『テヅカ・イズ・デッド』: 「マンガ表現論」の扉

本書の概要

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド: ひらかれたマンガ表現論へ』を読了した。本書の概要としては「マンガの神様」、「戦後まんが」の起源として手塚治虫を語り続けてきた従来の枠組みが「マンガ表現史」の不在の原因を作っていたと分析し、むしろその従来の枠組みからは取りこぼされてきた視点を拾い集め、マンガをシステム論的、包括的な枠組みによって言語化し、捉え直すことにより、「マンガ批評」、「マンガ評論」を復興させ、閉ざされた「マンガ表現論」の扉を開くという壮大な内容になっている。まえがき、あとがきなどを除けば全部で5章になっており、一部細かな語り落としや分かりづらい部分もあるものの、その大風呂敷を広げた大胆な取り組みと、全体の論旨を支える様々な構造的な視点の導入は非常にスリリングなものだった。

本書の要約

以下に本書の要約として第1章〜第5章までの内容を手短にまとめてみる。

第1章

従来の「メジャー/マイナー」、「少女マンガ/少年マンガ」といったマーケット区分が機能不全に陥り、現状の多様性に対応できずに出現した「つまらなくなった」言説、共通認識を前提とした「ぼくらのマンガ」といった批評も機能不全に陥っている。しかしそのようにマンガの方に責任を負わせるのではなく、マンガをジャンルとして捉え直す包括的なフレームワークを再設定することによってしかこの負のループを脱出する術は存在しない。

第2章

いがらしみきお『ぼのぼの』の実践は東浩紀『動物化するポストモダン』の理論を予見していた。つまりここでは大きな物語の終焉とデータベースモデルがポストモダン的に提示されている。それはより具体的に言えば「キャラ」が「テクスト」から遊離するという切断線が引けるということを意味する。つまりマンガの三つの構成要素としては従来的な「絵」、「コマ」、「言葉」ではなく、「キャラ」、「コマ構造」、「言葉」の三要素について考えることが重要になる。またシステム論的に言えば「作者」、「作品」、「ジャンル (環境)」、「読者」の四者のフィードバックシステムがマンガ表現の総体を形成していると言える。

第3章

「キャラ」と「キャラクター」は別々の概念である。簡単に言えば前者は「図像」、「固有名」、「人格」といった要素を持ち、物語とは独立して存在し得る。一方で後者はキャラを基盤として「身体」、「人生」、「生活」といった要素を持ち、物語とは独立して存在し得ない。

第4章

近代的リアリズムは、「キャラ」のリアリズムの隠蔽の元に、その代償として別のリアリズムに接続される。具体的に言えば「コマ構造」、「言葉」のリアリティは映画的リアリズムを起源とする「同一化技法」や映画とは決定的に異なる「フレームの不確定性」によって探求されてきた。

第5章

「キャラ」の隠蔽と、それを起源とした近代的リアリズムが「マンガ表現史」を書くことを困難にしていた原因であり、その結果として手塚治虫が「マンガの起源」として象徴化された。しかし本書のフレームワークの再設定と隠蔽の暴露によって史実に沿わない「手塚治虫という円環」を乗り越えることが可能であり、「マンガ表現史」の新しい扉が開放される。

本書の所感

起源の隠蔽

手塚治虫と聞くと、誰もが反射的に「マンガの神様」という言葉を脳内に浮かべるだろう。しかしそのレッテルが隠蔽してしまったものによって、「マンガ表現史」の歪みが作られてきたこともまた事実。本書はその事実を「ぼくら語り」になることを慎重に避けつつ、引用や客観的な記述を元に明らかにする。ただし「キャラ」、「コマ構造」、「言葉」という三つの構成要素の提案は本書のテーマに沿っているという点でも秀逸だが、「絵」を排除してしまったことにより、その他の線を使用した要素、例えば「背景」などの語り落としが生まれてしまう危険性は感じた。また「プロトキャラクター態」、「プロトキャラクター性」などの部分に関してはもう少し分かり易く明確に説明可能な気もする。それでも大きなフレームワークで「マンガ表現論」を再構築しようとする試みとしては成功しており、今挙げたような欠点はその功績と比較すればむしろ些細な問題なのかもしれない。

キュレーションの無限の入れ子構造

また本書は「マンガ表現論」の扉を開くという観点以外にも、全ての作品を体験することが不可能になった時代における批評の在り方としても読むことができる。現代ではあらゆる分野で毎日大量の作品が作られており、AIの創作補助といった観点も含めて考えれば、消費よりも生産のスピードが上回る時代が訪れ始めていると言える。そういった時代においてあるジャンルについて包括的に語ることは可能なのか。あらゆるメディアでキュレーションやまとめサイトが流行しているのも、人生時間に対する消費スピードが追いつかないからであり、将来的にはキュレーションのキュレーションのキュレーションのキュレーションといったようなキュレーションの無限の入れ子構造が生まれてくることが予想される。本書はまず起源や構造といったものに焦点を当て、モダンとポストモダンの枠組みに慎重に取り組みつつ、あえて「マンガ」にのみ対象を絞ることによって、その他のジャンルにも通用するような批評を目指した。たとえ「マンガ」に興味が無かったとしても、その姿勢から学べるものは多いのではないだろうか。

テヅカ・イズ・デッド: ひらかれたマンガ表現論へ
テヅカ・イズ・デッド: ひらかれたマンガ表現論へ
著者: 伊藤剛