詩の翻訳

産業翻訳と詩の翻訳

今日は「石版を丸呑みする回転木馬」の詩の翻訳に取り組んだ。そもそも産業翻訳でも詩の翻訳でも正確性は求められるが、詩の翻訳の方がより創造性が求められる。それは何故かと言えば、産業翻訳で一番重視されるのは意味であるが、詩の翻訳で一番重視されるのは必ずしも意味ではないからだ。また産業翻訳で意味が間違っていたら重大なミスになるが、詩にはそもそも意味の要素が存在しないようなものもある。もちろん翻訳という作業自体には言語の性質上一対一対応する言葉は存在していないので、そのずれとニュアンスをどう選択するかという創造性の部分が必ず含まれる。時にはネイティブチェックを入れないと確認できない性質のものも存在するが、基本的に自分が産業翻訳よりアーティストなどが創る作品の翻訳が好きなのは、その創造性の余地がより大きいからだ。また自分自身がアーティストであるという点で普通の翻訳家では分からないニュアンスが分かる自信もある。

ファッションの比喩

ここで翻訳をファッションの比喩で捉えてみる。翻訳における言語をブランド店だとすれば、服はその言語で表現される意味やニュアンスそのものだ。これに沿って言えば翻訳作業はいかに元の服のイメージのまま、別のブランド店の服に着替えさせるかという作業になる。異なる言語同士は異なるブランド店なので、当然ファッションや服の傾向に違いがあり、完全にイメージが一致する服は存在しない。しかしその中でも色合い、サイズ、服のタイプなどで近しいものは存在するので、それらの要素に焦点を当てながら服探しを進めていくことになる。また少々イメージが違っていたとしても、あえてこの服でいった方が良いという決断を迫られる場合もあり、最終的にはトータルコーディネートで考えなければならない。最終的には好みの問題になるが、良い翻訳者が翻訳すれば誰が見ても良いものになるという点もファッションと共通している。

「石版を丸呑みする回転木馬」の翻訳

さて「石版を丸呑みする回転木馬」の翻訳に関してだが、まずこの題名からして日本語空間には存在しない表現である。というより今回のアーティストブックで掲載されている詩は全て日本語空間に存在しない組み合わせの言葉になっている。ということは今回の翻訳作業では日本語空間でも既に正解が存在していない表現に対して、さらに別の言語に翻訳するというアクロバティックな技を実演する必要がある。この難易度の高い2重の捻れ、変換が楽しいと思えるかどうかが恐らく詩の翻訳が好きかどうかの分かれ目だろう。また詩の翻訳はリズムや形といった意味とは別の変換を求められることもあり、そこには時に不可能性の壁が立ちはだかる。ただ個人的には普通の文章を翻訳しているよりは、こういった詩のような表現を翻訳した方が圧倒的に楽しい。

正確性と創造性

正確性を求められる作業を延々とやることは実はそこまで苦手ではないのだが、好きではないので途中で放り出すことが多い。その根本的な原因を考えると、自分でなくてもできる作業を自分がやることに時間を使うことが許せないのだと思う。自分が創造的な仕事が好きなので想像することは難しいが、世の中には創造的な仕事が嫌いで、事務作業のように正確性を求められる仕事が好きという人もいるはずだ。だとすれば好きなことは好きな人がそれぞれやれば効率が良いし、誰も不幸にならない。もちろん正確性と創造性が反比例するわけではなくて、創造的な仕事をする際にも特に仕上げの部分で神は細部に宿るような繊細な作業をしなければならないこともある。ただその作業は自分にとっては事務作業とは全く違う作業であるように感じる。

詩のGoogle翻訳

Google翻訳においては論文や日常の文章の翻訳の精度はDeep Learning導入以降格段に上がった。一方でアーティストが書くような文章や詩などの表現の翻訳はGoogle翻訳では難しいし、それはすぐに劇的に改善するようなものではない気がしている。そもそも詩は言葉遊びの側面があるので、その言語特有の性質を活かした詩の場合は人間でも翻訳難易度が高い。そういう意味では翻訳業は今後こういったニッチで専門性の高い部分に特化した人間だけが残っていき、後はクラウドソーシング系の安い翻訳、もしくはGoogle翻訳などに代替されていくんだろう。今後Google翻訳などで詩の翻訳が可能になるとしたらDeep Learning以降のパラダイムになるはずだが、それまで詩の翻訳を担う翻訳者は、詩の翻訳という原理的に不可能な行為に挑むスリルを味わい続けるのだろう。

Monacoinをこんがり焼いてみた

Monacoinをこんがり焼いてみた

先日Monacoinをこんがり焼いてみた。すると焼き上がったMonacoinからXMPが誕生した。現在Monacoinは各地で焼かれており、大量のXMPが誕生すると共に有象無象の独自トークンが発行されているようだ。仮想通貨に詳しくない人は一体何を言っているのか分からないと思うので、今回はこの儀式についてまとめてみる。ちなみにXMPから発行できる独自トークンはまだ試していないので、後日試したらそれも記事にしようかと思っている。

Counterpartyとは?

BitcoinとXCP

まずこの儀式を理解するためには前提としてCounterpartyを理解する必要がある。なのでまずCounterpartyについて説明すると、CounterpartyとはBitcoinのブロックチェーンを使用して、独自トークンの発行や取引を含めた様々な活動をするためのプラットフォームのことを指す。例えば以前さらっと触れたPepe Cashなどのトークンも、Counterpartyを使用して発行された独自トークンになっている。またCounterpartyで使用される通貨はXCPと呼ばれており、独自トークンを発行する際などにBitcoinとXCPが必要になる。実際には以下のリンクのIndieSquare Walletのアプリを使用することで独自トークンの発行が可能。またCounterpartyはオープンソースなのでそのリンクも同時に掲載しておく。

IndieSquare Wallet

GitHub: Counterparty

Proof of Burn

XCPは過去にProof of Burnという方法を使用して配布されたことで話題になった。Proof of Burnはプライベートキーが誰にも分からないアドレスに仮想通貨を送ることで、その代わりに別の仮想通貨を発行して配布するという方法。送られた仮想通貨は二度と使用できないので、Burn (燃やす) という比喩的な表現が使われている。XCPの場合は以下のアドレスがProof of Burnに使用された。(※既に締め切られているのでBitcoinは絶対に送金しないように。二度と取り戻せなくなる。)

XCP Proof-of-Burn

全体としては2100BTC程度燃やされたことになり、XCPは既に発行を締め切っているので、今後通貨の発行総数が増えることはない。つまりこれはデフレ通貨ということになり、時間の経過と共に基本的には価値が上がっていくことが予想される。ただし現状はBitcoinのブロックチェーンに依存しているので、Bitcoinに何か問題が生じた場合は価値が下がる可能性もある。

Monapartyとは?

さて本題に入るが、Monapartyとはその名の通り、Counterpartyを応用して作られたプラットフォームのことを指す。実際にMonapartyはCounterpartyのICOで資金調達して作られた経緯がある。MonapartyはCounterpartyと同様にオープンソースになっているので、それらの開発に関するリンクを以下に掲載しておく。

GitHub: Monaparty

Askmona: Monacoinでトークン

MonacoinとXMP

CounterpartyではBitcoinとXCPが対応していたが、MonapartyではMonacoinとXMPが対応していると考えれば分かりやすい。またMonapartyのProof of Burnは1,166,000〜1,179,440ブロックまでの期間行われ、1Monaにつき1000〜1500XMP配布されることになっている。早めに送金すれほどもらえるXMPが多いので、お得になるという特典付きだ。(※既に締め切られているのでMonacoinは絶対に送金しないように。二度と取り戻せなくなる。)

Monacoin: 最新のブロック

MMonapartyMMMMMMMMMMMMMMMMMMMUzGgh

Counterwallet-monaとは?

現状Monapartyに対応しているウォレットは以下のCounterwallet-monaしかない。なのでこれを登録して使用するのが基本になる。今後はどうなっていくのかまだ分からないが、他のMonacoin用のウォレットを含めて対応しているものはないので、現状このウォレット以外を使用すると取り出せなくなる可能性があるので注意が必要。先日はこのCounterwallet-monaを使用してMonacoinをXMPに変換したことになり、このウォレットを使用して独自トークンを発行することも可能だ。

Counterwallet-mona

何故CounterpartyではなくMonapartyなのか?

