで、過去や日常の出来事によるストレスを軽減し、新鮮な気分でまた新しい生活を送ることができるようになる。本来ならば過去のトラウマや嫌な記憶と心地良い情動を自分の力だけでイメージし、結び付ける必要があるが、「VRヒーリング瞑想」ではVR動画を使用することで取り組み易くなっていることが特徴。VRゴーグルは使い方によっては現実逃避のツールにもなるが、一方で使い方によっては現実と向き合うためのツールにもなる。また上記のような手順を完全に守らなくても、ストレスを感じた時にVRゴーグルを使用し、リラックスできるVR動画に短時間没入するだけでも大分違うので、少しでも気になった方は是非試してみてほしい。

健康的な夜行性生活

夜行性という病

夜行性は病である。動物には夜行性と昼行性の2種類あるとされるが、人間の場合の夜行性には昼夜逆転生活を送るダメ人間というレッテルが貼られがちである。実際夜行性であることによって概日リズムが崩壊し、精神に悪影響を被ることもある。また社会的な生活を営む上で昼行性であることは必須のスキルであり、その枠組みから外れることは自己管理がなっていないとして自己責任の対象になる。自分としても長年自分が夜行性であることに対する罪悪感とその実害に苦しんできた。夜行性であることにより食事回数、睡眠時間などの生活習慣、リズムが崩れ、その結果として日常生活に支障をきたし、昼行性のリズムに戻すためには莫大な時間を要する。しかし、たとえそのリズムに戻ったとしても、一瞬の気の緩み、もしくは自分ではコントロール不可能な外部的な要因、スケジュールによってすぐに夜行性に戻ってしまうことが繰り返される。この無間地獄のループから脱出し、別の世界線に移行するために過去に様々な試みをしてきた。その結果数ヶ月単位で短期的には成功することもあったが、年単位で長期的に見れば、結局何をやっても元の世界線に収束してしまう。しかし今回はその夜行性を昼行性に矯正するという概念自体を疑い、夜行性という病に対する認識を改め、その執着を手放してみようと思う。

健康的な夜行性生活

突然だが健康的な夜行性生活を送ることは可能だろうか?この言葉に違和感を覚えるのは、通常健康的な生活と夜行性の生活は対立するものと考えられているからだ。しかし実際には健康と夜行性の概念は必ずしも対立するとは限らず、そう考えてしまうのは先入観の影響が大きい。例えばアイマスクや耳栓というアイテムがあれば、昼間に就寝していても夜間と似たような睡眠環境を作ることは可能だ。また光照射療法などで使用される高照度照明器具を使用することでメラトニンの分泌を促し、自分なりの概日リズムを作ることも可能になる。その生活リズムの基盤の上で健康的な生活を送れるのだとしたら、健康と夜行性は必ずしも対立する要素ではないことになり、就寝時間と起床時間は自分の好きな時間に設定できることになる。問題は仕事だが、これに関しては日本にいながら海外の仕事をする、夜間の仕事をする、もしくはフリーランスや経営者など自分で自分の働く時間をコントロールできる仕事に就けば良い。むしろ良くないのは夜行性であることに対して罪悪感を抱き、無理にがんばって昼行性に矯正しようとし、それに失敗することで負のループに入ってしまうことだ。例えば双極性障害に関しては治療するよりも創作活動に役立てるための授かり物と認識し、活動することで良い波に乗ることに成功した。それと全く同じ視点で夜行性についても認識し、活動すること。外部にチューニングを合わせるのではなく、自分の中にあるコアにチューニングを合わせること。自分を生活すること。それが健康的な夜行性生活という一見矛盾に満ちた生活を成立させる鍵になる。

見過ごされてしまうもの

人間には遺伝的要因を含めて先天的に生まれ持った性質、資質があり、一方で環境的要因を含めて後天的に獲得した性質、資質がある。夜行性についてもその両面の観点から考えることは重要だと思うが、経験上変えられないことを無理に変えて他に合わせようとするより、むしろその性質、資質を自分なりに解釈し直し、その道を突っ走っていった方が上手くいきやすい。つまりこれは病を作っている原因は全て自分の認識にあり、その執着を手放すことで初めて次のステージに行けるということでもある。過去には早寝早起き、短眠の生活などに憧れていたこともあったが、そういった一見理想的で得に見える生活の中で見過ごされてしまうものもある。夜道の静寂、暗闇の背徳感、夜行性の創造性、夜と朝の境界線、人間以外の生態系。雑音や大きな音が苦手な自分としては、夜は最も集中力を注げる時間帯でもある。もちろんこのような考え方が今後変わっていく可能性も否定しないが、今はその可能性を追求してみようと思う。自分なりに生き延びるという継続以外に、必要なものなど何もない。

