PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり 1: 学科講習編

PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり

今回は以前スキューバダイビングとフォークリフトの資格申し込みという記事でも予告していた通り、スキューバダイビングの資格を取得するための学科講習を受けてきたのでそれについての記事を書いてみる。今後は10月から11月にかけてプール講習1回と海洋実習2回の合計4回の講習 + 実習を受講してCカードというライセンスを取得することになる。今回はPADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースという基礎的なコースに参加するのだけれど、このコースを終えると最大18メートル (60フィート) まで潜ることが可能になる。他にも目的に合わせてアドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー・コース、レスキュー・ダイバー・コース、マスター・スクーバ・ダイバー・コースなど驚く程多くのコースがある。

学科講習の内容

予習とクイズ

基本的には事前に渡されていた5章で構成されているテキストの章末問題を確認し、それぞれに対する簡単なクイズをやった。またRDP (Recreational Dive Planner) と言われる潜水計画を立てるための図表があり、それに関するクイズもやった。実はRDP (Recreational Dive Planner) に関しては完全に予習することを忘れていたので、その場で使用方法を覚えることになった。ただ実際には今はダイブ・コンピューターと呼ばれる時計のような装置を使用することが多いので、RDPは使わない人が多いみたいだ。またそもそもクイズは落とすためのものではなく、間違えたら確認して修正すれば良いので特に心配する必要はなかった。最後にファイナル・クイズとして全体の復習のクイズを50問やって学科講習は終了した。

RDPの使用方法

忘れそうなので備忘録としてRDPの使用方法をメモしておく。ダイビングをすると窒素が体内に溜まるので、適切な計画に基づいて潜水しないと減圧症になる恐れがある。なのでRDPを使用して事前に潜水計画を立てる必要がある。使い方としてはまず水深によってノンストップリミット (減圧不要限界) と呼ばれる潜水の最大許容時間を調べる。その時間の範囲内から実際の潜水時間を選択し、その数値によってA〜Zまでの圧力グループが判明する。1回しか潜らない場合はこれだけ調べておけばOK。6時間以内に複数回潜る反復ダイビングを行う場合は、その圧力グループに沿った水面休息時間を計算に入れることで、水面休息時間後の圧力グループが判明し、次のダイビングの水深に応じたノンストップリミットと残留窒素時間を知ることができる。この水深とノンストップリミットの範囲内で実際に潜った時間と残留窒素時間を足した数値によってまた次の圧力グループが判明するという流れになる。

学科講習の感想と次回の予定

スキューバダイビング自体は凄く楽しそうなんだけど、肺の過膨張障害、酸素中毒、汚染空気、減圧症、ガス昏睡などの言葉を見ると結構怖い面もあるなと思った。呼吸を止めないことで肺の過膨張障害は防げるみたいだけれど、ダメージ覚悟でエア切れの際のコントロールされた緊急スイミング・アセントとか緊急浮力浮上とか怖いわ。でも実はガス昏睡の酔ったような感覚 (高揚感) や意味なく笑うっていう症状には興味がある。ワライタケを食べたみたいになるっていうことだろうか。学科講習については時間的には3時間から3時間半程度で終わり、料金も海洋実習のレンタル器材以外は全て支払った。話を聞いたところによると、アドヴァンスド・オープン・ウォーター・ダイバー・コースなどのより高度な資格を取得した後は、流氷ダイビングや沈船ダイビングなど色々面白いスキューバダイビングツアーにも参加することができるみたいだ。どうせやるなら将来的にはそのレベルまでいきたい気もする。次回はプール講習なので、遂にスキューバダイビングデビュー。台風が来ませんように。

PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり: 連載記事リンク

PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり 1: 学科講習編

PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり 2: プール講習編

PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり 3: 海洋実習編1日目

PADIオープン・ウォーター・ダイバー・コースCカード取得への道のり 4: 海洋実習編2日目

希望なき選挙 後編: 絶望の果ての希望

目次

1. 今回の衆議院解散総選挙の争点
1.1. 争点は存在しない

1.2. 政局議論の極大化と政策議論の消滅

2. 投票について
2.1. 偏向し限定された投票先の選択肢

2.2. 投票は義務ではなく権利

2.2.1. 投票棄権した際のテンプレートな反対意見に対する反論

3. 政治用語の整理
3.1. 右翼と左翼

3.2. 保守とリベラル

3.3. 護憲派か改憲派か

3.4. その他の立場

4. 世界構造の見取り図
4.1. ナショナリズムとグローバリズム

4.2. バタリアニズムとコミュニタリアニズムとリベラリズム

5. 絶望の果ての希望
5.1. 更なる絶望

5.2. 「希望は、戦争。」には絶望が足りない

5.3. 絶望の果ての希望

6. 追記
7. 希望なき選挙: 連載記事リンク

今回の衆議院解散総選挙の争点

前編では「国難突破解散」、「国民に信を問う」、「しがらみのない政治で日本をリセット」、「アウフヘーベン」という四つのキーワードから衆議院解散総選挙についてまとめた。後編ではそれらのキーワードの先にある争点、投票、政治用語、世界構造について整理し、最後に一つの方向性について書く。

争点は存在しない

まず今回の衆議院解散総選挙の争点について述べると、結論から言えば「争点は存在しない」。前編で述べたように安倍首相の言う「国難」が本当に「国難」かどうかには疑問があり、「国民に信を問う」というのは建前であって、本音は「今このタイミングで選挙をすれば勝てるからやる」ということに他ならない。また小池代表の言う「しがらみのない政治で日本をリセット」は彼女の記号による大衆操作の基本戦略であり、「アウフヘーベン」は将来的なゴールである小池首相への布石である。これらの物語の中には主権者であるはずの国民が不在であり、本当に争うべき争点などどこにも存在しない。もちろんそれでは選挙が成立しないので、マスメディアを含めて捏造された争点が色々挙げられるはずだ。そのような動きの中で最初は存在しなかった争点が生まれるということもあるかもしれない。しかしたとえ争点が存在することになったとしても、それは無意味である可能性が高い。

政局議論の極大化と政策議論の消滅

何故かと言えばその争点は結局政局についての話であって、政策についての話である可能性は極めて低いからだ。政局とは政治家個人、もしくは派閥などを含めた政界の情勢のことであり、政策は問題解決のための方針、対策のことを指す。日本の政治においてはマスメディアの報道も含めて政局議論が主流であり、政策議論はほとんど存在しない。しかし政策のない政局だけの政治はただの権力闘争にしかならない。また政局においては首相も含めて国家議員はただの数でしかなく、どんなに素晴らしい政策を考えていようが数合わせの意味しかないのであれば、そもそも国会議員の数は遙かに少なくて良いはずだ。さらに言えばマニフェスト (選挙公約) は守らなくても法的拘束力もなければ罰則もなく、今までのマニフェストの実施率を調べてみればその無意味さが良く分かる。この観点から考えると、今回の衆議院解散総選挙ではそもそも「争点は存在しない」が、無理矢理作られた政局のみの争点によって政策議論は消滅し、また選挙期間中に国民を振り向かせるためだけに存在する、守られることのないマニフェストが各党から続々と出現するのだろう。

投票について

偏向し限定された投票先の選択肢

また今回の衆議院解散総選挙における投票先の選択肢は極めて偏っており、限定されている。前編で述べたように民進党は事実上消滅した。影響力のない野党を除けば残されているのは自民党 + 公明党か希望の党か共産党であり、現状維持の他は基本的には極右か極左かという選択肢を迫られることになる。さらに言えば何かしらの急展開が起こらない限り現時点でほぼ与党の勝利は確定であり、その議席を野党である希望の党が幾つ奪えるかという勝負になる。これは要するに保守 vs. 保守の戦いであって (自民党 + 公明党と希望の党が本当に保守と呼べるのかは置いておいて)、ここにはリベラルの影も形もない。しかし後に述べるようにリベラルの消滅というのは時代を象徴しているという意味で、現実における最先端の出来事であるとも言える。

投票は義務ではなく権利

今回の選挙は全国規模では初めて18歳選挙権が適用される選挙になる。そもそも普通選挙による参政権は歴史的に勝ち取られてきた権利であるという前提があるが、ここで重要なのは日本における投票は義務ではなく権利であるということだ。権利に関してはそれを行使するもしないも完全に自由なのであって、それを行使するから偉いわけでも行使しないから悪いわけでもない。しかし投票棄権をした場合には何故かテンプレートのような反対意見が降り注いでくる現象があるので、それらに対して簡単に反論していく。

投票棄権した際のテンプレートな反対意見に対する反論

良く言われるのが投票しない人間は政治に一切口出しをする権利はないといった意見。こういう意見を持っている人は恐らく投票という行為が国民ができる政治行為の全てだと勘違いしている。しかしデモや投票といった分かり易い部分だけではなく、実際は普段の生活の細かい部分に少しづつ政治というものが絡んでいるのであって、むしろ投票さえすれば後はどうでも良いし、投票した人について監視もしないという態度があり得るとするならば、そちらの方が問題があるだろう。そもそも一票の格差の問題は解決していないし、民主主義は多数決ではない。またこのような数のロジックでいくならば人口比的に若者は老人に何をどうしたって勝てないのであって、投票を棄権する行為こそがそれを助長するのだといったタイプの理想論こそが有害である。また投票権がない人間がいるのに棄権するのかといったような意見に対しては、例えばトロッコ問題のようにどちらも選べないということもまた選択肢としてあり得るのだと言いたい。他にもベストが選択できないとしてもベターを選ぶのが政治なのだという意見もあるだろうが、そうまでして投票しなければいけないという強迫観念とそれによって何かが変わるという幻想を抱かされていることこそが問題の根源である。さらに言えば投票棄権ではなく白票を投じるというのも数のロジックの前では完全に無意味だ。投票する人が政治に興味があり、投票棄権する人が政治に無関心であるという安易な分類はもはや通じないし、前者の方が後者より政治に貢献しているとも言えない。世襲議員やタレント議員が勝ち、党によって数として計算され、思想を漂白された議員立法すらしない議員が当選していき、選挙公約は選挙後に廃棄されるといういつもの流れは投票することによって変わりはしない。

