「空気の言語」と「川柳の力」

「空気の言語」

「空気は読むものではなく詠むもの」

日本語が英語より優れている部分は何か。それは論理的な部分ではなく、感性的な部分を端的に伝えられる「空気の言語」である点にある。もちろんその弊害は数多くあり、その「空気の言語」を基盤とした「空気を読む」文化、本音と建前の文化、感性の文化のデメリットはあらゆる場面で国際的、社会的な問題の原因となっている。そういった意味で谷桃子による「空気は読むものではなく吸うもの」という発言は未だに至言だと思っているが、今回提唱したいのは「空気は読むものではなく詠むもの」であるということ。つまり「空気の言語」である日本語は、詩、小説、俳句、川柳、短歌などのように感性を伝える表現として使用した場合、その優れた性質を発揮することになるということだ。

「川柳の力」

今回はその中でも「川柳の力」に注目し、この形式を使用して「空気を詠む」ことをしてみたいと思う。詩は形式が自由過ぎるし、小説は分量が多過ぎるし、俳句はルールが多いし、短歌は俳句や川柳よりも長い。そういう意味で現代人が最も取り組みやすい表現形態は「5・7・5」という形式しか定められておらず、口語が主流の川柳であると言える。取り組みやすく、ハードルが低いというのは現代人にとって重要な要素であり、それ自体が「川柳の力」である。では以下「日常系」、「時事系」、「抽象系」の三つに分けて、実際に詠んだ川柳を解説と共に紹介していく。

「日常系」
ゴミ箱に 入れ損なった 命かな

最近何故か魚を食べられないことがある。好き嫌いはほとんどないはずなのだが、肉系に関しては時々このような状態に陥ることがあり、今回はたまたまその対象が魚であったという説が自分の中で有力である。放っておけばこの状態はそのうち治るはずだが、とりあえず食べられないので放置する。食べ物を残してはいけない、捨ててはいけないという教育を幼少期から受けて育ってきたので、残していることに罪悪感があるが、一方で捨てることもできない。最終的にはゴミ箱に目立たないように捨てたわけであるが、その時の罪悪感は凄まじく、ゴミ箱に捨て去られるべきは自分の命だったのではないかと自問自答したという内容の一句。

既読無視 あぁ既読無視 既読無視

現代病である。既読無視は忙しかった、忘れていた、返信したと思い込んでいた、電波が悪くなったなど実際には大した理由がないことが多い。しかし既読無視された側はそんな些細な理由とは無関係に勝手に妄想を膨らませ、勝手に傷ついていたりする。川柳では頭の中が既読無視で一杯になる様子を詠んでみたが、実際には既読無視に明確な理由があろうがなかろうが自分からは対処しようがないので、気にする必要がない。気にしているのは単なる自意識過剰に過ぎないので、即刻その執着を捨てて町へ出よう。

つまりその あそこのそれを 取ってくれ

緩やかな認知症は指示語の多用から始まる。指示語は前提を共有している場合はコミュニケーションコストを省略する便利な言葉として働くが、一方で前提を共有していない場合はコミュニケーションコストをむしろ高める。説明の下手な人は良く自分しか知らないことや、自分の視点を中心に見た風景から説明してしまうので伝わりにくいが、コミュニケーションにとって必要なのはそれらを客観視して語ることだ。つまり相手の知らないことを省略せず、相手の視点を中心に見た風景から説明する。例えば自分から見れば右でも相手から見れば左かもしれない、そういった想像力の有無がコミュニケーションの成否を左右する。その前提となる想像力を欠いた指示は、むしろ赤ちゃんのような眼差しを言語化しているのかもしれず、興味深いので一句詠んでみた。

「時事系」
陸海空 海兵沿岸 宇宙軍

トランプ米大統領が陸軍、海軍、空軍、海兵隊、沿岸警備隊の5軍の他に宇宙軍の新設を検討していることを発表した。いずれの軍隊も物理空間の話なので、情報空間のサイバー軍を強化した方が効果的だと思うが、とりあえず彼には『プラネテス』を読んでから発言してほしい。『プラネテス』に出てくるスペースデブリの問題は地球環境を汚し続けてきた人類にとって避けられない問題であり、地球を使い捨てにしたとしても宇宙は使い捨てにはできないという意味で真剣に考える必要がある。またイーロン・マスクの火星移住計画にも感じていることだが、物理空間を地球外の宇宙にまで拡張し続けることは人類の終わらない煩悩を拡張するだけであって、それよりむしろ情報空間の中に人類の住処を見付けた方が知的生命体としては高度な生き方のように思う。しかしイーロン・マスクは理解していても、トランプ米大統領は理解していないことがある。それは宇宙はロマンの場であって、戦争の場ではないということだ。