ほしい物リストの福音

時間と精神と肉体

この時期になると毎年誕生日というものを迎えるようだ。年齢に関しては一般的な解釈とは異なっている自覚があり、かなり独自の見解を持っている。簡単に言えば肉体的にも精神的にも年下でも実質上年上な人があり得るし、その逆もあり得ると思っている。また精神的の在り方が肉体に与える影響も大きいと思っており、その意味では顔の美醜というよりは顔付きのようなものに人生が反映されることもあるし、肉体年齢にも大きな影響を与えていると信じている。この考え方の根本には年齢というよりは時間に関する考え方と、精神と肉体におけるホメオスタシスの考え方の影響がある。まず時間の稠密度は人によって異なるという意味で時間の流れは誰にも平等ではない。それは例えば短眠などによる単位時間の区切りが平等な上での違いではなく、一定の単位時間の区切りの中での密度が違うということだ。また精神が肉体に影響を与えるのであれば、同じだけの時間を経過した人をまとめて同じ年齢で数えるという根本の概念自体がおかしいのではないかとも思っている。確かに社会的にはその方が管理し易いのだが、本質は異なり、年齢を経るごとに違いは顕在化してくる。そういう意味で10代の老人もあり得るし、50代の若者もあり得るだろう。実は日本社会には拝金主義と年齢差別が至るところに埋め込まれているのだが、その構造を変えることが難しいのならば、一方でその同調圧力をエネルギーとして変換して生き延びる術を身に付けなければならない。

感染力

生命時間は常に足りない。実現したいことに対して肉体の数が足りない。1人の人間が処理能力を極限まで磨いたとしても、そこにはやはり限界が存在する。よって理念を共にするチームを作ろうとする。しかし自分の性質とチームの相性を考えた際に、自らの才能だけでは足りないものに気付く。1対1の人間関係を深めることができても、1対多の人間関係を深めたり、広げたりすることには他の才能を持った人材が必要になる。そのような人材を手に入れるためには自分がさらに自分の色を濃くし、またその理念に同調するように人々を感染させなければならない。0から1では足りない、1から100でも足りない。0から100が最低限、そして願わくば時空を超えてその感染がミームとして情報空間の遺伝子に組み込まれていくように全力を尽くさなければならない。自分だけでは足りないことが分かっている、しかし現段階でチームを動かしても無理なことも分かっている。約1年前にその出発点から出発し、今年はさらにその深淵へと踏み込んでいくだろう。その先に見える景色はまだ見たことがないが、大きな挫折の後には必ず大きな達成があることを知っている。それは躁鬱の波の形に相似しているが、それ故にそのリズムは崩れているようで大局的に見れば安定している。その経験と好奇心だけが今の自分を支えている。

ほしい物リストの福音

ありがたいことに今年もNILのほしいものリストからプレゼントが届いた。一つはAmazonでもダントツに評価が高い「VOX PLUS BE 3DVR ゴーグル」というVRゴーグル。もう一つは『地域アート: 美学/制度/日本』という本。これらは両方以前から欲しかったものであり、欲しい物リストの福音を崇め奉るばかりである。「VOX PLUS BE 3DVR ゴーグル」は入門にぴったりのVRゴーグルとして良さそうに思っていたし、以前「VR ZONE Project i Can」を体験した時からVRコンテンツも大分進化してきた感があるので気になっていた。また地域アート: 美学/制度/日本で扱っているテーマに関しては自分も当事者として近い現場にいたし、その現場の問題点も感じていた。本書はその日本特有の現代美術に纏わる問題とそれに関連する諸情報をまとめた本として、必読の書だろう。本日はVRゴーグルを少しだけ体験し、本も読んでみたがどちらも素晴らしい体験だったので、後日改めて一つずつ詳細に記事にまとめてみようと思う。