政治用語の整理

右翼と左翼

そもそも右翼と左翼とは何を意味するのだろうか?通常は右翼 = 保守、左翼 = リベラルを指すと考えられることが多いが、これらの言葉には幾つか複雑で重大な問題がある。まず第一に時代の移り変わりや人によって言葉の定義と意味が違い過ぎること。右翼は保守的で国粋的、左翼は革新的で平等的な思想を好むとされるが、それは時代によっても変わる。また全く同じ人物や思想に対して右翼と呼ぶ人、もしくは左翼と呼ぶ人がいることがさらに混乱を招く。第二に同じ勢力、人物が行う一つ一つの政策に対して右翼、左翼と分類するのだとしたらそれには切りがない。しかし考えてみれば確かに同じ勢力、人物であっても政策によっては右翼的、もしくは左翼的であるというような多様性があるのは当然のことでもある。通常偏りがあったとしても両方の成分が混ざっているのが普通であり、これらの言葉は総合的に使用する言葉でもあるのだが、一方でこれらの言葉は二項対立煽りに使用されることが多く、余りにも極端かつ適当に扱われる傾向があることが事態を複雑化する。その偏りのグラデーションについては極右、右翼、中道右派、中道、中道左翼、左翼、極左といった分類がなされることもある。ほとんどの場合は中道右派〜中道左派の間に入ると思われるが、中道の場合は単に自分が政治的立場に無自覚である場合も多いだろう。

保守とリベラル

保守とリベラルというのは不思議な言葉で、英語に統一するならコンサバティブとリベラル、日本語に統一するなら保守と革新になるだろう。しかし現在は何故か保守とリベラルと言われることが多い。これはコンサバティブという言葉が馴染みのない言葉であり、リベラルという言葉は元々自由を意味するLibertyに由来するので、革新の意味とは完全に一致しないという翻訳上の都合もあるのかもしれない。自由であることと革新的であることは本来全く意味が異なるが、状況によっては革新的であることが自由を意味すること、もしくは自由であることが革新的を意味することもあり得なくはない。また日本にはグローバルスタンダードとしてのリベラルは存在していないという議論もあり、場合によっては本来の立場が逆転しているという議論もある。ここで一つだけ言えるのは何があっても安倍政権支持が保守、何があっても安倍政権反対がリベラルという分類ほど貧しい考え方はないということだ。それはもはや保守でもリベラルでもなく、政治ですらない。

護憲派か改憲派か

例えば日本国憲法に関しては本来護憲派という変化を望まない立場は保守の側であり、改憲派という変化を望む立場はリベラルの側であると思う人もいるだろう。しかし実際には保守と呼ばれる勢力は改憲派であることが多いし、リベラルと呼ばれる勢力は護憲派であることが多い。これは実際に変化を望むか否かではなく、現状の日本国憲法の内容がリベラル的であると判断しているのでリベラルが護憲派になり、内容が保守的ではないと判断しているので保守が改憲派になるということなのだろう。そもそも憲法改正についてはいきなり護憲派か改憲派かではなく、まず改憲するのならば何条をどう変えるべきなのか、何条をどう変えることに反対なのかという個別の条文の内容に関する議論があってしかるべきだろう。その議論なしにとにかく何でも良いから護憲、もしくは改憲というのでは意味を成していない。例えば前編でも述べたように、個人的には解釈改憲状態になっている日本国憲法第9条に対して自衛隊を軍隊と認めるように改憲するというのなら賛成するが、自民党による日本国憲法改正草案のように他の条文で国民主権すら奪われるような記述内容であれば護憲に賛成する。というよりそもそも日本国憲法は第1条から第103条まであるのであって、日本国憲法第9条のみを取り上げて護憲派か改憲派かという矮小化した議論になっていること自体が間違っている。このように単純化できない立場を表現する言葉として右翼、左翼、保守、リベラル、護憲派、改憲派といった言葉は荒過ぎるし、多くの場合レッテル貼りによる醜い争いにしかならない。

その他の立場

その他にもネオコン (新保守主義)、ネオリベ (新自由主義)、オルタナ右翼、ネトウヨなど色々な立場を指し示す言葉があるが、いずれの言葉も人による解釈の違いが大きく、レッテル貼りの二項対立煽りに使われることが多い。どちらかと言えば右翼系の言葉の方が多い傾向にあり、オルタナ右翼に対するオルタナ左翼、ネトウヨに対するテレサヨなどの言葉もなくもないが、どちらもそこまで普及していない。こういった言葉が難しいのはすぐ白か黒かのような二元論に還元され、踏み絵として使われてしまうことだ。本来はそこを往復するような立場や、その間の無限のグラデーションを表現するべきなのだが、こういった立場は複雑なので一般的に定着しづらい。また個人的には競技ディベートをやっていたので、どのような議論に対しても正反対の立場から突き詰めて考える癖が付いている。しかしそのような柔軟な立場は逆に理解されづらい。

世界構造の見取り図

ナショナリズムとグローバリズム

現状は政治はナショナリズム、経済はグローバリズムの原理で動いているが、これには限界がある。トランプ大統領の誕生とイギリスのEUからの脱退は象徴的な事件であり、ある意味これからの時代の潮流を示唆していた。それは国家という枠組みに対する物理的な地域による国境分けの限界だ。これは簡単に言えば都市と地方の差異が国家の枠組みには収まらなくなったことと、物理空間ではなく情報空間に人が所属するようになったことに原因がある。例えば東京はニューヨーク、ロンドン、ベルリンといった海外都市との方が、日本の他の地方との特徴よりも共通点が多い。なので経済的にはグローバルに繋がることは可能だが、政治のレベルでは国家単位で区分されてしまうが故に問題が出てくる。またTwitterやAmazonというような情報空間にシステムを組み立てるような企業は、国内の他の企業よりも例えばLineや阿里巴巴集団といった企業の方が利害関係が近い。こういった情報空間のシステムに依存している人にとってはTwitter、Amazon、Line、阿里巴巴といったサービスを使用禁止と言われた場合、もしかしたら国家によるパスポート発行禁止よりも困る可能性がある。

リバタリアニズムとコミュニタリアニズムとリベラリズム

リバタリアニズムとコミュニタリアニズムとリベラリズムについて。リバタリアニズムとは極限まで個人の自由を求める立場であり、国家の介入を最小限に抑えるという意味でグローバリズムと相性が良い。コミュニタリアニズムは共同体の利益や伝統を重視する立場であり、国家の介入を前提とするナショナリズムと相性が良い。リベラリズムは基本的に個人の自由を認めるが、公共の福祉として他者のためにその自由がある程度制限されることを肯定する。本来リベラリズムはリバタリアニズム的な個人主義やコミュニタリアニズム的な国家主義を超えた普遍主義を目指していたが、近年のリベラリズムの迷走により、現在は消滅したも同然の立場であると言っても良い。例えばポリコレなどは本来差別されている人間に対してその是正を求める寛容の精神としてリベラリズム的な普遍主義を目指していたものと思われるが、何をしても色々言われて「うざい」、「人間には自由があると言うのなら人間には差別する自由もある」というようなエモい感情により排斥されつつある。よって現代社会の課題はリベラリズム消失後のリバタリアニズムとコミュニタリアニズムという極端な選択肢しか残されていない中で、新しい普遍主義は可能か、またそれは哲学によって可能になるのかテクノロジーによって可能になるのかという部分になってくる。それは最終的にそれでも人間を信じるのか、それとも人間以外を信じるのかという思想の違いになってくるだろう。

絶望の果ての希望

更なる絶望

では一体どうすれば良いのか。まずはもっと絶望することだろう。はっきり言って今の政治の世界には希望はない。絶望が足りないが故に今のシステムのままで何とかできる、投票すれば何かが変わる、デモをすれば何かが変わるといったような薄い希望、一時的なお祭り騒ぎに乗せられる。その一時的な動員のロジックは後に何も残さず、全ての記憶は一瞬で忘却され、また同じ茶番劇が繰り返される。アメリカの大統領選でトランプとヒラリーが対決した際に直感的に思ったことは、どちらになっても最悪だなということだった。であるのならば誰が国のトップになろうが、どこの政権が権力を握ろうが、関係なく生きられるようなレイヤーで生きていきたいと思った。政治や経済と言えば一気に話が大きくなる気がするが、実態は自分の生活に強く根付いたものであり、何があろうが工夫次第で生きていけないことはない。このような生存戦略として一つ重要なのは、物理空間的にも情報空間的にもしっかりとした本拠地を持つと同時に、多拠点を持つことだ。

「希望は、戦争。」には絶望が足りない

赤城智宏はかつて「希望は、戦争。」と語った。その言葉にはまず格差社会において階層が階級として固定化し、社会移動の可能性が少なくなった社会システムにおけるソフトランディング的な改革に対する絶望が前提としてある。その上でハードランディング的でラディカルな変革の希望として、露悪的に戦争という概念を提出したのだろう。ただ個人的には3.11を経ても何も変わらなかった日本において、戦争が起きようが国が滅びようが何も変わることはないと思っている。そういう意味で「戦争は希望」と思えるというのは、まだ絶望が足りない。しかしこれによって勧めたいのは空虚なニヒリズムというわけでもなく、むしろアンチニヒリズムの勧めである。