Counterpartyの代替プラットフォーム

そもそも何故CounterpartyではなくMonapartyなのか?一つの理由としてはBitcoinの送金手数料と送金時間が増大してしまったことと、XCPも値上がりしてしまったのでCounterpartyが以前のように気軽に使用できなくなってしまったという理由がある。それに対してMonacoinは現在暴騰しているものの、発行総数などを考えてもBitcoin以上に値上がりすることは考えにくいので、MonapartyのようなCounterpartyの代替プラットフォームがあれば便利という面がある。

投機家の加熱

またXMPは将来仮想通貨取引所に上場して、値上がりするかもしれないので、投機家たちが祭りに参加してMonacoinを焼きまくったということも考えられる。基本的にはXMPもデフレ通貨だが、燃やせば燃やすほど価値が上がるのはMonacoinの方であり、Monapartyの開発者も予想外な程燃やされているのが現状。これに関してはネタがベタになってきてしまっている感じがして、少し加熱しすぎな感じはしている。Monacoinに関してもこの加熱が続けば、将来的にBitcoinとXCPのように値上がりや送金遅延の問題が出てこないとも限らない。

コミュニティと文化

個人的にはMonacoinとPepecashなどのネタコイン、ネタトークンを集めるのが一番好きなので、これらのエコシステムが今後どうなっていくのかには興味を持っている。MonacoinとPepe Cashが素晴らしいのはコミュニティがあり、文化があること。さらにMonacoinは実用性の面でもかなり使えるようになってきている。MonacoinやPepecashは恐らく今が一番面白い時期で、BitcoinとBitcoin Cashなどの頂上決戦も興味深いけれど、こちらの動向を追っている方が面白い。ちなみに以前全てのアーティストは通貨発行権を持っているという記事を書いたが、XMPで作る独自トークンはそれと関連づけたものにしたいと思っている。ただまだ考えがまとまらないので、それに関してはまた後日。

niconicoは何故死んだのか?

niconicoの諸行無常

かつてのniconicoは素晴らしかった。しかし今となっては昔の見る影もなく死んでしまった。この2点について異論のある人は余りいないと思う。そこで当然疑問となってくるのは、「何故」かつては素晴らしかったniconicoというサービスが死んでしまったのかということだ。一言で言えば運営側が問題があることは認識しているが、その問題の根源と重要性、優先順位を把握していないということに尽きる。そこで今回は悪い意味で話題となった「niconico(く)サービス発表会」という時事ネタなどを挟みつつ、niconicoが何故死んだのか?について考察していきたい。

「niconico(く)サービス発表会」

問題の根源: ユーザーの立場の無理解

まずはこちらの「niconico(く)サービス発表会」の映像を観て欲しい。

「niconico(く)サービス発表会」

2:10:27なので長いかと思いきや、18:06程度で終わる。もしくは本編は観なくてもいいので、最初の3分程度のオープニング映像を観れば今のniconicoに何が起こっているのかが大体理解できるだろう。まるで盛り上がらないパーティ、滑稽なコントを無理矢理テンションを上げて盛り上げようとすればするほど的外れ感が増して滑りまくり、もはや何をやってもマイナスにしかならない空気と迷走どころではないユーザーを無視した運営の暴走が見て取れる。コメント、現場に関わらずユーザーは株主として倒産寸前の会社の株主総会に出席しているような感じになっており、雰囲気としては一触即発、もしくはもはや白けすぎて何も言えないといった状態。ユーザーのコメントなしでは見られたものではないが、コメントが辛辣すぎて泣けてくる。しかし、一々正論を言われているので運営は無視できないという地獄のような状況になっている。niconicoの運営が打ち出している方向性としては「時代遅れのおやじたちが会議室の中で考えた最強の動画配信サービス」になってしまっている。このように運営がユーザーの方を向いていないことが問題の根源である。

重要性と優先順位の認識違い

プレゼンの中では「画質と重さは完全解決したのか?」という内容が話されていたが、運営側は当然それらの問題を以前から認識していたし、迅速な対応と改善も約束していた。しかし問題は認識していたとしてもその問題の重要性を全く認識していなかったところに問題があり、今回その認識の甘さが大々的に露呈してしまった。そもそもこうなってしまった原因は、先程言ったように運営がユーザーの立場を理解していないことにある。なので優先順位が誰も必要としていない新機能の追加の方に向かってしまい、最重要であるはずの「画質」と「重さ」の改善にはまだ時間がかかるというようなプレゼンになってしまった。ユーザーの立場からすれば新機能は一切追加しなくても良いから、まず「画質」と「重さ」を改善してくれという程度には致命傷の問題だったはずなのだが、運営とユーザーにおける認識のずれは予想以上に深刻だったようだ。

無駄な新機能追加

今回追加されると発表された主要な新機能は以下の四つ。

・nicocas
・ニコニコまとめ
・ニコニ広告還元
・dアニメストア ニコニコ支店

率直に言ってこれらの機能の大半は無駄、もしくは優先順位が低いように感じたが、以下でそれぞれを簡単に説明してみる。

nicocas

「niconico(く)」はニコニコ動画、ニコニコ生放送、nicocasの三つに再編されるらしく、nicocasは「動画」、「生放送」、「双方向」、「映像合成」の四つの要素を重視して作り込むサービスになる予定らしい。将来的には既存のサービスとの統合も予定しているとのことだ。それだけでは分かりにくいと思うので、以下のリンクを参照するとnicocasでどんな新機能が追加されるかが分かる。

http://site.nicovideo.jp/crescendo/index.html

ざっと見た感じ最後の「スマホがセカンドカメラに」以外特に必要ない機能な感じがする。niconicoはスマホ対応に出遅れて失敗したので、これに関しては期待が持てるが、例えば「オープニング&エンディング」は配信者が工夫すれば良いだけであって、そこにある種のクリエイティビティと差別化が発生するのに、運営が口出しするところではない。また「ニコ割ゲーム」や「8パズル」などの一瞬で飽きそうな機能をこの状況で大々的に入れる必要があるのか分からない。さらに根本的な疑問を言ってしまえば、そもそもnicocasは必要なのかという疑問があるのと、nicocas内部の機能に関しても現状、そもそも何故企画段階でこれを通したのか良く分からないというような機能ばかりだった。

ニコニコまとめ

ニコニコまとめ

これに関しては使用してみないと良く分からないが、流行のキュレーション、まとめの要素を動画と融合させたサービスといった印象。niconicoの強さは日本独特のコミュニティーとカルチャーの強さだと思うが、そういったものがニコニコまとめから生まれてくれば面白いのかもしれない。ただニコニコ動画は映像にコメントを付けるという当時としては革新的なサービスに取り組んだのに、ニコニコまとめは明らかに他のサービスの後追いであり、企業体制自体が保守的で後追いになってしまっている印象は受けた。

ニコニ広告還元

ニコニコ広告還元は動画投稿者と生放送配信者にとっては嬉しいはず。クリエイター側の収益が上がれば、niconicoで動画投稿、生放送配信するモチベーションはある程度保たれる。一般的なユーザーには余り関係のない話だが、これに関しては基本的に改善と言って良さそうだ。広告還元の割合の詳細は非公開と言っていたが、それも特に悪いとは感じない。確かにお金の話を嫌がるユーザーはいるし、一目見て収益が計算可能な状態というのがこういった楽しむためのサービスにとって必ずしも良いとは思わない。問題が起こるとすれば、還元率が著しく悪い場合だろうが、さすがにそういうことはしない気がする。

dアニメストア ニコニコ支店

dアニメストアは定額制のアニメ見放題のサービスになるが、そのサービスがニコニコチャンネルでもニコニコ支店として開設されるとのこと。これに関して驚いたのは、dアニメストアのアカウントではニコニコ支店は利用できないので、既にdアニメストアのアカウントを利用している場合かつニコニコ支店を利用する場合は料金を2倍払わないといけないというところ。そうであるならば、何故「支店」と名乗っているのかいまいち良く分からない。2倍の料金を支払わずにdアニメストア ニコニコ支店を利用したい場合は、一回dアニメストアの利用を辞めてからニコニコ支店の登録をする必要があるが、それでは本末転倒という気がする。このサービスの導入に関しては元NTTドコモの夏野剛の影響が大きい感じがするが、彼はどう思っているのだろうか。

