『美術手帖』2018年4・5月合併号 「ART COLLECTIVE」特集: アート・コレクティブが時代を啓くを読んで

キュレーションの時代からコレクティブの時代へ

『美術手帖』2018年4・5月合併号 「ART COLLECTIVE」特集: アート・コレクティブが時代を啓くを購入し、読んだのは大分前の話だ。大分前の話なので大半の内容は忘れてしまっているが、雑誌という性質上読むべき場所は絞られているので、今回は4月の記事の締めとして取り上げてみたい。日本の現代美術シーンは現在群雄割拠の戦国時代の様相を呈しているが、その一つの象徴がコレクティブの乱立として立ち現れている。Anrealmsを立ち上げたのは2016年だが、当時は今ほどコレクティブという言葉取り上げられ、流通している状態ではなかったし、未だにコラボレーティブ・コレクティブと名乗っているコレクティブを国内では知らない。しかし現在ではコレクティブは現代美術関係者の誰もが知っている用語になっているだろうし、その注目度はかつてない程に高い。キュレーションの時代からコレクティブの時代へと拡張していく流れの中、その曖昧な定義と知られざる実態を明らかにし、現在における勢力図を示すというのが本誌の狙いになる。

三つの読むべき箇所

三つの読むべき箇所を以下に列挙する。

・「美術の制度をいかに浸食し続けるか?」 (パープルーム)

・「《作品の時代》とは何か?」 (原田裕規)

・「コレクティブはどこへ向かうのか?」 (宇川直宏×黒瀬陽平×SIDE CORE)

それぞれの内容について細かく取り上げることはしないが、手短に気になった部分について言及してみる。「美術の制度をいかに浸食し続けるか?」ではSNSの重要性が語られ、それぞれのメンバーにルールが課されており、厳密に運用されていることが明かされている。SNSといってもInstagramではなく、Twitterでなければならない部分に、パープルームの卒業という不確定な未来と花粉という概念の本質が潜在しているが、関係性の美学の拡張としても捉えられるパープルームの活動はやはり興味深い。「《作品の時代》とは何か?」は個人的な興味関心、最近考えていたことと近い内容であったという意味で、読んでいて一番面白かった。個人的な言葉も補足しつつ解釈し直せば、作品の拡張としてインスタレーションがあり、インスタレーションの拡張としてキュレーションがあり、キュレーションの拡張としてコレクティブがある。しかしこの限りない拡張の末に全てが作品化するのであれば、逆に全ては作品でなくなることにもなる。であれば作品、そして作品の時代とは何なのか?この問いに対する答えは各々がその活動と実践の中で見出だしていくしかないが、少なくとも現代における全ての作品はこの厳しい問いを前提として生み出されなければならないだろう。最後に「コレクティブはどこへ向かうのか?」。この鼎談ではコレクティブについてある程度の歴史の流れを含めて包括的に語られており、その向かうべき先についても朧気ながら示唆されているという意味で特にその潮流の真っ直中にいる人は読んでおいて損はないように思った。

コレクティブの再発見

最後にコレクティブという概念は近年になって再発見されたものであって、昔から似たような美術運動や共同体は存在していたし、それは海外にも多数存在している。現代におけるコレクティブの優位性はSNSとの親和性が高いことに加え、専門領域が蛸壺化した状態を打破する突破口になることや、作品の概念を拡張して多角的に提示し易いことにある。本誌に取り上げられていないコレクティブも当然あるし、将来的にはさらに多様なコレクティブが生まれてくることも予想される。ただ一つ気になったのはRhizomatiksとチームラボは取り上げても、Digital Nature Groupを取り上げていなかったところ。落合陽一は一見ソロのプレイヤーに見られがちであるが、研究室という形態でコレクティブ戦略を取っている代表的な人物の一人である。他にも渋家が取り上げられていなかったのも不思議に思ったが、何か事情があったのだろうか。いずれにせよ個人的にはコレクティブを音楽活動におけるバンドの変形として捉えており、人が集合すれば必ず役割や変遷や解散といった概念が付きまとう。本誌は全体的に見れば物足りない部分もあったが、Anrealmsの行く先を考える上で読んでおいて損はなかった。

『美術手帖』2018年4・5月合併号 「ART COLLECTIVE」特集: アート・コレクティブが時代を啓く
『美術手帖』2018年4・5月合併号 「ART COLLECTIVE」特集: アート・コレクティブが時代を啓く
編者: 美術手帖編集部