Amazonアソシエイト・プログラム始めました: 批評の心構え

Amazonアソシエイト・プログラムでアフィリエイトを始めてみた。Google Adsenseもいつかやるかもしれないけれど、今の所は未定でまだ申し込んでいない。これらのプログラムに参加するためには審査があり、その審査は年々厳しくなっている。検索してみれば審査を通るための対策、何度やっても落ちたみたいな記事も散見される。一応それらに軽く目を通してみたけれど、NILOGで申請したら普通に何事もなく審査を通過した。基準は良くわからないけれど、既に記事の数が十分あり、Profile、Contact、Privacy Policyのページは設置してあった。また、Amazonで買い物をしたことがあるアカウントと紐付けて申請するのが重要とはよく言われている。申請時には「Webサイトの内容、および紹介したい商品について、簡単にご説明ください (全角256文字程度以内)。」という項目があるのだけれど、相手が読むことを考えて、文字数ぎりぎりまでしっかり書いたのが良かったのかもしれない。Google Adsenseでは一度申請が通れば自分の他のウェブサイトにリンクを張ってもOKだけど、Amazonアソシエイト・プログラムの場合は一つ一つのウェブサイトを追加登録申請しないといけない。これらのプログラムには規約があり、知らないうちに規約違反をする可能性もあるので注意が必要だ。

Amazonアソシエイト・プログラムとGoogle Adsenseの違いを考えてみると、前者は店員のポップ、パネルに近く、後者はレンタルスペースに近い。例えば前者のプログラムで本を薦める場合、その本から得た知識やそれを元に考えたことなどを交えて紹介することができる。それは書店員が作るポップ、パネルに近いと言える。また、報酬は購入された物の種類と数によって決まる。後者のプログラムでは自分で薦めるのではなく、自分のウェブサイトのあるスペースを広告に提供することで紹介することができる。内容は自分で選べずにその広告を見ている人の興味によって変わる。そういう点ではレンタルスペースに考え方が近い。また、報酬は購入されたかどうかに関わらずクリック数と単価によって決まる。NILOGが向いているのはAmazonアソシエイト・プログラムな気がするけれど、とりあえずやってみないと分からないので導入してみた。

個人的にはこれらの成功報酬型広告やコンテンツ連動型広告配信サービスを使用するためには長い葛藤があった。一つはビジネス的に言えば「請負」におけるは「請負人」は「注文者」には絶対に勝てないという問題がある。ここではAmazonアソシエイト・プログラムやGoogle Adsenseに参加する側が「請負人」であり、「注文者が」AmazonとGoogleだ。これはYouTuberなどにも全く同じことが言える。以前からずっと考えている問題にプラットフォームとコンテンツの問題があり、基本的に現代に生きるアーティストはプラットフォームのロジックに否応なく飲み込まれ、そこに勝利することは難しい。そういう意味で自分独自のプラットフォームを作るような動きをずっとやってきた。ただ、そこで重要なのは巨大なプラットフォームに依存することも、自分独自のプラットフォームだけでやっていくことも違うと思っていることだ。その両面を絶えず往復していくような流れの中にしか可能性がない気がしている。それはレッドオーシャンかブルーオーシャンかという議論にも通じるのだけれど、基本的には自分はブルーオーシャンを志しているが、レッドオーシャンでも圧倒的に勝てるようでないと結局は飲み込まれていく。そういう意味ではそのレッドオーシャン的なもの、一時的に隷属するような立場でもそれを分散していくことで依存の関係にならなければそれはそれで面白いのではないかと考えた。