炎上の副次的な要因

今まで述べてきたようなことが全ての問題の根幹にあるのだが、今回の発表会がコメントを含めて炎上してしまったのは以下のような副次的な要因もある。

・プレゼンが下手
・延期に次ぐ延期

それらについて以下で簡単に説明してみる。

プレゼンが下手

川上量生は非常に優秀な人物であると認識しているが、プレゼンには明らかに向いていない。プレゼンは本質的なことというよりは、装飾的なことが求められるのであって、基本的にはオタク、エンジニア気質である川上量生は前者の話をしてしまうので魅力が伝わりにくい。スティーブ・ジョブズのプレゼンが何故優れていたかと言えば、それはプレゼンをマジックショーにしてしまったからだ。今回のようなタイプのプレゼンは一種のショーであって、議論の場ではない。また大前提としてプレゼンするサービスが素晴らしいというのは必須ではあるが、たとえそこの魅力に欠けていたとしても何とかする術はあるはずで、そういった方法論を実行できるかには向き不向きがある。基本的な話し方などの問題もあるが、これは気質的な問題でもあるので、プレゼンは完全に他の人に任せてしまった方が良いかもしれない。以前川上量生は宮崎駿を怒らせたことがあったが、あのプレゼンに関しても言っていることが間違っているというよりはプレゼンの仕方に問題があったと思っているので、これに関しては割と根が深い問題である。

延期に次ぐ延期

そもそも「niconico(く)」は2017年10月に実装予定であったので、今回の「niconico(く)サービス発表会」が開催された時点では既に実装が延期されていたことになる。それにも関わらず今回でさらに2018年2月にサービス開始予定を延期したために、ユーザーにとっては延期に次ぐ延期ということになってしまった。ただでさえ競合サービスに人が流出し、「画質」と「重さ」の問題が解決しないまま我慢していたユーザーに溜まっていたフラストレーションは、もはやここで臨界点に到達してしまった。数ヶ月の遅れはこの時代にとっては致命的であり、この状況で延期に次ぐ延期を繰り返すということは、もはやユーザーから見限られても文句は言えない。また延期というのは時間の重みの認識の甘さを示すだけではなく、運営とユーザーの信頼関係を破壊する行為であり、今回の約束を守れずに次にまた延期ということになれば、炎上は今回の比ではなくなるか、もしくは見限られすぎて炎上すらしない状態になってしまいそうだ。

改善策

誰に対して「双方向」か

今後のniconicoの改善策を出すとすれば、まずniconicoでユーザー同士の「双方向機能」を充実させる前に、運営とユーザーの「双方向性」を改善した方が良い。ユーザーの顔が見える人が運営の決定権を持たなければ、サービスは緩やかに死んでいく。ただこれはどんな企業でも対策が難しくて、「大企業病」はある程度継続して事業を続けていれば訪れるし、そもそもniconicoは10年以上続いているサービスなので、プラットフォームサービスとしての寿命はむしろ長寿の部類に入る。niconicoは結局川上量生次第なので、彼が変わらなければこのままサービスとして死んでいくだろうし、変わるのならもしかしたらまだチャンスはあるのかもしれない。

二つの方向性

具体的な改善策としては二つの方向性がある。一つは彼が時間を使ってniconicoを使い倒し、ユーザーの顔が見えるようになること。もう一つは組織の内外問わずユーザーの顔が見える人に運営の決定権を渡すこと。このどちらかの方向性に舵を切るしかない。ただ個人的には前者は川上量生は既に満たされて「幸せになってしまった」と思っているので、「Stay hungry. Stay foolish.」の精神を今から改めて持てるかと言えばかなり難しいのではないかと思う。宮崎駿の挙げる創造的な仕事をするための三つの条件は「若いこと」、「無名なこと」、「貧乏なこと」だった。これらのいずれの条件も川上量生からは既に失われてしまっている。さらに後者の運営の決定権の譲渡に関しては「大企業病」に罹患しているなら解決は難しいし、今まで改善していないことから考えても今後改善される可能性は低い。

今回の記事のまとめ

今回の記事の流れ

今回の記事では、かつて栄華を誇ったniconicoの凋落の原因、炎上の副次的な要因、改善点を主にまとめた。問題の根源は運営がユーザーの立場を理解していないことにあり、それによってタスクの重要度と優先順位を見誤ってしまった。また無駄な新機能を次々と追加することもユーザーに対する無理解を証明すると共に、火に油を注ぐ行為になってしまった。炎上の副次的な要因としてプレゼンの下手さと延期に次ぐ延期に関しては、今後対処していかないとさらに信頼を失うだろう。改善策としては川上量生が変わるか、ユーザーの顔が見える人に運営の決定権を渡すことだが、それらが行われる可能性は低い。

niconicoの強みと役割

niconicoには元々独自のコミュニティとカルチャーを持つという強みがあり、超会議などのイベントを含めて海外サービスとは違う日本独自のサービスの在り方を探求してきた。それは明らかにniconicoの優れた部分だったはずだが、新機能追加の様子を見ているとまるでスマート家電のようにゴチャゴチャと分かりにくく、ユーザーのニーズのない機能を搭載しようとしており、日本特有の悪い部分が出てしまったという感じだ。運営とユーザーが双方向に一つの作品を作るという理念は分かるが、インフラが滅びかかっている現在の状況ではniconicoはインフラを改善、維持する役割に徹するべきであり、その道沿いにある店の看板や内装に口出ししている場合ではない。またその店に来る客は今道路が工事中なので不便でもひたすら待っていてくれと言い続けられている。店に客が来ないのはそもそも工事がされておらず、道が整備されてないからであって、店主や客、つまり動画投稿者、生放送配信者、視聴者などのせいではない。

総括と今後

総括として結局niconicoは何だかんだでテレビにも、YouTubeなどの海外のサービスにも勝てなかった。東浩紀による一般意志2.0の具体例としても挙げられたサービスがこうして終わっていくのを見るのは辛い。スマホ対応、ログインなしの視聴、人数制限解除など取り組むべき優先順位の高い課題は色々あるはずで、「niconico(く)サービス発表会」が途中で人数制限し、パソコンのみ視聴可能と言い出した時には遂に自虐的なセルフパロディをやり出したのかと本気で思った。「21.2世紀」は迫ってきているが、今回の件で株価にも影響はあるはずで、その時までniconicoがサービスとしても会社としても存在していることを祈る。

追記

後日川上量生による謝罪と今後の見通しが発表されたので、リンクを掲載しておく。また同時に記事で言及されているニコニコ宣言のリンクも載せておく。この状況では何をしようが炎上するだけなので、12月3日に予定していたnicocas体験会を中止するというのは良い判断だった。今回の炎上騒動を経て「niconico(く)」がどうなっていくのかは分からないが、何かニュースがあればまたどこかでまた取り上げるかもしれない。

niconicoサービスの基本機能の見直しと今後に関して

ニコニコ宣言(9) ~ すべてのニコニコしたいユーザーに向けて ~

2変数関数をGoogle検索で3Dグラフィックス表示して遊んでみた

Google検索の電卓機能と関数グラフ表示機能

Google検索に電卓機能が付いていることは、Google検索を使用する大半の人が知っていることかと思う。この電卓機能の使用方法としては「電卓」と検索して出てきた電卓を使用して計算する方法と、数式を直接検索で入力する方法の2種類がある。一方でGoogle検索で関数を検索すると、実際にグラフを表示することができることを知っている人はそこまで多くないかもしれない。先日書いた以下の記事の項目ではその機能を使用して関数グラフを表示している。