絶望の果ての希望

安易な共感も理解も不可能な多様性、普遍的なものなど存在しないという矛盾を抱えた普遍性、人間を拡張しAIを拡張した上での共存、ひたすら浮き続け、排除され続けた上での創造性、政治をポリス、経済をオイコス + ノモスにまで立ち戻った上での生活実践をしていくしかない。政治は政治家にならないとできないものではないし、経済は経営者にしか関係のないものではない。世界は昨日も今日も明日もこの一瞬に自分が形成しているものであって、自分が認識する世界を拡張し、ただひたすらに自分なりの選択と生活の連続を積み重ねていくしかない。物事にはタイミングというものがあり、「今ここ」にコミットメントするべき時と、「今ここ」からはデタッチメントするべき時がある。明らかに今は後者のタイミングであり、自分でできることを自分なりにやり続けることが重要だ。また希望を描く人は絶望し易い人であり、絶望し易い人は希望を描き易い人でもある。しかし希望は他人から餌のように与えられるものではなく、自分で思い描くものである。ひたすらに未来に対する想像力を広げ、何があっても無力感に回収されない軸を持ち、淡々と自分なりの政治圏と経済圏のレイヤーを築きながら、創造性に人生を注ぎ込んでいくその覚悟の中にこそ絶望の果ての希望がある。

追記

立憲民主党という枝野幸男氏を代表とした政党が誕生した。この政党は元民進党の議員の中で、希望の党の公認申請に伴う踏み絵の方針に反発したリベラル系議員の受け皿として設立されたものだ。これで民進党は大別して希望の党、立憲民主党、無所属の三つの立場に分裂することになった。しかし今回の動きによってリベラル系の弱体化がなされた事実に変わりはなく、政治の大局が保守 vs. 保守であるという構図はしばらく動かないだろう。

希望なき選挙: 連載記事リンク

希望なき選挙 前編: 今回の衆議院解散総選挙のキーワード

希望なき選挙 後編: 絶望の果ての希望

希望なき選挙 前編: 今回の衆議院解散総選挙のキーワード

冒頭解散から衆議院解散総選挙へ

本日自民党が臨時国会を冒頭解散したことにより、衆議院解散総選挙が行われる予定だ。日程としては来月の10日に公示、22日に投開票ということになる。このニュースは連日話題になっているので、ほとんどの有権者が知っていることだろう。今回の「希望なき選挙」という前編と後編に分かれた連載記事では、冒頭解散から衆議院解散総選挙に関連する情報を様々な観点からまとめた上で、一つの方向性を示したいと思う。

今回の衆議院解散総選挙のキーワード

まず前編の記事では今回の衆議院解散総選挙のキーワードについて、政治家本人の発言を元に独自の視点でまとめてみたい。自民党の安倍首相は「国難突破解散」、「国民に信を問う」、希望の党の小池代表は「しがらみのない政治で日本をリセット」、「アウフヘーベン」というキーワードをそれぞれ残している。しかしこれらの言葉はそれぞれ具体的に何を指しているのか不明である、もしくは実態に沿っていない。なのでまずはこれらのキーワードの意味を捉え、それらが発せられる状況をメタ解釈した上で、後編の争点についての話に接続していきたい。

「国難突破解散」

「国難突破解散」については、「国難」という言葉が何を指しているのか分からない。「国難」が「国の危機」を漠然と指しているのならば、国家という単位自体が揺らいでいる現代社会においては、どこの国であれ常に「国難」と言えなくもない。そもそも「国難」という言葉自体がプロパガンダ的な言葉であるが、その言葉は国民の恐怖の情動を上手く煽っているという意味でプロパガンダとしては優秀な言葉だ。何故かというと恐怖の情動は扁桃体という原始的な脳の部位に作用するので、それを煽ることは正常な判断力を失わせるために有効な手段であるからだ。また「国難」だからそれを「突破」するために「解散」するというのも良く分からない。政権としては自民党、首相としては安倍首相の時代が長く続いているわけで、それで「国難」に陥っているというのならばそれは正しく自分たちに責任があるし、特に「冒頭解散」という説明責任を果たさない上での「解散」が本当に最善の選択だったのかということにも疑問が残る。

安倍首相の言う「国難」とは何か?

安倍首相の会見で話された内容を簡潔にまとめてみると、以下の3点が「国難」とされているようだ。

1. 少子高齢化
2. 消費税増税
3. 北朝鮮問題

少子高齢化では特に子育てと介護について。消費税増税は2019年10月から10%に増税される予定だが、その使い道について。北朝鮮問題では弾道ミサイル発射、核実験などの挑発に対する安全保障を含めた対応について。本題ではないのでそれぞれに対して超要約した自分の意見を1行にまとめてみる。1については少子化に伴う子育ても、高齢化に伴う介護についてもAIを発展させて対処するしかない。2についてはそもそも特別会計の使い道を問うことが先であって、国税を消費税に一本化するならまだしも、財布の紐が緩いのが問題であるのに、財布に余分にお金を入れる必要があるのか疑問。3については現在自衛隊は違憲なので憲法改正して自衛隊を軍隊と明記し、自衛隊を合憲化すると共に、サイバーセキュリティに国家予算を投入して安全保障を強化するべき。大雑把にそれぞれに対する意見をまとめるとこんなところだ。

そもそも上記のような「国難」の度に「解散」していたら政治は成り立たない。少子高齢化に関してはこれから数十年以上は確実に続く問題であるし、消費税増税については以前から延々と話し合われ続けていた問題であり、北朝鮮問題については今後もしばらく続いていく問題だろう。いずれも今このタイミングで冒頭解散して衆議院解散総選挙をやる必要のあるテーマとは思えない。ではこれらの「国難」がプロパガンダであるとして、そこに隠された真の意図とは何なのだろうか?その意図は次に挙げる「国民に信を問う」というキーワードに繋がってくる。

「国民に信を問う」

この「国民に信を問う」という言葉自体は特に目新しいものではない。日本国憲法で国民主権が記述されている以上、選挙で「国民に信を問う」ことは当然のことであり、政治や政府のあり方に関する最終的な決定権は首相も含めた国会議員ではなく、国民にある。過去の選挙でも「国民に信を問う」というような言葉は使用されていたが、今回に関してはこの言葉を文字通り受け取ることは難しい。結論から言えば「国民に信を問う」という言葉は表向きの理由であって、本音は「今このタイミングで選挙をすれば勝てるからやる」ということに尽きる。この結論に至る背景には前提として少なくとも二つの壮大な茶番劇が存在している。

二つの壮大な茶番劇

二つの壮大な茶番劇とは森友・加計問題と第3次安倍内閣のことだ。前者については忖度があったのは確かに問題かもしれないが、それは倫理の問題であって、違法性を主張するなら主張する側に立証責任がある。それが立証できないからと言って、安倍首相にやっていないことの証明、つまり悪魔の証明を求めるのは意味が分からないし、主張側が立証できない以上、その無駄な議論に国会の時間を浪費するのは害悪ですらあった。後者については森友・加計問題によって落ちた支持率とイメージを回復するために、支持率アップ、イメージ刷新という意味では完璧な組閣で対応した。実際に支持率はアップし、イメージは回復しつつある。ただ第3次安倍内閣は8月3日に組閣したばかりであり、このタイミングで衆議院解散総選挙をするということは、今回の組閣の人事はただの「客寄せパンダ」であったと言われても仕方ない。特に外相の河野太郎と総務相の野田聖子はサプライズ人事とも言われたが、最初から「使い捨て」を前提に選択していたのだとしたら本人たちにとっても余りにも不憫であり、そこに国民の信が反映されているとは言えない。

タイミングが命

先程述べたように今回の衆議院解散総選挙が「国難」を突破するため、もしくは「国民に信を問う」ためではなく、「今このタイミングで選挙をすれば勝てるからやる」のだとすれば全ての辻褄が合う。森友・加計問題は既に消失し、第3次安倍内閣によって支持率とイメージは徐々に回復し、北朝鮮問題によって国民の判断能力は鈍っている。判断能力が鈍っている人間は多くの場合現状維持を望むということから考えれば、このタイミングが衆議院解散総選挙に勝つためにベストなタイミングと言える。ただこれが本音だとするならば、「国民に信を問う」という表向きの理由も含めて茶番であり、衆議院解散総選挙という莫大な税金を使用した三つ目の壮大な茶番劇が開催されようとしていると捉えることも可能だろう。

「しがらみのない政治で日本をリセット」
意味の無意味の意味

「しがらみのない政治で日本をリセット」というキーワードは「国難突破解散」と同じくプロパガンダであり、深い意味は特に存在しないものと思われる。しかし具体性がないが故に反論不可能な力を持ち、記号でしかないが故に人が自らの想像力によって操られるというのはポストモダンが現実になった世界の基本戦略でもある。この点において小池代表は天才的な才能を持っており、それはトランプ大統領の才能にも似たものを感じる。以前築地市場移転問題において彼女は議事録が存在しないことについて、自分が「AI」、「人工知能」であるから必要ないというような発言をしていたが、それは何度聞き直しても意味不明な発言であった。しかし「AI」、「人工知能」という言葉が過去にない程に注目されている今、その言葉に付いている新規性や知的なイメージといったアンカーをそれらの言葉をトリガーとして使用することで、自分に埋め込むという意味においての発言と解釈すれば意味が不明でも発言の意図は分からなくもない。