これらの仕組みには様々な使用方法があるのだろうけれど、何かを紹介する場合は批評に対する考え方も関わってくる。個人的な批評の心構えは以下の3点。

1. 点数、ランキング、星の数で評価しないこと。
2. 良い物も悪い物も関係なく体験し、両方とも正直に紹介すること。
3. メタ視点と比喩の心を忘れないこと。

1に関して言えば、点数、ランキング、星の数を付けて評価することは容易い。何より一目瞭然で便利だし、そういう整理の仕方をした方が盛り上がるのも目に見えている。しかし、一方で点数やランキングはとても恣意的な指標であり、ある一定のヒエラルキーの物差しの中に人を巻き込んで、その小さな世界に閉じ込めた上で物事に対する判断を強要しまう可能性もある。そもそも点数やランキングは数字を使用しているから信頼度があるように感じるが、例えば0〜100点を基準とした場合に、その86点と87点の差を本当に意識して正確に判定できる人がどれ程いるのかは疑問だ。ランキングに関してもその恣意性はあるし、少しでも見方を変えれば全く違うランキングがあり得るが、一度ランキングを作ってしまうとそれが絶対的な指標になり、一人歩きしてしまう場合もある。これらは指標が乱立することで適正化されるという考えもあるだろうが、そういうヒエラルキーから取りこぼされてしまうような部分こそが批評の役割だと思っているので、これらの指標はできるだけ使用しない。一方でランキングなどは自分の側にゴール設定がなされている場合はとても有効な指標だとは思っているので、これらの指標を完全否定しているわけではない。個人的なお薦めを多数並べることなどは将来的にすると思うが、それを簡単に数値的な指標には変換しないということだ。

2に関して言えば、芸術評論家、翻訳家である木幡和枝から言われた言葉が影響している。「良い批評をするためには良い作品ばかりでなく、三文小説のようにダメな作品も同じくらい読まないといけない。美味しいものばかり食べていたら、何が美味しくて何が不味いのかなんて分かるはずがないでしょ?」これに関しては記憶が完全ではないけれど、大体そのようなことを言われたことを覚えていて、今も大事にしている言葉の一つだ。例えばアメリカにいたときは英語の本しか読まない、古典しか読まない、時間が限られているのだから読むべき本は厳選するべきとかそういう風に思っていた時期もあった。しかし、それはそれで狭い価値観になってしまう気がした。何より英語圏の人間には発見できない価値のある日本語の本を発見できる幸せは、日本語ネイティブである人間にしか味わえないし、それは強みにもなる。また評価の世界は相対的なので、例えば「性格が良い」人間がいたとして、その人間の性格が良いかどうかは他者がいなければ判断も認識もできず、この世にその人間一人だった場合は「性格が良い」も「性格が悪い」も存在しない。そういう意味で言えば、クオリティは様々なグラデーションに分布するが、その分布を毛嫌いせずに味わうことでより良い作品も分かってくるし、世界も広がる。また別の観点から言えば、評価する側が良いと思うものと悪いと思うものを両方紹介することで、それを紹介された側が実際の自分の評価と照らし合わせることで、その信頼性や相性なども判断することができる。正直に紹介するというのは一見成功報酬型広告であるアフィリエイトと矛盾するように聞こえるが、明らかに悪いものを偽って良いと紹介することは長期的に見れば信頼性を失うことになり、情報化社会においてはそれは金銭を失うことより損失が大きい。

3に関して言えば、批評にはメタ視点と比喩の心が必要だと思っている。メタ視点がなければ、単に感想かあらすじをなぞるだけになり、そういった要約サービスは既にあるし、そういう仕事はAIが得意とするところだろう。比喩の心とは、抽象的なメタ視点を具体的に説明する場合に必要な心構えで、それがないと専門用語だけが並んだ意味の分からない自己満足になってしまう。仏陀やキリストのような宗教の教祖 (仏教は宗教ではなく哲学であると思うが、便宜的に) が何故比喩を多用するかと言えば、そうしないと彼らの教えは抽象的すぎて理解できないからだ。優れた文学者や表現者も得てして比喩の表現に優れている。比喩を使用することにより、様々な具体的な状況に対応してより分かり易く伝えることが可能だ。もちろんそれは単純な比喩を使用するということだけではなく、その心構えを持って伝えようとするだけで全く違った伝え方になると信じている。

Amazonアソシエイト・プログラムのリンクに関しては、過去に遡ってリンクを作成して張り付けているのだけれど、中々労力がしんどい。リンク作成ではデザインを変えるために以下の「Azlink」を使用している。著者、編者、訳者などの名前は、Amazonアソシエイトのページからキーワード検索、リンク作成、テキストのみを選択し、出てきたHTMLをコピペしている。

AZlink

Amazonアソシエイト・プログラム

また自分の信条としてアフィリエイトに利益を提供したくないという場合は、以下のリンクを参照すれば簡単に解除可能。あとAmazon.co.jpのほしいものリストも公開した。ノリでリンクを解除するも良し、何かを与えてみるのも良し、という感じでよろしくお願いします。

踏んでしまったAmazonアフィリエイトのリンクを解除する方法

NILのほしい物リスト