「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」: 2^nの威力

さらにGoogle検索では2Dグラフィックスだけではなく、3Dグラフィックスにも対応しており、2変数関数を3Dグラフィックス表示して遊ぶこともできる。この機能自体は何年も前に「WebGL」を使用して実装されていたものだが、これを知っている人はかなり少ないだろう。しかしこれは大変面白い機能なので、今回はこの機能を使用して遊んでみようと思う。ちなみにこの機能は「WebGL」に対応したGoogle ChromeやFirefoxなどのブラウザでないと使用できない可能性があるのであしからず。

関数と2変数関数

実際に遊び始める前に前提知識として、関数について2変数関数を含めて簡単に説明しておく。

関数
「入力」 → 「処理」 → 「出力」

関数とは一言で言えば「入力」 → 「処理」 → 「出力」という一連の流れがあった時に、「処理」の部分を担うブラックボックスのことである。例えばある関数に「ダイヤ」を入力したら「タイヤ」が出力され、「ゴマ」を入力したら「コマ」が出力され、「ガラス」を入力したら「カラス」が出力されたとする。ではこのブラックボックスでは一体どのような「処理」をしているのかと推測してみると、恐らく先頭の文字の濁点を取るという「処理」をしているのだろうと分かる。このように一旦仕組みが分かれば、ブラックボックスは便利なツールに変わる。今度は「ビール」を入れてみることで「処理」の法則が確認ができるし、「パリ」を入力してみることでより多くのことが分かるだろう。

関数の応用

説明をより数学に近付けてみると、変数xを先程の「入力」として考え、変数yを先程の「出力」と考えれば良い。例えばy = 2xという関数があった場合のことを考えてみる。試しにxに2を「入力」すると、2倍に「処理」され、4として「出力」されたものがyになる。こうやって考えると先程の「入力」 → 「処理」 → 「出力」とやっていることは何も変わらない。余談だが人間の脳と心も何かしらの関数で動いていると推測されるが、その仕組みは複雑すぎるので記号として記述可能なものであるかどうかは分かっていない。なので物理的な脳と情報的な心の両面から準記号のレベルを含めた記述が求められるが、それらの仕組みが従来のfMRIや行動心理学のような単純な記述で解明されるものではないことは確かだ。またDeep Learningがこの先幾ら進化したところで、そのパラダイムでは究極的に強いAIの理念のような感情を持つAIができることはないだろう。

2変数関数

2変数関数とは先程の「入力」 → 「処理」 → 「出力」のモデルの中で、「入力」が二つの変数からできている関数のことだ。この二つの変数を「入力」して「処理」した結果に対しては、「出力」としてもう一つの変数が必要になるので、合計で三つの変数が登場することになる。これを数式で表現するとz = f(x, y)のように表現することができる。このように表現すると途端に難しく感じられるかもしれないが、例えば2変数関数の例としては三角形の面積が挙げられる。つまり「底辺」と「高さ」という二つの変数を「入力」して公式で「処理」し、出力されたものが「面積」となる。数式としては「底辺」をx、「高さ」をy、「面積」をzとすると、z = (x*y)/2で表現できる。また「入力」する変数が二つ以上のものを多変数関数と呼ぶので、2変数関数は多変数関数の一種でもある。

三つの2変数関数の3Dグラフィックス

さてここからは実際に2変数関数をGoogle検索することで、3Dグラフィックス表示して遊んでみる。全部で三つの2変数関数を紹介するが、興味のある方は是非自作の2変数関数を作って遊んでみてほしい。この3Dグラフィックスは拡大、縮小、回転などもできるので、様々な角度から楽しむことができる。ちなみに分かり易いように3Dグラフィックスのスクリーンショットと数式で検索したリンクも同時に掲載している。

三角形の面積

z = (x*y)/2

最初は先程紹介した三角形の面積である、z = (x*y)/2。x、y、zの三つの変数が縦、横、高さの三つの次元として捉えられ、それらの対応関係が3Dグラフィックスとして表示されている。

イースターエッグ

z = 1.2 + (sqrt(1 – (sqrt(x^2 + y^2))^2) + 1 – x^2 – y^2)*(sin(10000*(x*3 + y/5 +7)) + 1/4) from -1.6 to 1.6

数式が凄まじいことになっているが、これは以前Googleのイースターエッグとして紹介されていたものになる。「sqrt」は平方根、「sin」は三角関数の正弦を意味しており、「from」と「to」を使用して変数の範囲を指定している。

第Ωの使徒 ベリアル (Belial)

z = sqrt(x^2*y^2 – tan(x*x + y*y))

最後に自作の関数で作った3Dグラフィックスを紹介する。イメージ的に新世紀エヴァンゲリオンの使徒っぽくなったので、第Ωの使徒 ベリアル (Belial) と名付けた。ちなみに使徒の名前はユダヤ教、キリスト教の天使の名前から命名されていることが多いので、あえて堕天使の名前を使ってみた。また数式の「tan」は最初は「cos」だったものを変形してアレンジしたものであり、今回の記事のFeatured Imageとして使用している画像は「cos」の画像になる。「cos」の方がより十字架の感じが伝わるかもしれないが、「cos」と「sin」ではほとんど形が変わらないことは興味深い。さらに範囲指定を変えたり、演算子を変えるだけで違った形になる面白さもある。ベリアルを変形したこれらの形は以下のリンクに掲載しておくが、これらをさらにアレンジしても面白い形ができるかもしれない。

z = sqrt(x^2*y^2 – cos(x*x + y*y))

z = sqrt(x^2*y^2 – sin(x*x + y*y))

z = sqrt(x^2*y^2 – tan(x*x + y*y)) from -5 to 5

z = sqrt(x^2*y^2 + tan(x*x + y*y)) from -2 to 2

今回の記事のまとめ

「発明」か「発見」か

今回の記事では2変数関数を含めた関数について簡単に説明した後に、2変数関数をGoogle検索で3Dグラフィックスとして表示する機能を使用して遊んでみた。このように適当に数式と3Dグラフィックスで遊んでみると、徐々に数学が「発明」ではなく、「発見」されるものだという感覚が掴めてくる。確かにある特定の数式とイメージは自分が「発見」しなければ見つからなかった可能性が高いが、一方でそれは「発見」される前に既に存在していたと捉えれば「発明」というのは違う気がしてくる。というより量子物理学的なミクロなレベルにおいては、存在は確率的に同時に可能世界として存在しているとも考えられるので、その場合はやはり宇宙というのは自分がいなくても存在するが、自分という存在が観測することでより意味のあるものになるということなのだろう。そして自分の宇宙をより意味のあるものにするためには、自分の視野を広げて様々な角度から掘り下げていく必要がある。

数式のイメージ化

また数学が分からなくなる人、苦手な人の大半は、数式がイメージとして捉えられていないのだと思う。数式をイメージとして捉えられないと、それはただの意味不明な呪文か抽象的な文字の羅列になってしまう。そういう意味では今回のように直感的に数式で遊ぶという経験は、数学教育にも役立つはず。iPhoneやiPadなどのデバイスが登場した時に思ったのは、よりイメージが体感に近づくことで学習効率が上がるということだった。ただし現在のようなXRの時代には平面的な箱に閉じ込められた立体よりも、物質をどのように情報として扱うか、もしくは情報をどのように物質として扱うかが大事になってくる。

Wolfram Alpha

最後にGoogle検索の他にもWolfram Alphaというウェブサイトが面白いので紹介しておく。このウェブサイトではGoogle検索とは違ったアルゴリズムで検索が可能であり、特に先程の数式などを入れてみればその有用性が分かると思う。もしくは「Pikachu‐like curve」や「Hatsune Miku‐like curve」で検索し、「Show ticks」をクリックするとその面白さが分かるだろう。数学とアートの限りなく奇跡的な融合は、自然に見出だされる美のように美しい。その美を一瞬のうちに体現してくれるテクノロジーに感動を覚えながら、今日はこの辺で締めとしたい。