小池代表の基本戦略

つまり小池代表が何をしているかといえば、主張における意味性を徹底的に排除し、記号のイメージだけで自分が有利になるような物語を形成し、大衆を扇動するという戦略を取っているということだ。これは現代社会に最適化した戦略であると共に、「AI」ではないエモい人類に対して驚くほど有効な戦略でもある。この観点から解釈するとすれば、「しがらみのない政治で日本をリセット」という言葉の狙いも良く分かる。何がしがらみで、何をリセットし、何が希望なのかは良く分からないが、ふわっと何か悪いものに抵抗しようとしている気配があり、そこには何かしらの必要性と潔い爽快感があるような気もしなくもなく、希望って何だか良い言葉だよねといった高濃度のエモリティが集結しつつあり、それを発生させられるのは小池百合子だけであり、この唯一無二の流れによって日本の政治が変わるのだというような雰囲気を醸し出す物語が醸成されつつあるということだ。実に良く出来た戦略である。

「アウフヘーベン」
新世紀エヴァンゲリオンと円柱

「アウフヘーベン」とはヘーゲルの弁証法における用語である。弁証法とはある命題 (テーゼ) と矛盾する命題 (アンチテーゼ) を止揚 (アウフヘーベン) することによって統合した命題 (ジンテーゼ) が生まれるという思想のことだ。これだけでは分かり辛いと思うので、新世紀エヴァンゲリオンの残酷な天使のテーゼ風に説明してみる。エヴァンゲリオンの物語は聖書を元にしており、テーゼはアダム (白き月) = 人類以外の生命の実 (S2機関) を持つ使徒の存在。アンチテーゼはリリス (黒き月) = 知恵の実 (科学力) を持つ人類 (リリン) と人類の生み出したエヴァンゲリオンの存在。それらは人類補完計画というアウフヘーベンを経て、ジンテーゼとして神と同等の存在になる。このエヴァンゲリオンの説明でさらに分からなくなった人は、図形の例を考えると簡単に理解できるはずだ。テーゼがある図形は円の形をしている。アンチテーゼはある図形は長方形の形をしている。これらをアウフヘーベンすると円柱というジンテーゼが生まれると考えてみれば良い。円柱は上下から見れば円であるし、横から見れば長方形に見えるので、この二つの図形が見事に一つの図形として統合されている。

民進党の事実上の消滅

さて「アウフヘーベン」という概念が完全に理解できたところで、小池代表の発言の「アウフヘーベン」に話を戻す。簡単に言えばテーゼを希望の党、アンチテーゼを民進党としてアウフヘーベンすることにより、さらに高次元の政党というジンテーゼを目指すという意味で発言したものと思われる。しかし先程の説明で完全に「アウフヘーベン」を理解してしまった人には、その説明では到底納得できないはずだ。まず事の経緯を追っていくと、民進党の代表である前原代表は既に民進党を捨て、無所属で出馬するということだ。これは喩えるならば何か事故が起こりそう、もしくは起こってしまった時に、責任者であるはずの船の船長が乗員乗客そっちのけで真っ先に避難したようなものだ。また代表が逃亡し、党として公認を出さない以上、今後民進党は希望の党に吸収合併されていく運命が決定したことになる。その時に民進党の議員は税金によって賄われた民進党の政党交付金を希望の党に巻き上げられた上で、今までの主張を全て覆して希望の党の公認という名の「踏み絵」を踏むか、それとは別の道を模索するかという2択を迫られる。前者を選択した場合はもう二度と国民からの信頼は得られないだろうし、後者を選択した場合は選挙に通る可能性が圧倒的に低くなるので、政治の表舞台からは消えることになる。つまりもはや民進党は事実上の消滅をしてしまったと言える。

ジンテーゼとしての小池首相

そもそも何のために民主党から民進党になったのかも分からないが、ここまで来てしまったら民進党を解党せずにいることは、選挙資金としての政党交付金のためであると言われても仕方がない。この希望の党と民進党の関係は企業間の一方的なM&Aのようなものであり、このように対等な統合でない状態を「アウフヘーベン」とは言えず、ジンテーゼとして残るのは希望の党だけだ。希望の党は今回の衆議院解散総選挙で議席を伸ばす余地がかなりあると思われ、今後都政のみならず国政に対する小池代表の影響力も無視できないレベルになっていく。小池代表は最終的にテーゼを都民ファーストの会特別顧問、アンチテーゼを希望の党代表とした上でアウフヘーベンし、ジンテーゼとして日本初の女性首相である小池首相になることを狙っているのかもしれない。その場合の犠牲、捨て駒は都民と国民ということになるのだが。そもそも時代遅れで近代的な概念である弁証法ですら偽りのスノッブな雰囲気で曲解していくという、ポストモダン的な記号の戦略を駆使する彼女の戦略はここでも徹底している。

希望なき選挙: 連載記事リンク

希望なき選挙 前編: 今回の衆議院解散総選挙のキーワード

希望なき選挙 後編: 絶望の果ての希望

ブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点

今までの流れ

以前書いたブログ改造日記 3: 自滅としてのグーグル八分という記事では、書いた記事がGoogleにインデックスされず、大半の記事は検索結果にすら表示されていなかったことが判明した。調査の結果それは意図しない「noindex」の設定によるという原因を突き止め、最終的に問題は解決した。現在はほぼ全ての記事がインデックスされているはずだ。またブログ改造日記 5: 「All in One SEO」から「Yoast SEO」へという記事ではSEOプラグインを「All in One SEO」から「Yoast SEO」に乗り換えた。それ自体は「Twitter Card」が反映されないこと以外は特に問題がなかったのだけれど、ここにきてGoogleのインデックスに関する三つの問題点が見つかったので、「ブログ改造日記」の第6弾として今回はそれらの問題点について書いてみる。

Googleのインデックスに関する三つの問題点

Googleのインデックスに関する三つの問題点は以下。

1. タイトルが強制的に書き換えられてしまう問題。

2. 検索結果の重複問題。

3. 「Meta description」の記述問題。

最初に一言断っておくと、1に対する確実な対処法は存在しないが、可能性として有効かもしれない方法は幾つかありそう。2に関しては原因はある程度分かるけれど、対処法が難しい。3に関してはそもそも「Meta description」を記述していないので、それを適切に記述することで対処できそうだ。

タイトルが強制的に書き換えられてしまう問題

1番目の問題に関しては分かり易く言葉を補うと、検索結果に表示されるタイトルがGoogleによって強制的に書き換えられてしまう問題ということになる。例えばNILOGでは「Yoast SEO」によって個別投稿記事の「SEO title」を%%title%% %%sep%% %%sitename%%に設定している。この記述は以前ブログ改造日記 5: 「All in One SEO」から「Yoast SEO」へという記事でも説明したように「%%title%%は投稿/固定ページのタイトル」、「%%sep%%はタイトルの区切り記号」、「%%sitename%%はサイト名」という意味になる。つまり以前の設定通りの状態で表示されるとするならば、今日の記事のタイトルは以下のように表示されるはず。

「ブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点 | NILOG」

もしくはタイトルが長くて省略されてしまうのであれば、%%title%%だけ設定して以下のようにタイトルのみの表示でも良いと思っている。

「ブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点」

ところが現在検索結果で表示されるタイトルは、主に以下の2種類のようになっている。

「ブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点 – Order of Chaos」

「09/27/2017 | NILOG – Order of Chaos」

タイトルタグに含まれる%%sitename%%という記述をしている部分では、当然「NILOG」と表示してほしいのだけれど、代わりに「Order of Chaos」と書き換えられてしまっていることが多い。ブログ名は「NILOG」で、「Order of Chaos」は複数のプロジェクトやコンテンツなどを包括するウェブサイト名になる。なのでこのサイト名を強制的に書き換えて表示されるのは困る。また%%sep%%のタイトルの区切り記号の設定では-ではなく|を設定しているのだけれど、それも反映されていない。日付のタイトルに関しては、これも以前ブログ改造日記 5: 「All in One SEO」から「Yoast SEO」へという記事において『「Archives」の「Date archives settings」を「Enabled」にして、「Meta Robots」を「index」に』するという設定をしたことが原因になっていると思われる。これは直接次の検索結果の重複問題に繋がる。ちなみに対処法については、記事タイトルが書き換えられる場合はより適切なタイトルに変える、もしくは適切なキーワードをタイトルに含めるなどが考えられる。サイト名の書き換えに関しては以下のリンクが多少参考になりそう。

https://productforums.google.com/forum/#!topic/webmaster-ja/9JKmL8sTpt8

検索結果の重複問題

2番目の問題に関しては検索結果の重複問題で、主に投稿記事のインデックスと「Date archives」の記事のインデックスが重複している。これは重複コンテンツということで検索結果に悪影響を及ぼす可能性もあるけれど、その影響はそこまで大きくなさそうなことと、重複コンテンツは検索結果から自動的に除外されることから利便性にはそこまで影響がないと思っていた。しかし実際には他にも幾つかの問題を引き起こす。

まず事の発端としては、NILOGのパーマリンクに年月日を採用していることがある。個人的にはパーマリンクが年月日であることと「Date archives」の「noindex」の設定がリンクしてほしくないのだけれど、SEOプラグイン上ではリンクしてしまっている。なので「Date archives」は「index」に設定するしかない。しかしそうすると投稿記事と「Date archives」で重複コンテンツが生まれる。さらに問題なのは検索結果から除外される記事が投稿記事なのか「Date archives」なのかが分からないので、先程の例のようにどちらの種類のタイトルが表示されるのかが事前に予測できないし、その形式がバラバラになって統一感がない。また日付のタイトルでは内容がほとんど伝わらないために、検索流入に効果があるとは思えない。なのにも関わらず、「Date archives」の方がインデックスされてしまうと、重複コンテンツになって投稿記事の方が検索結果から除外されてしまう。