山口に メンバー付けたら 免罪符

アイドル、広告塔として奉ってきた存在が、何か事件を起こしたら一斉に手のひらを返してリンチのように叩き始める。同グループのメンバーは「連帯責任」という言葉を繰り返しており、確かにそれを強調するのは日本社会における生存戦略として賢い。しかし他人が犯した罪に対して「連帯責任」と当たり前のようにメンバーたちが主張し、当たり前のように他人が責任を追及する構造が健全とは思えない。今回は完全に本人に非があるということでSMAP解散の件とは構造が異なるが、メディアは構造的には共犯なのにコウモリのような立ち振る舞いをしている。報道では被害者と加害者が知り合った番組名さえ伏せず、ネットではいつものようにセカンドレイプが幅を利かせる。一体その免罪符はどこから与えられたものなのか?

協会の レッドカードは 土俵際

日本サッカー協会と日本相撲協会の問題は同根に見える。ヴァヒド・ハリルホジッチはこのタイミングで解任されるべきではなかったが、これでW杯で良い成績を残したら彼を解任したことが正解だったとして語り継がれるのだろうし、無残な成績に終われば彼の指導の結果が悪かったとして責任が擦り付けられるのは目に見えている。しかし実際にはそのどちらでもなく、彼が指導した結果というのはもう永遠に確かめる術がなくなってしまったというのが本当のところだ。また日馬富士暴行問題と春日野部屋暴行事件に関連する貴乃花親方と日本相撲協会の軋轢、行司である式守伊之助によるセクハラ事件、土俵の女人禁制問題など問題のオンパレードである日本相撲協会は、国技や伝統という名の下に腐敗した悪臭を漂わせている。このように一流を内部の事情、もしくは広告を含めた利権のために事前通告のないレッドカードで排斥し、問題を隠蔽し続ける構造はそのまま日本の協会の伝統芸になりつつあるが、そのことによって国際的に信頼を失い、土俵際に追い詰められているのはむしろ協会の方である。

「抽象系」
宇宙色 平均台に 架かる虹

宇宙には色彩が溢れている。人間が認識する色彩は電磁スペクトルの一部の周波数を網膜で捉え、色彩として認識しているが、実際には可視光以外の周波数の方が帯域としては大きい。ということはもし人間がその可視光以外の周波数を色彩として捉えられるのだとしたら、その平均的な色彩を逸脱した色彩は虹の色さえ異なる色彩として人間に提示するだろう。一方で同じ人間であっても虹の色の数は文化圏によって全く異なっているという話がある。一般的には虹は7色とされているが、5色や2色と捉える文化圏もある。だとするならば宇宙色がどう見えるかどうかは単純に物理学の問題や人間の網膜の認知の問題ではなく、文化や心まで含めた認識の問題なのではないだろうか。

良さ味ある ワンチャン熱盛 マジ卍

意味なんてない、そこにあるのはエモさだけだ。日本語の乱れなど存在しない、そこにあるのは日本語の潮流だけだ。現実世界とネットの世界を含め、流行語は流れては一瞬で消え去って行く流れ星のようである。しかしかつてそこに存在していたはずの言葉を流木を拾うように、もしくは化石を発掘するように記録し、残しておくのもまた表現の役割である。ということでブリコラージュの概念を流行語まで拡張し、言葉を寄せ集め、この瞬間のフリーズドライとして保存したこの一句の賞味期限は果てして一瞬なのか永遠なのか、それが問題だ。

「あ」の上に 〈い〉と{う}を載せる 『え』が《お》の日

「あいうえお」という言葉には特別な魅力を感じる。そこには異なるキャラクターと色彩が存在しており、多くの言語でも母音として採用され易い言葉たちでもある。そこで今回はそれぞれの言葉に括弧を付けることで強調しつつ、異なる形とキャラクターを表現してみた。また『え』が《お》の日については岡崎体育の3Words即興ソングの発想の逆を行ってみた。3Words即興ソングでは最後の言葉は分解されるのだが、今回は最後をあえて笑顔という言葉で接続する。しかし全体的に読み直すと笑顔というよりは奇妙な感じがするが、その空気感も含めて「川柳の力」としたい。

プラネテス
プラネテス
著者: 幸村誠