「石版を丸呑みする回転木馬」の制作初打ち合わせ

2点の報告

以前「詩とリトグラフのアーティストブック」の進捗状況という記事で「石版を丸呑みする回転木馬」の制作に関する進捗状況を報告した。今回は遂にNILと濱中さんと椙元君の3人で制作に関する初打ち合わせをしたので、その結果を報告をしたい。打ち合わせはいつも通りダイナミックサイクルで行われ、記憶が正しければ5時間程度話し合った。ちなみに本題とは全く関係ないが、途中でファミリーマートの「冷凍つけ麺」を食べた。これはラーメン屋と比較してかなり安く、結構美味かったのでお勧め。それでは今回の報告内容は以下の2点。

・展覧会、イベントの開催日程の決定
・各人の役割と作業スケジュールの決定

展覧会、イベントの開催日程の仮決定

まずは「石版を丸呑みする回転木馬」というアーティストブック発売に関連する展覧会、イベントの開催日程の仮決定について。展覧会の開催日程は2017年12月26日(火)〜2018年1月31日(火)を予定している。またイベントの開催日程は2018年1月13日(土)と2018年1月27日(土)を予定している。場所はダイナミックサイクルで、以下のリンクのようにGoogle Mapsで検索すれば出てくる。

リトグラフ版画工房 ダイナミックサイクル

展覧会の内容、イベントの内容、オープン日時、イベント開催時間などは詳細が決まり次第追って報告する。ちなみにイベントは今のところ、トーク、今回の作品にちなんだ料理、アニメ、AIの大喜利などのキーワードが出てきているので、どこまで実現できるかは分からないけれど来られる方は楽しみにしていてほしい。

各人の役割と作業スケジュールの決定
NIL

個人的な役割としては詩は既に作り終えているので、本の題名、副題、内容を含めた翻訳を進めていく予定。前書きはNIL、後書きは濱中さんが執筆予定なので、プロフィールも含めてその辺りの執筆作業もする。後は以前から何度か言及していた束見本について、表紙と見返しの厚みが薄くて強度が心配という話になったので、カバーと表紙と見返しに分けた上で、表紙は以前紹介した紙とは別の厚めの紙を使用して制作する予定。他には全体的に日本語も英語も含めて編集、校閲、校正などを進めていければ理想的。余裕があれば展覧会、イベント、販売する作品、グッズなどの企画も同時に練っていきたい。

濱中さん

濱中さんは表紙の絵も担当することになったので、まずは表紙の絵を最優先で仕上げることになった。既に詩に合わせたリトグラフの絵を50枚という無茶振りをしたので、絵の方もスケジュールがタイトになっている。幾つか絵のサンプルを見せてもらっているけれど、傑作になりそうな予感が既に漂っている。リトグラフを刷る際には手伝いに行く予定で、どんなものが出来上がるのか今から楽しみ。他にも濱中さんの絵を見ていると、3Dプリンタ、ゲーム、カードゲーム、VR/AR、福袋など幾つものパラレルワールド的な展開が思い付くのだけれど、無理をしない範囲で進めていくのが良い気がする。というかそれらをやり始めたら一番死ぬのは自分自身である。

椙元君

椙元君はまず台割と呼ばれる本のページの設計図を作る。台割ができれば束見本を制作することができるし、字数などもこの時に大体決める。本の装幀に関しては基本的にお任せしたので、フォントや配置などを含めて素晴らしいものができるはず。ポートフォリオなども見せてもらったし、話した感じ本の制作に関してとても詳しく、非常に優秀なので安心して仕事を任せられそう。他にも宣伝のためのフライヤーの話なども出たし、グッズに関しても色々頼めることがあるはずで、追い詰められた制作状況の中で非常に助かる。

今後の展開について

12月は制作と展覧会とイベントの追い込み期間になってくると思われるので、基本的には一番の優先順位はそれらに分配されることになるはず。個人的には色々な人と何度もコラボレーションをやってきたけれど、自分に足りなかった反省点があって、それは相手を信頼して仕事を任せること。自分の中で上手くいったと思えるコラボレーションはそこができていたし、いまいち上手くいかなかったものはそこができていなかった。確かに神は細部に宿るので細かい部分に拘ること自体は悪くないし、意見のぶつかり合いは絶対に必要だけれど、伝え方を含めたコミュニケーションの仕方には改善の余地があったと思う。今回のコラボレーションに関しては全員専門性が高いので、ある意味無茶振のし甲斐がある。良い無茶振りは人の潜在能力を引き出し、成長させる。しかし、無茶振りをするからには無茶振られる覚悟が必要であり、自分も人一倍やっていなければ信頼されない。特にイベントの内容は自分に無茶振った感があるが、果たしてどうなるのかは今の自分には予測が付かない。とりあえず現段階で言えることは、想像以上に良い物ができているので、少なくとも地球上の全員作品を観に来て欲しいということだけだ。

追記: 「Cyber Antique」について

コラボレーションのメンバーの中で連絡を取る必要があったので、Slackのチーム名を「Cyber Antique」と勝手に名付けたが、その意味をここで密かに発表する。元々「Cyberpunk」の世界観が好きで、それと同時に「Retrofuturism」の世界観も好き。今回のアーティストブックを作るにあたって濱中さんにはほとんど注文を出さなかったのだけれど、参考までにそういう感じのキーワードは出した気がする。実際に濱中さんの描く変幻自在な絵にはSF的かつどこか懐かしい要素も含まれている気がしていて、そういった世界観を融合させた造語として「Cyber Antique」という単語を思い付いた。特に今のところこの言葉が特定の意味を持っているわけではないけれど、名付けることによって生まれる何かもあると考えており、それが詩の力でもある。最近何かが生まれ落ちた音と大きな脈動を感じているが、もしかしたらそれは幻聴ではなかったのかもしれない。

「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」

「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」

今回の記事では最近話題の「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」について書いてみる。「量子コンピュータ」については今回簡単に仕組みと時事ネタを含めて説明するが、「ブロックチェーン」については以前以下の記事で詳しく説明したので、そちらを参照してほしい。

仮想通貨バブルとフィンテックバブル 前編: ビットコインとブロックチェーンの仕組み

何故「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」を同時に取り上げるかと言えば、最近この二つのキーワードが揃って取り上げられることが多く、一部には誤解を含めた情報が飛び交っていると感じたからだ。またこの二つは技術は全く異なる技術ではあるが、将来にわたって今後人々に最も大きな影響を与える可能性のある技術であることは共通している。

「量子コンピュータ」について

「量子コンピュータ」の仕組み

「量子コンピュータ」という言葉は以前から聞いたことがある人が多いはずだが、その実態を知っている人は未だに極少数しかいないだろう。なのでまずは「量子コンピュータ」の仕組みを簡潔に説明してみる。そもそも従来のコンピュータは「0」か「1」かという「ビット」の単位で情報を扱い、その組み合わせで全てのデータを処理するシステムだった。一方で「量子コンピュータ」はその「0」と「1」を重ね合わせ状態にした「量子ビット」という単位で確率的に情報を扱うことで、データの処理能力を飛躍的に向上させたシステムになる。この「量子ビット」を使用すると、例えばn個の「量子ビット」が存在した場合、2^n個の状態が同時に存在していることになり、超並列処理が可能になるということだ。

2^nの威力

2^nの威力がどれ程凄まじいものなのかは、上に掲載したグラフを見れば一目瞭然だろう。これはGoogleでy = 2^xで検索したものを、スクリーンショットで撮影した画像になる。ちなみにそのリンクは以下。

y = 2^x

このxに代入する数を増やせば、yは加速度的に増えていくことになる。「指数関数的」という言葉は耳にしたことがあると思うが、y = 2^xは指数関数なのでその状態を文字通り体現しているのがこのグラフになる。これは仮想通貨で喩えるならば「草コイン」を漁っていたら急に「to the moon」したみたいな感じだ。ちなみに「草コイン」とは人気のないアルトコインのことで、「to the moon」とは月に届く勢いの暴騰のことを指す。「量子ビット」においては基本的にはn ≧ 1なので、nを増やせば処理能力の指数関数的な上昇が見込めるということだ。

