散歩は麻薬である

散歩の語源

散歩は麻薬である。もちろん比喩的にではあるが、散歩が精神に与える影響とその常習性を考えると麻薬と似た性質を持っていると言える。毎回同じ道を同じように歩いているのに、五感を通して得られる情報と経験がダイナミックに変わり、またその結果として脳内で無意識に蓄積していた情報同士が作用し合い、新しい発想の種が生まれる。その体験は瞑想に近いと言えるが、身体を自然と動かす運動であること、また物理的に遠くの自然や風景がプラネタリウム、もしくはスピーカーのように存在しているという意味では環境からの刺激が多い分、1人静かな場所で行うタイプの瞑想とは違った体験が得られる。実際に散歩の語源は「五石散」と呼ばれる、古代中国で使用されていた麻薬と関係が深い。「五石散」を服用すると発散と呼ばれる発熱を起こすが、その発散が起こらないと中毒死を引き起こすために歩くことが奨励されており、それを「行散」と呼んだ。これが散歩の語源となっている。現代では状況が異なるが、運動不足や情報過多な状態が慢性中毒になっているような場合、散歩をして毒気を抜くというのも一つの手段になるだろう。

自動販売機とアート

散歩をしていると様々なものが目に付く。その一つが自動販売機だ。自動販売機はコカコーラ、サントリー、伊藤園などメーカーの違いもあるが、フルオペレーションかセミオペレーションという設置の方法の違いもある。前者は基本的に業者にお任せだがその分マージンを多く取られる、後者は基本的に自分で全てやる必要があるがその分売り上げは自分のものになる。以前からアートをアートと呼称しないで売ることに興味があるのだが、それは日本ではアートと呼称してしまった時点で作品を購入するという高すぎるハードル、心理障壁になるからだ。「iPhone」が何故これ程までに受け入れられたかと言えば、それは電話の延長線上にある携帯電話として販売したからであり、コンピュータとして販売していたらあれ程に売れていないはずだ。そういう意味で自動販売機やガチャや福袋などでアートを販売することには興味がある。

夕景の富士と海のリズム

夕景の富士

そんなことを考えているうちに橋の上から見えた夕景の富士を経て、海に到着する。生きていると絶え間ない無意識の意識化と意識の無意識化の循環が行われるわけだが、海に来ると精神の深いリズムが身体を支配して心地良くなってくる。それは海にリズムがあるからだ。寄せては返す波のリズムは太古の記憶と共鳴し合っているように感じる。実際に羊水の成分は海水の成分と似ているとされており、人間は血液や体液の形で海水の成分を身体に取り込んでいる。また脊髄、延髄、橋、小脳、中脳、間脳、大脳という脳の進化の過程は、少しずつ反復を繰り返しながらレイヤーを重ねていくという構造を取り、その類似した構造はジャンルを問わず社会のあらゆる文脈や歴史や都市の中に見出だせる。全く同じ反復でもつまらないし、異質すぎるレイヤーは排除されて残ることがない。この絶妙なバランスに人間の進化の秘密が隠されている。そういえば散歩の帰り道に鴉がゴミを漁っている場面を見つけた。ハリー・ポッターに出てくるレイブンクローは英語ではRavenclaw、分解するとraven (大鴉) とclaw (爪) で「大鴉の爪」という意味になる。だが例えばRavencrowだったら、分解するとraven (大鴉) とcrow (鴉) で「大鴉鴉」となる。 デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも (大ガラス)》をもじった吉村益信の《大ガラス》は元々《旅鴉》という名称だったらしいが、後にデュシャンの文脈を意識して改名された。この「大鴉の爪」と「大鴉鴉」という発想の繋がりもむしろ日本語的な発想からしか出てこないななどと思いつつ、少々麻薬が効きすぎた散歩を終えた。