今更ドメインやパーマリンクを変更したくないし、「All in One SEO」と「Yoast SEO」以外のSEOプラグインがこの問題を解決できるかも分からない。恐らく解決できる可能性は低いだろう。もしくはSEOプラグインを使用しないで全て自力でやるということも考えられるけれど、現実的ではない。そういう意味で今のところ対処法は分からないけれど、このまま放置していても折角インデックスされたのに検索流入に効果がないという状態にもなりかねないので、この問題に関しては引き続き取り組んで改善する必要がある。

「Meta description」の記述問題

3番目の問題に関しては「Meta description」を記述していないので、記事の紹介文として先頭の目次が表示されてしまうという問題。これに関しては自作目次の機能を自動化し、目次の部分を本文に記述しなくても良いようになれば、特に何もしなくても本文の先頭が反映されるはず。もしくは内容にこだわるならば以下の二つの選択肢が考えられる。

1. 本文から良さそうな部分を文字制限に収まる範囲でコピペする。

2. タイトルと本文の内容に合うようにその都度「Meta description」を考える。

費用対効果を考えるならば1が良さそう。捨てるところは捨てて、力を抜くところは抜かないと全体としてむしろパフォーマンスが下がってしまうこともある。そういう意味で更新頻度が少ないなら2をしても良いけれど、現状では割に合わない気がする。ただ「Yoast SEO」の「Edit Snippet」 > 「Meta description」を記述しても反映されない場合はまた別の対処法を考えないといけない。

今回の記事のまとめと今後の展望

今回の記事ではGoogleのインデックスに関する三つの問題点を挙げた。タイトルに関しては正直Googleが勝手に書き換えないでほしいのと、結果が向上するしないに関わらず元に戻すオプションを用意しておいてほしい。検索結果の重複問題は個人的なパーマリンクの設定が引き金になっている部分もあるのだけれど、実際に今思い浮かぶ方法で解決するのは難しそうだ。これらの問題に関しては試行錯誤して改善していくしかなさそう。反対に最後の「Meta description」の記述問題は一番簡単に解決しそうだと思っている。これらに関して進捗があればまた「ブログ改造日記」として報告していきたいと思う。「ブログ改造日記」は個別の環境や設定もあるので必ずしも多くの人の参考になるとは思っていないのだけれど、「1人が困っている部分は他の誰かも困っている、1人に役立つことは他の誰かにも役立つ」という精神を忘れずに、また成長期としての意味も込めて書いていければと思っている。

ブログ改造日記: 連載記事リンク

ブログ改造日記 1: デザインの変更と機能の追加

ブログ改造日記 2: ブログに関する問題点

ブログ改造日記 3: 自滅としてのグーグル八分

ブログ改造日記 4: 「Table of Contents Plus」の限界と自作目次の導入

ブログ改造日記 5: 「All in One SEO」から「Yoast SEO」へ

ブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点

ブログ改造日記 7: 「Broken Link Checker」の導入と自作目次の改善

ブログ改造日記 8: 両端揃えの導入

ブログ改造日記 9: Headerの高さを調整してみた

ブログ改造日記 10: Twitter Cardの設定

ブログ改造日記 11: footnotesというプラグインで脚注を導入してみた

ブログ改造日記 12: カテゴリ整理

ブログ改造日記 13: IFTTTとInstagram Feedの設定

「通訳案内士」と「TELP」

今回の記事では最近2020年東京オリンピックに伴う需要増加によって法改正が話題の「通訳案内士」と、その規制緩和の波に乗ろうとしている「TELP」というサービスについてまとめてみる。記事の最後では多言語話者についてテクノロジーの発展と脳科学的な側面から捉えた際の意味合いを手短にまとめているので、興味のある方はそちらも読んでみてほしい。

「通訳案内士」とは

「通訳案内士」は国家資格の一種で、「通訳案内士試験」の筆記試験と口述試験を通過した人に与えられる資格になる。簡単に言えば「通訳」 + 「観光ガイド」のプロということになる。この試験は難易度が高く、合格率は例年20%前後になっている。この資格は弁護士などの資格と同様に業務独占資格なので、この資格を持っていない人が有料で「通訳案内士」の業務内容に携わることはできない。

「通訳案内士法及び旅行業法の一部を改正する法律」

しかし実態に沿っていないとされる試験内容と、2020年東京オリンピックに対応するには需要と供給が合わないということで、試験制度を含めて大幅に法律が見直されることになった。それが「通訳案内士法及び旅行業法の一部を改正する法律」であり、今年の8月18日に既に公布済み、来年の1月4日から施行となる。

詳細は観光庁の以下の二つのリンクを読めば分かる。

「通訳案内士法及び旅行業法の一部を改正する法律案」を閣議決定

「通訳案内士法及び旅行業法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令」、「通訳案内士法第三十八条第一項の期間を定める政令」及び「通訳案内士法及び旅行業法の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備に関する政令」を閣議決定 ~地方誘客促進のための受入環境の充実と旅行の更なる安全確保を目指します!~

法律の要点と重要な変更点

上記のリンクから要点を抜粋して確認すると、以下の2点が重要な変更点になる。

1. 「業務独占から名称独占」になる。
2. 「試験科目に実務項目を追加」し、「定期的な研修の受講を義務付け」る。

1はつまり「通訳案内士」でなくても「通訳案内士」の業務内容を行うことができるようになるということ。2は試験がより実務を反映するものになり、資格を一度取得したら終わりという性質のものではなくなるということだ。簡単に言えば需要の増加に伴って規制緩和をしつつ、資格としてはより質の向上を目指すということになる。

「TELP」とは

この「通訳案内士法及び旅行業法の一部を改正する法律」における規制緩和を見越して、「TELP」というサービスが本日リリースされた。「TELP」では2カ国語以上話せる人が「TELPER」として登録し、言語の壁によって意思疎通に困っている2人を手助けするという仲介サービスになる。現在はβ版なので語学レベルは問わず全てが無料のサービスになっているが、規制緩和後は有料プランなども考えているようだ。ビジネスモデルとしては簡単に言えば通訳における「Uber」、もしくは「Airbnb」のようなものだと思えば分かり易い。「TELP」が今後「Uber」、「Airbnb」並に発展するかは分からないけれど、類似サービスや他の分野でもこのような流れはどんどん出てくるはずだ。ちなみに既にお試しとしてアプリには登録してみたので、実際に使用したらまたブログに報告するかもしれない。

多言語話者: テクノロジーの発展と脳機能の非局在性

個人的にはフリーランスとして翻訳業務に携わっているのと、以前から同時通訳に興味があり、近いうちに通訳も仕事としてやってみたいので「通訳案内士」と「TELP」には興味を持っている。翻訳と通訳に関しては最終的には大部分がAIに代替されるし、外国語を学ぶ重要性は減ると思っているのだけれど、多言語を扱うというのは自分の中に違う人格が存在する脳構造を持つということでもあり、代替の問題や不必要性とは違う興味がある。ある言語を学ぶということは、同時にその言語に内在する文化や思考形態をもインストールすることと同じであり、これは単純にテクノロジーで解決できる問題ではない。

また脳機能局在論に基づいた脳機能マッピングは、過去にfMRIという手法を使用してある程度の成果を上げた。しかし実際の脳機能は非局在的な部分も多く、どの部位がどの機能に対応しているのかという物理と情報を一対一対応させる手法には限界がある。実際に右脳、左脳という脳の局在性と機能の関係は科学的には無根拠であることが証明されているし、何かしらの脳の部位や機能の欠落がある特定の機能の異常発達を示す例が見られることも脳機能の非局在性を示していると言える。つまりこれは例えば将来的に電脳によって言語をインストールすることができるようになったとしても、物理的な脳が全て代替されていない限りにおいて多言語話者とはその意味合いが異なることの根拠にもなり得る。このように考えるとたとえAIによって将来的に翻訳と通訳の仕事が全て代替されたとしても、外国語を学ぶ必要がなくなったとしても、多言語話者になる意味は完全には失われないのだろう。

MOOCsについて

MOOCsとは

MOOCsの潮流

MOOCsとはMassive Open Online Coursesの略で、インターネット上で無料で受講できる講義のことを指す。これには世界のトップレベルの大学がこぞって参加していることから、英語さえ理解できれば世界トップレベルの教育を受けられる環境が整ってきた。最近では無料のコースとは別に有料のコースを設置しているサービスも増加してきており、大学の学位に相当するようなものを交付するような例も出てきている。MOOCsの課題の一つとしては最後までコースを終了する割合が低いということがあったが、有料のコースにおける生徒のモチベーション、成績、修了率は非常に高く、世界の一流大学を超えているというデータもある。

生涯学習の時代

個人的な留学のゴールとしては自分自身の専攻を作りたかったということと、競技ディベートを習得したかったという二つのゴールがあり、それらを両方アメリカ留学で達成することができた。しかしそういった密教的なトレーニングが必要でない場合、特に大学院ではなく学部レベルの教育であればもはやMOOCsの方が講義のレベルが高い可能性すらあり、ひたすら自分の学びたいものを学んでいった方が効率も良い。これは学生だけではなく社会人も同じことで、現代社会においては既存の多くの職業や業界自体が消失し、新しい職業や業界が生まれ続けることを前提に生きていく必要があるため、生涯学習が基本になる。数年前に大学院レベルで学んだ事柄すらすぐに古くなってしまう可能性のある現代社会においては、大学や大学院を卒業してから全く学習しないというのでは職業人としては「お前はもう死んでいる」ということだ。

学歴について

学歴の間違った定義

学歴については日本では学校歴のことと勘違いされており、大学入試の偏差値という大学に入る前の段階の限られたテストでの結果と出身校がどこなのかによって学歴の高低が判断されているように思うが、これは明確に間違い。実際のグローバルな学歴社会では学位が学士なのか、修士なのか、博士なのかの方が重要であり、出身校に限らずそのGPAと何を学んだのかの方が遙かに重要である。さらに言えば大学院の修士、博士レベルにおいても出身校よりも教授や研究室単位で自分の選択する分野において誰が、もしくはどこが優れているのか、マッチするのかを選択するのが大事なのであって、そこを無視したランキングに意味はない。