直列処理と並列処理と超並列処理
直列処理

次に処理方法である直列処理と並列処理と超並列処理について。直列処理とは一つ一つのタスクを逐次的、つまり順序立てて処理する方法のこと。例としては三段論法が分かり易い。三段論法ではAはBである。またBはCである。よってAはCであるというという論理の流れを辿る。これは前提がそもそも成り立っていることを証明できないという意味で欠陥のある方法であり、その進化した方法論としてはディベートにおけるトゥールミンロジックがあるのだが、今回はディべートの話ではないのでそれについては割愛する。他にもこの処理方法の欠点としては、並列処理と比較して処理スピードが遅いということが挙げられる。

並列処理

次に並列処理について説明すると、並列処理とは複数のタスクを同時に処理する方法のこと。例としてはCPUとGPUの違いが分かりやすい。現在ではマルチコアのCPUが当たり前の時代になっているので、必ずしもCPUが直列処理とは言えないが、基本的にはCPUは直列処理、GPUは並列処理と捉えておいても大きな問題はないだろう。CPUとGPUの違い、直列処理と並列処理の違いについては言葉で説明するよりも、以下の1:33の映像を見てもらった方が早い。

この映像では最初にCPU、次にGPUを使用したペインティングのデモが見られるが、その効率性と方法の違いは一目瞭然だ。また元々GPUは画像処理に特化したプロセッサとして登場したが、今ではDeep Learningの処理などにも欠かせないものとなっている。

超並列処理

最後に超並列処理について説明すると、超並列処理とは重ね合わせを使用することで、問題を分割したりまとめたりせずに同時に処理する方法のこと。直列処理と並列処理の違いは基本的には量にあったわけだが、並列処理と超並列処理の違いは質にあり、だからこそ並列処理を「超」えているわけだ。ただし注意するべきなのは「量子コンピュータ」が超並列処理ができるからといって万能ではないということ。例えば「計算可能性」という言葉があるが、これは簡単に言えばコンピュータが解ける問題は何かという限界を考察する概念である。この「計算可能性」の観点から見れば、「量子コンピュータ」は従来のコンピュータで解けなかった問題が解けるようにはならないとされており、まるで魔法のように原理的に解けない問題が解けるようになるわけではない。また後述する「量子コンピュータ」の種類にもよるが、「スーパーコンピュータ」より「量子コンピュータ」がどんな使用用途でも従来のコンピュータより圧倒的に優れているかと言えばそういうわけでもなく、基本的には特定分野に特化して処理能力が高いと考えた方が良い。さらに重要なことは、問題は人間が適切に設定しないといけないという点において、Deep Learningと同じく人間の果たす役割が重要である。

「量子コンピュータの種類」
「量子ゲート」方式と「量子イジングマシン」方式

「量子コンピュータ」の分類の仕方は幾つかあるのだけれど、大別して「量子ゲート」方式と「量子イジングマシン」方式の2種類が存在する。「量子ゲート」方式は未だに実用化はされていないが万能な「量子コンピュータ」と言われており、これが実現した場合にはブロックチェーンを含む暗号通信が破られる可能性があるとして一部で話題になっている。これは必ずしも真実ではないので、後述する。また「量子イジングマシン」方式は「量子アニーリング」方式、「レーザーネットワーク」方式などを含んで幾つかの方式がさらに細分化されている。この「量子イジングマシン」方式は基本的には「組合せ最適化問題」に特化しており、「量子アニーリング」方式ではD-WAVE社を初めとして実用化も進んできている。

「量子ニューラルネットワーク」方式

その他にも先日発表された「量子ニューラルネットワーク」方式などがあるが、これに関しては今のところ「量子コンピュータ」であるかどうかすら疑わしい。本来はどの種類の「量子コンピュータ」も違った用途や理念を目指して進化していくべきなので、様々な種類の「量子コンピュータ」が出てくるのは良いが、余りに何でもかんでも「量子コンピュータ」としてしまうのはBitcoinのハードフォーク祭りによるアルトコインのブランド獲得に似たものを感じてしまう。そもそも昔の発表ではこれを「量子コンピュータ」とは呼んでいなかったわけで、今流行中のDeep Learningから「ニューラルネットワーク」という言葉を持ってきて、これまた今流行中の「量子コンピュータ」のブランドを借りて名前を変えて注目度を高めるという広告代理店的な匂いを感じた。もちろん技術そのものは名称や発表の仕方に関わらず有効な可能性はある。しかし、ただでさえ分かりにくい「量子コンピュータ」の世界がこれからも仮想通貨のハードフォーク的に色々分裂していくと、短期的には宣伝効果があって良いかもしれないが、長期的には「量子コンピュータ」自体のブランド価値を既存しかねないという印象を受けた。イナゴはエコシステムを破壊するという意味で害悪であり、黄金の卵を産むガチョウを殺してはならない。

「量子コンピュータ」によって「ブロックチェーン」は破られるのか?

結論から言えば、将来的に破られる可能性はあるが、現状ではそこまで心配する必要はないと考える。そもそも暗号解読に向くのは「量子ゲート」方式になるが、これは実用化までまだまだ時間がかかるとされており、その間にも「ブロックチェーン」の方での対策も進んできている。ただ一つ注意しておきたいのが怪しげなアルトコインの中には「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」という言葉をバズワードのように使用し、その対策ができているので安全ということを謳っているものがあるが、その中にはScamも多数含まれているので良く調べてから判断した方が良い。というよりそもそもアルトコインやICOはほとんどがScamなので余り期待するべきではなく、また値上がりしたからScamではないという判断も危険である。またインターネット上のあらゆる場所で使われているRSA暗号については将来的に「量子コンピュータ」が脅威になる可能性はあるが、短期的には特に心配する必要はなく、長期的には様々な対策も出てくるものと考えられる。そういう意味で仮想通貨の崩壊のシナリオは幾つか考えられるが、「量子コンピュータ」によって「ブロックチェーン」が破られて一気に崩壊というシナリオになる可能性は現状ではそれほど高くない。「量子コンピュータ」と「ブロックチェーン」については感情指数と仕手によって支配された仮想通貨の相場より興味があるので、今後も引き続き追いかけていきたい。

「エモ駆動」と「エモ駆動系」

「エモリティ」について

「エモリティ」はこれからの時代における最重要要素の一つである。「エモリティ」の定義は以前書いた朝の散歩と瞑想: エモリティの上昇という記事の最後の段落で説明されているが、再度簡潔に説明すると「エモリティ」とは「エモさ」の「クオリティ」のことだ。「エモさ」の「クオリティ」は感情という心の働きに対する刺激をどのように捉え、またどのように扱うかによって決まる。先日書いた「Web Bot」: 「人工知能の教祖」の時代という記事では「Web Bot」という未来予測のアルゴリズムを紹介したが、これは疑似科学である可能性が高いということだった。しかしその定量的な計測方法の正確性は置いておいて、「エモさ」というデータに着目するという着眼点は非常に面白く、また興味深い。

「感情の劣化」: 「最適化」と「進化」の違い

「感情の劣化」

社会学者の宮台真司はかつて反知性主義的な「知性の劣化」に対して、「感情の劣化」という言葉を使用した。「感情の劣化」とは要するに真理の到達よりも感情の発露を優先する状態のことを指す。これはPost-truth的な現象の原因を説明する上で欠かせない概念だろう。しかしこの現象を止めることはできないし、むしろ「感情の劣化」は人類の現代という時代への「最適化」であると言える。そもそも現実とは仮想空間を含めた脳と心のフィルターを通して体感できる宇宙のことを指すが、現代は「一人一宇宙」の時代であり、またそれをサポートするテクノロジーも発達してきている。SNSのタイムライン上では各人違うフォロワーによる違う世界が展開されており、そこで見える世界の選択権は基本的には自分にある。見たくない情報はアンフォロー、ミュート、ブロックすれば良いし、ここではある情報が真実か嘘かという軸よりも感情の発露の方が優先される。この時代において人類は猫に勝てないし、「エモさ」は真実よりも圧倒的に重要度が高い。

「最適化」と「進化」の違い

しかしこの場合の「最適化」は必ずしも「進化」を意味しない。そもそも「進化」とは「最適化」ではなく、むしろ「最適化」に背を背けた上での突然変異のことだ。人がBotのように反射的な言動や行動をし、Botが人のように理路整然とした応答をする時代において、人の役割とは何か。感情は理性の指針であり、それは人が善悪よりも快楽や好き嫌いを優先することから見ても明らかだ。であるならば、人は感情の発露をすることによって指針を示し、AIなどによってその感情の指針をサポートされるように「最適化」するのは自然な流れに見える。ただし全ての人類がそこに「最適化」してしまった場合、環境の変化によって人類全体が淘汰される可能性も高まる。この状況において突然変異を起こした「進化」した個体は、むしろ強力な論理と感情をツールとして、ただ整合的な指針を示して実装するだけではなく、「エモさ」を生み出すようなデザインを埋め込むことによって、社会的な「エモリティ」を高めることに注力するだろう。

感情とは娯楽の一種である

また感情とは娯楽の一種である。感情は喜怒哀楽の他にも数多くの感情が存在するし、言葉にできない感情もある。感情にはポジティブとネガティブという分類があるとされ、良くポジティブな感情を大事にして、ネガティブな感情を排除せよ的なスローガンが自己啓発を問わずあらゆる場面で流布されている。しかしこの潮流には明確に反対したい。ポジティブな感情であろうが、ネガティブな感情であろうが、それは娯楽として楽しめば良いのであって、それらの感情に囚われる、もしくは執着するのが良くないだけだ。例えば自分の親しい人が死んだときでもポジティブな感情を抱かなければならないのは不自然だし、世界中の何処に行こうが全てをネガティブな感情で捉えていたら何処にいても楽しくない。もしくはホラー映画を楽しむ時の怖いもの見たさは感情を娯楽として捉えている証拠だし、メタルの音楽を聴いて幸福な気分になれるのは感情を高度な次元で捉えているからだ。そういう意味では感情は娯楽と割り切り、素直に出すときは出し、浸るときは浸るが、決して振り回されないことが重要であり、絵画に色彩を彩るように楽しめば良い。これは仏教的には脳と心によって生まれた感情を空として捉えた一方で、その機能を娯楽として楽しむという縁起の考え方を組み合わせた、中観的な生き方である。

「エモ駆動」と「エモ駆動系」

最後に「エモ駆動」と「エモ駆動系」について。「エモ駆動」と「エモ駆動系」は「エモリティ」と同じく造語であるが、前者は「エモさ」を基準として駆動することを指し、後者は「エモ駆動」をする主体のことを指す。そう考えると今後人類は「エモ駆動系」としてますます「エモ駆動」していくので、人類同士における「エモリティ」は人によって多大な差が出てくることが予想される。そもそもAIでも実現不可能な感情、「エモさ」を持っているというだけで人間というプログラムには価値がある。またインターネットが人類の知の集積場所だとすれば、ビッグデータとしてAIに人間のデータを組み込んでいくことで、人は不老不死とは違う方向で擬似的に死を克服できるかもしれないが、感情をデータ化する手法は未だに確立していない。それは強いAIの実現を意味し、既存のディープラーニングなどの手法ではパラダイム的に実現不可能だ。であるならば人類の大半はAIの弱点を補う「エモ駆動系」として実装され、一部の「エモリティ」の高い人類がそのデータを元に人間の弱点を補うAIを実装していくエコシステムが構築される段階に来ているのかもしれない。

「Web Bot」: 「人工知能の教祖」の時代

「人工知能の教祖」について

以前URESICAで開催された「億光年のドライヴ」という展示に参加した際に、参加アーティストでアーティストブックを制作したことがある。そのアーティストブックはまた改めて紹介したいのけれど、そこに収録した一行詩の一つに「人工知能の教祖」というものがある。これは人工知能の進化が進み、将来的にシンギュラリティ的な発展を遂げた社会においては、様々なタイプの「人工知能の教祖」が誕生し、人々はその信託を信仰しているのではないかという想像を膨らませたものである。また以前書いた連載記事であるNHKスペシャル「AIに聞いてみたどうすんのよ!?ニッポン」 前編: 「相関関係」と「疑似相関」と「因果関係」の違いNHKスペシャル「AIに聞いてみたどうすんのよ!?ニッポン」 後編: AIひろしという名の神とその神託を捏造する巫女たちでは、既にAIひろしが「人工知能の教祖」として祭り上げられていることに対して様々な角度から論じている。その流れで今回は、AIひろしなどの最近の「人工知能の教祖」よりもかなり早い段階に存在しており、最近注目度がさらに増している「Web Bot」について取り上げてみたい。

「Web Bot」について

「Web Bot」とはClif HighとGeorge Ureによって開発された未来予測のためのインターネットボットのこと。元々は株式市場の予測のために開発されたが、現在は仮想通貨の予測などの他にジャンルを問わず様々なイベントの未来予測をしているようだ。ちなみに「Web Bot」の予言から人間が解釈した「ALTA report」は以下のリンクで有料購入できる。

Half Past Human

また「Web Bot」はアルゴリズムを公開しておらず、過去の未来予測の中には当たったものもあれば外れたものもあり、占いの領域、もしくは疑似科学の領域を出ていない。仕組みとしてはインターネット上の言語情報から感情を定量的に測定し、それを元に未来予測しているらしい。しかし、そもそも感情を定量的に測定することは現状不可能だ。そもそも厳密には「Web Bot」は人工知能ではないと思われるが、こういった流れの行き着く先には「人工知能の教祖」の時代が到来することを予感させられる。

科学と疑似科学について

科学と疑似科学を分別する最も簡単な定義はカール・ポパーによる「反証主義」で、「反証可能性」があるかないかだ。「反証可能性」があれば科学であり、なければ疑似科学である。現状アルゴリズムを公開していない時点で断言はできないが、「Web Bot」が疑似科学に限りなく近いものであることに疑問の余地はない。ただし「Web Bot」の未来予測が当たることはあるだろう。それは当然で未来予測は当たるか外れるかの2択であり、精度を問わなければいつかは当たる。さらに言えばNLPのような心理テクニックを使用して、精度が低くても当たっているように見せたり、人の「解釈」に介入する手法も数多く存在している。NLPは基本的に対面を前提としているが、予言や占いは最終的には人間の「解釈」の問題であり、そこに介入するという点で共通点がある。アルゴリズムは意味を持たないので、そこにある人間が曖昧な「意味」や「物語」を付与し、それらを別の人間が「解釈」することによって新しい信仰の形態が出現する。この「確証バイアス」を悪用した構造は、AIひろしと全く同じ構造になっていることに注目する必要がある。

信仰の力

ただしこういった疑似科学も信仰されればされる程、現実改変能力を増していくということは考えられる。何故かと言えば人類の歴史においては、信仰が人類の文化創造や進化を促してきたからだ。たとえ大嘘であったとしても、それを信仰してしまえば人はそれを実現しようと無意識のうちに行動し始める。だとすれば物理法則には干渉できないが、人間の心には干渉できるという意味で、「Web Bot」のような未来予測のアルゴリズムが実際に世界をある程度まで改変してしまうことは考えられる。結果的にはそれによって未来予測の精度が上がっているように見えるというおまけ付きで。

人間と人工知能のエコシステム

個人的には疑似科学を疑似科学と言うのも大事だと思うが、むしろそれによって影響を受けてしまう人間の心の方に興味がある。もしくは疑似科学でしかないと思われるような発想のものを、実際にテクノロジーを使用して無理矢理現実化してしまうというのも面白そうだ。そういう意味では疑似科学は信仰する必要はないが、その奇抜な発想と信仰を信仰する力はますます問われる世界になってきている。「人工知能の教祖」とまでは行かなくても、「人工知能の司令塔」、「人工知能の上司」程度であれば既にUberなどで実現しているとも捉えられ、この「幸福なディストピア」はこれからもっと加速化していくはずだ。その時代においては「人間対自然」、「人間対AI」というような対立軸を作り、いかに人間が自然やAIをコントロールすべきか、もしくは自然やAIは人間の敵か味方かという発想は捨て去るべきである。むしろ互いが互いと八百万の神的に「共存」、「生活」、「活用」し合い、エコシステムを作るという方向に舵を切る方が良い。「閃き」を「信仰」によって「実装」する力こそが今最も求められている力であり、「人工知能の教祖」との付き合いは「終わりなき終末論」と同程度に楽しんでいくべきなのかもしれない。