ゴール設定とランキング
ゴール設定がない悲劇

そもそもランキングとは自分自身の中に明確なゴールがあって初めて活用する意味があるのであって、そうでない場合には何の意味も持たない。例えば世界で最高の料理人になりたい人がハーバード大学に行く必要があるのかと言えば、そうは思わないし、ハーバード大学が全ての分野における最高峰であるわけでもない。確かに十代の頃に何がやりたいかが明確な人間は、相対的に見れば圧倒的に少ないのだろう。なのでその場合にはとりあえずレベルが高そうなところに行って、後から考えるという方法もあり得るだろう。しかし実際にそのような考えでランキングに吊られてIvy League級の大学に通っていた人は、そこでも解消しないコンプレックスに悩まされ続けるか、学んでいることの意義を見い出せずに辞めていった人が多かった。

ランキングの活用法

一方で自分の専攻を作る、競技ディベートを習得するという二つのゴールを設定した私は、ランキングで競技ディベートの世界で常時トップ10に入る大学を探し、その中から自分の専攻を作ることができる、かつ経済的にも通うことができる唯一の大学を見付け出した。他にもアートにおける過去の中心地であったNYのマンハッタンに近いことなど幾つか条件もあったが、それらは些細なオプションだ。ランキングとはこのように自分のゴールに沿って活用するものであって、ただ単に他人からの承認欲求を満たすために使うものではないし、ゴールによってベストな選択が異なるのは当たり前だ。他人からの視線を優先した選択を続ける人生はどこかで必ず空虚さを生み出し、最終的には破綻する。例えば偏差値教育においては本当は経済学に興味があるけど偏差値が高いから法学部に行く、もしくは何も興味がないけれど大学に行くみたいな話が良く聞かれるけど、個人的には全く意味が分からないというか、人生をかけて壮大なコントをやってるのかと思うし、その興味がないものに対して費やすことになる時間と費用のコスト計算をした方が良いと思う。最近では田村淳が青山学院大学を受験する企画を発表したが、企画してもありきたりだし、本気で言っているなら今言ったように全てが間違った前提の元に動いていると言える。

注目のMOOCs

「Udacity」の専門性

MOOCsでは「Coursera」、「edX」などが有名だけれど、個人的に今最も注目しているMOOCsは「Udacity」。「Udacity」は「Google」、「salesforce.com」、「Facebook」、「NVIDIA」、「Autodesk」といった大学以外の企業も提携しているため、実学的で非常に実践的な講義が受けられる。個人的には教育は「Liberal Arts」、つまり分野に限定されない教養教育をしっかりした上で、その土台の上に専門性を極めていくべきという考え方。なので大学が学問とは無関係な職業訓練校化、就職予備校化をすることには反対の立場。ただ「Liberal Arts」をしっかり抑えているという前提の上で、「Udacity」のような講義を使っていくのは賢い戦略だと思う。「Udacity」は特にプログラミング、コンピューターサイエンスに特化した講義を持つサービスで、学んだ内容が仕事に繋がるというのが一つの特徴になる。

「Nanodegree」の魅力と威力

「Udacity」では「Nanodegree (ナノ学位)」という新しい学位の形を提唱している。これは数ヶ月間 (1年以内) 、月額数百ドル程度を支払うことで受講でき、コースを修了すると「Nanodegree」が取得できるというもの。有料ではあるが一人一人のサポートが手厚く、その授業料と期間も従来の大学に比較すると遙かに負担が少ない。またこの「Nanodegree」を持っていることで、就職にとても有利に働くというおまけまで付いてくる。さらにある一定の期間以内に講座を修了する、もしくは特定の条件下で就職できなければ一定額もしくは全額の払い戻しを行うなどのオプションが付くこともある。これは新しいキャリアパスの形であり、こういった「Nanodegree」のような取り組みはこれからも拡大していくだろう。個人的にも「Udacity」のウェブサイトを眺めながら幾つか興味深い講座を見つけた。なのでまず無料の講座を受けながら、将来的に「Nanodegree」を取得することになるかもしれない。その時はまたこのブログで過程を含めて報告していこうと思う。

手作り本講座 1: 本の構想

手作り本講座

急な話だけれど本を手作りで制作する連続講座に参加することにした。これは以前ちらしを見掛けて数秒後に申し込んでいた講座になる。講座の内容としては基本的には自主的に本を制作しながら、分からない部分やできない部分などを講師の人に聞いたり、指導してもらったり、手伝ってもらうことになるみたいだ。時期的には9月下旬〜12月中旬までの講座で、それまでに本を完成させるのが目標。通常の自費出版の本ではどこかの過程で業者に頼んだり、出版社が絡む場合も多いけれど、この講座では基本的には全ての工程を一人で成し遂げることを目標にしている。今後はその過程を含めて「手作り本講座」という連載記事としてまとめていく予定で、今回の記事はその第1回目となる。

講座参加の理由
『The Encounter with the Goat』と『Unexpected Echoes』

以前本と電子書籍は作ったことがあって、以下のリンクの作品の限定版、もしくは特典版ではそれらが付属する。簡単にそれぞれの作品を説明すると、『The Encounter with the Goat』には3曲のピアノ独奏曲が収録されている。このアルバムは作り方が変わっていて、3人の作曲家が同じストーリーを元にして1曲ずつ作曲した作品になる。本と電子書籍は同じ内容で、ストーリーはNILの書き下ろし、全曲解説付きで楽譜が掲載されている。一方で『Unexpected Echoes』は元AnrealmsメンバーのAuremelとのコラボ作品で、この作品は「Tokyo Design Week 2015 Asia Awardsヤングクリエイター展ミュージック部門」においてSemi Grand Prixを受賞している。音楽は六つの異なるインタラクティブというテーマに沿って作曲されており、付属するコンセプトシートには音楽だけではなく、インスタレーション、映像、アルバムアートワークも含めて写真付きで解説しているので濃い内容になった。

「The Encounter with the Goat 限定版」

「The Encounter with the Goat 特典版」

「Unexpected Echoes 限定版」

「Unexpected Echoes 特典版」

これらの作品に関しては上記のリンクから詳しい説明を読むことができるので、気になった方は是非購入してみてほしい。今までは少数の知り合い以外にはほぼ全く言及も宣伝もしていなかったのだけれど、購入してくれた方の評判は今のところとても良い。またこれらの作品に関してもまたブログで改めて説明するのと、ウェブサイトで視聴などができるようにしていく予定。

四つの理由

これらの作品を通して本と電子書籍は過去に自分の手で作ったことがあるのだけれど、その時は本の印刷と製本は業者に依頼したし、電子書籍はPDF形式だった。それはそれで質の良い作品ができて良かったのだけれど、本については最初から最後までの工程を自分でやれるようになってみたかった。また電子書籍については形式がPDFだったので、今度はEPUB、AZW、MOBIなどの形式を試してみたかった。これら二つが主な理由で、他にも講座のスケジュールに合わせて締め切りを設定するのでだれることがないこと。さらには「Chaos of Order」という個人のオンラインストアを立ち上げる予定なのだけれど、それを立ち上げるモチベーションにもなりそうだったことが念頭にあった。

上記の四つが主に今回の講座参加の理由になる。実際にこれらの作業が自分でできるようになればいつでも自分の好きなタイミングで出版できるので便利だし、出版社による自費出版ビジネス (読者ではなく、著者から儲ける構造) に巻き込まれることもない。はっきり言って今回やりたいことは講座の範囲を超えている部分もあるのだけれど、今まで全て独学でやってきたので恐らく大丈夫だろう。基本独学で勝手にやって、その作業内容を見せつつ必要な部分は教えてもらうというスタイルが振り返ってみても一番自分に合っている。

手作り本制作の工程

手作り本制作の工程は以下の流れになる予定。

1. 本の構想
2. 本の設計
3. 材料の入手
4. 束見本の制作
5. 原稿のデジタル化
6. 編集作業
7. 印刷
8. 製本

個人的に一番知りたいのは8の製本の方法なのだけれど、講座では大体この行程に沿って作業を進めていくことになる。今回の講座の時間を使って、1の本の構想であるアイディアとラフスケッチは書き終えた。なので次回はそれを具体化するために、2の本の設計を進めていきたい。

出版予定の2冊の本

出版予定の本は2冊ある。1冊は以前から何度かブログでも書いていた「詩とリトグラフのアーティストブック」。もう1冊はNILOGの書籍化をしてみたいと思っている。「詩とリトグラフのアーティストブック」については濱中大作さんとのコラボ作品であり、リトグラフ版画工房 ダイナミックサイクルの協力を得て制作する予定。NILOGの書籍化については、以前からブログ読者の方に書籍化をした方が良いと言われていたのもあり、今回の機会を使って自分でやってみることにした。どちらも販売日はまだ未定だけれど、年内には形になれば良いと思っていて、それらから派生するイベントなども考えているのでお楽しみに。

手作り本講座: 連載記事リンク

手作り本講座 1: 本の構想

手作り本講座 2: 本の設計

馬鹿の生存戦略

馬鹿の定義

今回の記事の結論を一言でまとめると、馬鹿は生存戦略として極めて正しく賢いという話になる。それには様々な要因が絡んでくるが、今回はその要因を一つずつ解きほぐしながら馬鹿の生存戦略の賢さを証明してみようと思う。馬鹿について語るにはまず馬鹿を定義しなければいけない。なので今回の記事における馬鹿を定義すると、以下のようになる。