「ZOZOSUIT」を予約してみた

「ZOZOSUIT」無料配布中

現在話題になっている「ZOZOSUIT」を予約してみた。これは定価3000円相当なのだけれど現在無料配布中で、以下のリンクから飛んで身長、体重、性別を入力し、注文を完了することで予約完了となる。ちなみに送料が200円かかるのと、注文の際には会員登録が必要で、実際に「ZOZOSUIT」使用時にはZOZOTOWNアプリが必要とのこと。またリンク先の動画を見ればそのSF感溢れるスーツのイメージがより掴めるはず。

http://zozo.jp/zozosuit/

「ZOZOSUIT」とは何か

まずは上記のウェブサイトから「ZOZOSUIT」についての説明を引用してみる。

「あなたの身体を瞬時に採寸することのできるボディースーツです」

なるほど。何やら画期的な匂いはするけど、良く分からないのでさらに詳しい説明を引用してみる。

「ZOZOSUITは、あなたの身体の寸法を瞬時に採寸することのできる伸縮センサー内蔵の採寸ボディースーツです。上下セットで着用し、お手元のスマートフォンをかざすだけ。人が服に合わせる時代から、服が人に合わせる時代へ。ZOZOSUITから始まる新しいファッションの世界をどうぞお楽しみください。」

つまりボディースーツ + スマホのアプリを使用して、身体の寸法を採寸できるようになっているらしい。技術的には「ZOZOTOWN」を展開している「株式会社スタートトゥデイ」とニュージーランドのソフトセンサー開発企業である「StretchSense Ltd.」が共同開発した伸縮センサーが鍵を握っていると思われるが、調べてもどういう技術なのかが余り出てこなかったので、実際に使用してみないと分からない部分がある。使用用途としては、インターネットショッピングで服を買う際に、試着ができないのでサイズが合わないということがなくなる。また定期的に自分の身体のサイズの変化を調べるためにも使えそうだ。

フリーランチの代償

何故無料なのか

「イノベーター理論」で言う「イノベーター」や「アーリーアダプター」的に人柱になるのは好きなので、今回は直感に基づいて「ZOZOSUIT」を予約した。ただしNILOGでは何度も繰り返し言っているように、この世界にフリーランチは存在しない。であるならば、この一見フリーランチに見える「ZOZOSUIT」の代償は一体何になるのだろうか?それは簡単に言えばあなたの身体データそのものだ。インターネット上のインフラとなっているGoogleやFacebook、TwitterなどのSNSが何故無料なのかと言えば、それは無料の代償として膨大な個人情報を提供しているからだ。それらの情報は広告費として回収されることになる。またフリーミアムのサービスが何故無料とプレミアムに分かれているのかと言えば、無料で使用している人の代わりに、プレミアムで使用している人が多く料金を支払っているからだ。

身体データの重要性

AppleのApple Watchに代表されるように、身体データというのはこれからビッグデータとして最も重要な情報の一つになってくる。何故なら身体データを元に最適化した広告を見せることができれば、ビジネス的には従来とは違った可能性が開けるからだ。その意味で「ZOZOSUIT」が収集する身体データはこれから黄金の卵を産むガチョウになる可能性があり、だからこそ無料配布してでも広めるという勝負に打って出たという流れだろう。イソップ寓話における『ガチョウと黄金の卵』では、最終的に欲張りすぎる余りにガチョウを殺してしまうことになったが、その寓話の教訓はこの身体データの扱い方によって活かされるかどうかが決まってくる。

リスクと将来性

「ZOZOTOWN」で扱うのは身体データと言っても、今のところは身体のサイズのみなので、個人的にはデータが流出したところでそこまで重大な影響があるとは思わない。ただし自分の身体データがどう扱われるのかが不安、もしくは流出しては困ると考えている人は「ZOZOSUIT」は使用しない方が良いだろう。特に女性の場合は男性よりもセンシティブな問題に発展する可能性があるので注意が必要だ。「ZOZOSUIT」はこれからさらに重要性が増していく身体データの活用の第一歩だと思うので、むしろその機能が拡張されたり、企業などが競争する中でどういった活用方法、サービス、商品が登場してくるのかに関心がある。また「人が服に合わせる時代から、服が人に合わせる時代へ」という表現に代表されるように、これからはテクノロジーが勝手に人間の空気を読んだかのように自動で機能するようなシステムが整ってくることが予想される。その未来は常にクラッキングとプライバシーの問題を孕みつつ、利便性を秤に掛けながら前進していくのだろう。興味のある方は「ZOZOSUIT」の無料配布中に予約した方が良いと思ったので、今回は速報的に紹介してみた。「ZOZOSUIT」が届いたらまたその使用感を含めてレビューするつもりなので、その時はお楽しみに。

躁鬱病が与えてくれるもの

躁鬱の波の記録

最近やたら調子が良いと思ったら案の定反動がきた。躁鬱の波が来た際には、基本的にブログに記録として書き残すように心がけている。通常社会生活を送る上では、精神的な病理は隠している方がクールだし、誰にも言わずに一人で解決する方が良しとされるような雰囲気がある。しかし自分としてはその雰囲気に対しては真っ向から対立していきたい。躁鬱病とはつまり、才能であり、身体的な特徴である。それは数ある多様性の一つのパラメーターに過ぎない。さらに躁鬱の波を記録として残すことで、それがどのような条件で発生するのかが分かり、また書くことによる治癒効果も望める。

三つの要因

今回は新しいことを始めたことと、集中的に人と関わり過ぎたことと、様々な締め切りに追われたことの三つが主な要因であったように思う。新しいこととは仮想通貨による投資や、「Udemy」などを使用した学習や、「UberEATS」などを使用したバイトだ。集中的に人と関わり過ぎたというのは、特にスキューバダイビングなどを通して底抜けに明るい人々と接することで、自分の中でペルソナが発動してしまい、気付かないうちに消耗していた。締め切りというのは金銭的なことや制作などを含めて色々ぎりぎりの生活が続いていたので、それらに関する限界と反動が一気にやってきたのだと思われる。

接続過剰と治癒としての切断

これらの問題は全て接続過剰に起因するものだと思っていて、躁状態の場合はとにかく接続過剰になる可能性が高い。その状態においては無限のエネルギーで何もかもができるように思ってしまうのだけれど、実際には裏で様々なストレスや疲労が蓄積していくことになる。そうなると精神的にも身体的にも防衛本能としての鬱状態が発動し、今度はそれらを切断していくことになる。実際に動きすぎたことの反動を治癒するためには、時間を置いて一度全ての活動を切断してみることが経験上一番良い。その考えからしばらく自分が継続していた習慣を含めて一切の活動をストップし、休むことにした。その決断は実を結び、数日間休んだことで元の力を大分取り戻してきたように感じる。

躁鬱病が与えてくれるもの

躁鬱病というギフトを持っている人には、恐らくブレーキが存在していないか、そのコントロールが弱い。なので躁状態の時にアクセル全開で突っ込み、鬱状態の時は半ば事故のようにストップせざるを得ないので、生活や活動が極端になりがちである。しかし長年この特徴と付き合ってくると色々分かってくるもので、死にたいという気持ちが一瞬ごとに涌き上がってくるような状態においても、特に焦ることはなく、むしろありがたいとさえ思う。そのありがたいとさえ思う気持ちをさらに上塗りするどす黒い感情も次々と湧いてくるのだけれど、自分にはその状態から何万回と立ち直ってきた実績と強さがある。生きていく上ではこの病気のおかげで好きなことしかできないし、いわゆる普通の仕事に継続的に就くことは難しいのだけれど、それはそれで良かったと思う。それは正しく子どもの直感のようなもので、好きなことをやり続けるためのエネルギーは無限に湧いてくるし、それが自分の中にいつまでも残っているというのはアーティストとしては誇らしいことだ。自分としては今年の2月から始めたブログが今まで毎日のように続いていること自体が奇跡に近いのだが、これからもその奇跡を継続していきたいと思っている。