馬鹿とは他者には理解不可能な思考、行動をする人物のこと。

ここでは通常の定義のように馬鹿は頭が悪いというような定義ではなく、理解不可能であるという点に焦点を当てている。というより頭の良さが定義不可能であることと、その人物の内面を知ることが不可能な以上、ある人物について頭が良い、頭が悪いという評価を下すことは本質的に不可能である。ある指標を持ってきて相対的にある人物が他の人物より優れている、劣っているという話はできるかもしれないが、その指標自体も絶対的ではない以上、それもまたある意味では無意味な議論である。故に一般的な議論に良くあるように今回の話は馬鹿を蔑むような話にはならなず、むしろ馬鹿であることにどのような深い意味があるのかを考察することになる。

「本物の馬鹿」と「一点突破馬鹿」と「周回馬鹿」

まず馬鹿には大別すると「本物の馬鹿」と「一点突破馬鹿」と「周回馬鹿」がいる。「本物の馬鹿」とは天然物の馬鹿であり、「一点突破馬鹿」とはパラメーターが極端に偏った馬鹿であり、「周回馬鹿」とは極め過ぎてしまっているが故に理解されない馬鹿である。前者の「本物の馬鹿」は成長しないし、学ぶことがない故にぶれない。常人には発想不可能な思考と行動によって周囲を翻弄し続ける存在だ。「一点突破馬鹿」はある一点のみは誰よりもできるが、その他のことが一切できない。環境とその才能がマッチした際には爆発的な威力を発揮するが、そうでない場合には一切役に立たない。「周回馬鹿」は抽象度の螺旋階段における周回を繰り返しており、常人には理解不能な思考と行動の飛躍をする。見えている世界が違い過ぎるが故に、その背景が分からない人から見れば馬鹿との違いが分からない。もちろんこれらの馬鹿の性質は重なり合うこともある。

馬鹿の六つの特徴

以下に馬鹿の六つの特徴を項目別にまとめてみる。

馬鹿は行動力が高い

馬鹿は行動力が高い。「本物の馬鹿」は考えることができないために行動力が高い。「一点突破馬鹿」はそれしかできないために行動力が高い。「周回馬鹿」はやりながら考えるために行動力が高い。行動力が高いと言うことは試行回数が増えるということだ。試行回数が増えるということは、単純に経験値が増えるということで、これは成功確率を著しく上げる。

馬鹿はエモリティが高い

馬鹿はエモリティが高い。エモリティとはエモさの度合いのことであり、エモさとは「もののあはれ」のことである。要するに馬鹿は善かれ悪しかれ関わった人に強い感情を喚起させ、思考や行動に影響を与える。エモリティはミームの伝染と同じように人に伝播する。このエモリティが高いことによって人が関わるハードルは低くなり、人はエモリティの高いものをシェアしたがるという性質も持っている。これによって成功する可能性は飛躍的に高まる。

馬鹿は面白い

馬鹿は面白い。常人の発想にはない突飛な思考、行動は「緊張と緩和」の関係を作りやすく、それは面白さにとって一番重要な要素だ。お笑い芸人においては「本物の馬鹿」と「一点突破馬鹿」と「周回馬鹿」がほど良い割合で混ざっているように感じる。例えば狩野英孝は「本物の馬鹿」だろうし、ジミー大西は「一点突破馬鹿」だろうし、江頭2:50は「周回馬鹿」と言えるだろう。それぞれ全く役割は異なるが、面白いことに変わりはない。面白いものは受け入れられやすく、応援される確率が圧倒的に上昇する。

馬鹿はかわいい

馬鹿はかわいい。人が何かをできないという状況は場合によってはかわいく見える。例えばペットがかわいいというのも、彼らには自分より劣っている部分があり、そこに対して手助けが必要であったり、面倒を見なければいけない存在であるという部分がかわいさに繋がっていることがある。仮にペットが自分より全てにおいて優れており、上から目線の態度だったらかわいくないことだろう。「本物の馬鹿」はできないことが多過ぎる、「一点突破馬鹿」はある特定のこと以外が全くできない、「周回馬鹿」は常人とは違う思考の元に動くので、何かができていないように見える。これらの欠落した要素は全てかわいさに繋がり、かわいいということは正義に繋がる。

馬鹿にはギャップがある

馬鹿にはギャップがある。「本物の馬鹿」は何もできないので、その極限まで低いハードルで何かができた場合、評価がうなぎのぼりになる。「一点突破馬鹿」はギャップそのものを生きているとも言え、できることとできないことのギャップが激し過ぎる。そのできないことによって極限まで低いハードルが設定されており、それと比較したできることのギャップが凄いので、評価がうなぎのぼりになる。「周回馬鹿」は自分にとっては常に自然なことをしているだけなのだが、周囲にとってはそれが理解不可能である。なので時に馬鹿すぎるが、時に凄すぎるというギャップが生まれ、評価がうなぎのぼりになる。

馬鹿はべき分布の世界を生きている

馬鹿はべき分布の世界を生きている。正規分布と比較してべき分布は一部のサンプルが異常値を出すことに特徴があるが、「本物の馬鹿」、「一点突破馬鹿」、「周回馬鹿」のどれもがその異常値を出すことに長けていると考えることができる。普通は正規分布を想定した上で、その多いサンプルに合わせたアウトプットを行ったり、平均的なアウトプットがあるものだが、馬鹿は最初からその正規分布のフィールドにいない。もちろんこれは比喩であるが、その異常値を出すということには常に大きな可能性が眠っている。

馬鹿の生存戦略

上記の特徴をまとめると馬鹿の生存戦略とは、行動力が高いことによって試行回数を増やし、エモリティが高いことによって人に思考や行動を伝播させ、面白いことによって応援され、かわいいことによって正義になり、べき分布を生きることによって異常値とも思えるようなアウトプットを出力することであると分かる。これが馬鹿の生存戦略であり、馬鹿を馬鹿にしてはいけない理由だ。馬鹿の全てがこの馬鹿の生存戦略を取るとは限らないが、馬鹿の中には確実にこういう存在が混じっている。最後に馬鹿と天才は紙一重という言葉があるが、最初の馬鹿の定義における「馬鹿」の部分を「天才」に置き換えてみよう。

天才とは他者には理解不可能な思考、行動をする人物のこと。

おあとがよろしいようで。

『Transcendence』を観たけれど

生命時間の供養

『Transcendence』を観たけれど「Rotten Tomatoes」の評価通り余りにつまらなかったので、今回は設定の面白い部分だけを抜き出して妄想を膨らませた文章を垂れ流すことにする。今のところ人類の生命時間は有限ということになっているので、せめて視聴に使った2時間の生命時間を供養するためにも。

精神転写について

早速本題に入ると、『Transcendence』の設定を元にして垂れ流す妄想は以下になる。

・仮に精神転送に成功したとして、転送された意識は元の自分と同一の自分と言えるのか?

アイデンティティと自我

これに関しては結論から言えば、転送された意識を操るのは元の自分ではないが、転送された意識は元の自分と同一の自分であるということになりそうだ。そもそも自分が自分であるというアイデンティティは記憶の連続性によって確かめられている。よって記憶の連続性が失われてしまえば、簡単にアイデンティティは失われることになる。例えば自分が記憶喪失になり、その間に記憶喪失になる前の知り合いが一人もおらず、住んでいた土地とも全く違う場所に連れてこられた状況をイメージしてほしい。その状況下において以前のアイデンティティと同一のアイデンティティを保つことは不可能だろう。またそもそも仏教においては自我は存在しないことが説かれており、アプリオリでないものをアプリオリに存在していると勘違いすることを無明と呼んでいる。さらに不完全性定理をLispというプログラミング言語により数学の情報空間全体に拡張して証明したチャイティンの証明を適用したとすれば、自我もまた完全性同様に存在しないと言うことができる。これらの前提は簡単に言い換えれば、記憶の連続性がアイデンティティの根拠であり、自我の固有性には根拠がないということだ。つまり精神転送された意識に記憶の連続性があり、自我は元の自分の専売特許でないとするならば、転送された意識は元の自分と同一の自分であるという主張が成り立つ。

意志の方向性

恐らくここで問題になってくるのは、その意識の転送元の自分が生きていた場合にどうなるのかということ。これはクローン人間と全く同じ問題を孕んでいる。つまり自分が2人いることになった場合、どちらもが自分が本当の自分であることを主張するが、一体どちらを信じれば良いのか?一つの答えとしては、転送する際には必ずオリジナルを消滅させるというルールを作ること。この場合オリジナルの自分は消滅することになるが、過去の時間における本人の意志があり、その意志の方向性、つまり精神転送をするという方向性は未来の時間においては不可逆に尊重するということになる。しかしこのルールはさらにややこしい状況を作り出す可能性もある。例えば精神転送した後に怖くなってキャンセルしたいとオリジナルが言い出した場合。その場合には消滅させられる恐怖と戦いながら自分が本当の自分であることを主張し、精神転送した自分と戦いながら逃走を続けるSFの物語が完成する。しかし実際はクローン人間も含めて精神転写が一旦実現して当たり前の日常の風景になってしまえば、本当の自分なんていう自我に囚われることなく、それぞれの役割をそれぞれが果たしながら色々楽しく生きていくという世界線もあるのかもしれない。

“Can you prove you’re self-aware?”

“No, I can’t. This is because the ego doesn’t exist.”

Transcendence
Transcendence
監督: ウォーリー・フィスター

ブログ改造日記 5: 「All in One SEO」から「Yoast SEO」へ

「ブログ改造日記」の第5弾となる今回は、「All in one SEO」の使用を止め、「Yoast SEO」というプラグインを使用することになった理由と、その設定方法を説明する。これからWordPressのSEOプラグインを導入しようと思っている人は、「All in one SEO」よりも「Yoast SEO」の使用をお勧めする。また「Yoast SEO」には「All in one SEO」からのインポート機能があるので、念のためにバックアップを取得後、その機能を使用することで楽に以前の設定データをインポートすることができる。

「All in one SEO」から「Yoast SEO」に乗り換えた理由

最大の理由は機能の量と設定項目の細かさの違い。「All in one SEO」と比較して「Yoast SEO」は機能の量が多く、設定項目が細かいので痒い所に手が届くプラグインになっている。逆に言えばシンプルな設定で満足というのなら「All in one SEO」でも十分かもしれない。SEOは随時改善していくべきものであり、長期的視野が必要になるため、個人的には将来的なことも考えて「Yoast SEO」に乗り換えることにした。またこれらのプラグインについてリサーチした結果、多くの比較記事で「Yoast SEO」を使用しており、WordPressでは一番評価の高いSEOプラグインであるということも決め手になった。どちらにせよSEOプラグインの設定は一歩間違えると「ブログ改造日記 3: 自滅としてのグーグル八分」のような悲劇を招く可能性もあるので、設定は色々調べた上で慎重にやった方が良い。

「Yoast SEO」の設定方法

パーマリンクの設定

まず最初にパーマリンクの設定を/%postname%/にしていない場合、「Dashboard」 > 「Notifications」でそのように変更するように言われるが、これには必ずしも従う必要はない。確かに/%postname%/というパーマリンクを推奨している人も沢山いて、個人的にもそれを使用しているウェブサイトもある。しかしこの設定は毎日投稿するようなブログには向かない。何故かというと「postname」の部分に該当するURLを記事毎に決めないといけないからだ。それは単純に面倒くさいし、パーマリンク設定は一度決めたら基本的に変えるべきではないので、後に変更したいと思ったときにはもう遅い。また「Yoast SEO」を導入する前にかなりの数の投稿をしている場合も同様になる。その場合も今更設定を変えると全ての投稿記事のパーマリンクが変更され、リンク切れが多発し、検索順位が大幅に落ちるなどの可能性が考えられるのでやはり変更は推奨しない。

「Search Console」の設定

次に「Search Console」の設定について。そもそも「Google Search Console」を設定していない人は、今すぐした方が良いのでググって方法を検索し、設定するべき。その上でまず「Search Console」 > 「Settings」にアクセスする。「Get Google Authorization Code」をクリックし、「Google Search Console」を設定した「Google account」にログイン。注意書きが出るので「Allow」をクリックし、出てきたコードをコピーする。先程の設定の場所に戻ってコードをペーストし、「Authenticate」をクリックすれば設定完了。

「Titles & Metas」の設定

次に「Titles & Metas」の設定について。「Titles & Metas」 > 「General」 > 「Title Separator」で一番良いものを選択する。これは例えば記事を検索した際に、記事タイトルとサイト名の区切りとして入る記号を選択するということになる。これは完全に好みだが、個人的には|を選択している。「Homepage」、「Post Types」、「Taxonomies」、「Archives」、「Other」の設定についても、好みがあると思うのでそれぞれの項目を簡単に説明して、自分の設定をさらっと書いておく。

それぞれを簡単に説明すると「Title template」では検索した際に表示されるタイトルのテンプレートを記述する。「Meta description template」ではそのサイトや記事の内容を簡単に説明するテンプレートを記述する。「Meta Robots」では「index」の場合はインデックスする、「noindex」の場合はインデックスしない。「Date in Snippet Preview」では「Show」の場合は日付がプレビュー画面に表示する、「Hide」の場合は日付がプレビュー画面に表示しない。「Yoast SEO Meta Box」では「Show」の場合はその項目のページで「Yoast SEO」の設定欄を表示する、「Hide」の場合はその項目のページで「Yoast SEO」の設定欄を表示しないようになっている。

「Title template」や「Meta description template」では変数を使用して記述するのが良いが、その変数の種類と説明は「Titles & Metas」 > 「Help center」 > 「Basic Variables」、もしくは「Titles & Metas」 > 「Help center」 > 「Advanced Variables」から見ることができる。個人的には「Title template」は「Homepage」の場合は%%sitename%% %%sep%% %%sitedesc%%、その他の場合は基本的に%%title%% %%sep%% %%sitename%%を設定している。ちなみに%%sitename%%はサイト名、%%sep%%はタイトルの区切り記号、%%sitedesc%%はサイトの簡単な説明、%%title%%は投稿/固定ページのタイトルという意味。「Meta description template」は後から設定すれば良いので設定していない。

「Meta Robots」の設定は重要で、「index」にしないと検索エンジンに認識されないことになるので注意が必要。ただし全てを「index」にすると意味のないページまでインデックスされてしまい、記事のクオリティが低いと判断されて検索ランキングに影響が出る。個人的には「Post Types」の「Posts」と「Pages」のみ「index」必須で、後は「noindex」でも良いけれど個人の好みで選択するという感じ。項目によっては「Enabled」、「Disabled」が選択できるので、根本的に必要ない項目の場合は「Disabled」を選択すれば良い。また日付に関するパーマリンクを設定している場合は、「Archives」の「Date archives settings」を「Enabled」にして、「Meta Robots」を「index」にしないと全部の投稿記事が「noindex」になる可能性もあるので注意が必要。「Date in Snippet Preview」は「Hide」、「Yoast SEO Meta Box」は「Meta Robots」を「index」にした場合のみ「Show」にしておけば良い。

「Social」の設定

次に「Social」の設定について。基本的にはURLを入れれば完了だが、Twitterだけ「Twitter Username」になっているので注意が必要。これは@の後に書いてある自分で設定したユーザーネームを入れればOK。次にTwitterの場合は「Twitter Settings」にアクセスし、「Add Twitter card meta data」を「Enabled」、「The default card type to use」を好みに合わせて設定する。個人的には画像は大きい方が良いので、「Summary with large image」に設定している。しかし、ここで「ブログ改造日記 2: ブログに関する問題点」で問題になっていた「Twitter Card」が反映されない問題が再発する。「Card Validator」でチェックしたら読み込まれた「metatags」の数は増えていたものの、以下のようなエラーが出た。

Log

INFO: Page fetched successfully
INFO: 12 metatags were found
INFO: twitter:card = summary_large_image tag found
ERROR: Possibly invalid value (if specified) (twitter:description)
ERROR: Possibly invalid value (if specified) (twitter:text:description)
ERROR: Possibly invalid value (if specified) (og:description)

これに関しては手動で改善する方法は見つけたけれど、実用的ではないのでまた改めて改善する必要がある。

「XML Sitemaps」の設定

最後に「XML Sitemaps」の設定について。「XML Sitemaps」にいき、「XML sitemap functionality」を「Enabled」に設定。「In sitemap」では対象をサイトマップに含める、「Not in sitemap」では対象をサイトマップに含めないという設定になる。「Post Types」、「Taxonomies」は好みによるが、個人的には「Posts」と「Pages」のみ「In sitemap」に設定し、他は全て「Not in sitemap」に設定している。「Excluded Posts」では対象をサイトマップから取り除くことが可能だけれど、今のところは設定していない。これらの設定が済んだら「General」に戻り、「XML Sitemap」の部分をクリック。そこで見つかったサイトマップの「〜.xml」の部分だけコピペして、後は「ブログ改造日記 3: 自滅としてのグーグル八分」で書いたように「Google Search Console」にサイトマップを追加すればOK。

気がかりな2点

「Yoast SEO」を設定してみて気がかりな点が2点あるので、それを最後に列挙しておく。

1. 結局「Twitter Card」が反映されない。

2. 投稿の「Snippet preview」で、URLが個別投稿記事のURLではなく、NILOGのURLになってしまっている。

1に関しては先程説明した通り。これに関してはまだしばらく戦いが続きそうだが、手動では解決できるので希望がないわけではない。さらなるリサーチと実装をして改善していこうと思う。2に関しては「Snippet preview」のみではなく、インデックスされる際にもこの画面と同じURLがインデックスされるなら大きな問題になる。何故かというとその場合はどの記事をクリックしても常にブログのトップページに飛んでしまうので、検索流入の場合は常に最新記事から表示されることになり、目的の情報に辿り着くのが難しくなる。つまり離脱率が上がるし、読者も定着しない。これらの問題の動向によっては「Yoast SEO」すら捨て去る可能性もあるけれど、今のところはこのプラグインの機能に満足しているので、しばらく色々試しながら様子を見ていきたい。

追記

気がかりな2点の2に関しては「Snippet preview」の表示のみの問題で、GoogleにインデックスされたURLは個別投稿記事のものになっていたので問題はなかった。ただしGoogleのインデックスに関しては幾つか問題があったので、それに関して興味のある方はブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点を参照してください。

ブログ改造日記: 連載記事リンク

ブログ改造日記 1: デザインの変更と機能の追加

ブログ改造日記 2: ブログに関する問題点

ブログ改造日記 3: 自滅としてのグーグル八分

ブログ改造日記 4: 「Table of Contents Plus」の限界と自作目次の導入

ブログ改造日記 5: 「All in One SEO」から「Yoast SEO」へ

ブログ改造日記 6: Googleのインデックスに関する問題点

ブログ改造日記 7: 「Broken Link Checker」の導入と自作目次の改善

ブログ改造日記 8: 両端揃えの導入

ブログ改造日記 9: Headerの高さを調整してみた

ブログ改造日記 10: Twitter Cardの設定

ブログ改造日記 11: footnotesというプラグインで脚注を導入してみた

ブログ改造日記 12: カテゴリ整理

ブログ改造日記 13: IFTTTとInstagram Feedの設定