「ボラバイト」と「リゾートバイト」の闇: 「ボラバイト編」

「やりがい搾取」

今回の連載記事では「ボラバイト」と「リゾートバイト」の闇について書いてみようと思う。まずは「ボラバイト」と「リゾートバイト」の共通点を「やりがい搾取」という観点からまとめた上で、今回は前編として「ボラバイト編」について書いてみる。今回の連載記事の話はあくまで個人的な体験を元にした話なので、この事例が全ての人に当てはまるとは限らないことを先に断っておく。その上で「ボラバイト」と「リゾートバイト」に関する結論を一言で言えば「やりがい搾取」に該当する案件であると言える。「やりがい搾取」とは何かと言えば「お金」よりも「やりがい」を重視するという建前により、「お金」以外の労働条件を労働基準法違反すれすれ、もしくは労働基準法違反レベルの酷使をする、あるいは労働に対する正当な対価を支払わないという搾取をすることを指す。経営者から見れば「やりがい」に釣られてきた労働者は鴨が葱を背負ってくるのと同じことであり、基本的には労働者は代替可能な道具に過ぎないので、最終的に搾取した後は泣き寝入りしてもらうというのが常套手段である。

国家と地方自治体による搾取

アーティスト、クリエイター、デザイナーなどの定量的に価値が測定しにくい成果物、情報を提供する場合、日本では特にこの搾取が発生しやすい。「東京2020組織委員会」による「木材提供者公募」、「大阪市プログラミング教育推進事業」などの事例を見れば、国や地方自治体が率先して搾取を行っているので目も当てられない。もちろんこれは資本主義のロジックのみで動き易い民間企業や忖度が行われ易い個人間でも起こっていることなのだが、むしろ民間企業や個人間の方がそれらを是正しようとする試みが盛り上がっている印象を受ける。搾取の例としては友達割引などはその搾取の良い例で、それはあくまでフリーランスの側から申し出てくれたのなら良いかもしれないが、依頼する側が言うべきことではない。仕事に対しての正当な対価、特にクリエイティブなことに対しての正当な対価を支払わないという代償は、アニメ業界では臨界点に達しており、貸し画廊の賃料、ライブハウスのチケットノルマ制度など客でなく「やりがい」を持った表現者から搾取する構造も根強く残っている。

「ボラバイト」の闇

「ボラバイト」とは

「ボラバイト」は「ボランティア」+「アルバイト」を組み合わせた造語であり、労働場所となるボラバイト先を「お金」ではなく社会貢献や未知の体験などの「やりがい」を目的としたボラバイターに提供する仲介ウェブサイトのことを指す。「ボラバイト」と言った場合、ほとんどの場合のボラバイト先は農業である。「ボラバイト」を運営しているのは「株式会社 サンカネットワーク」になるのだが、まず以下の「サイトの利用規約」から最重要となる項目を引用する。

第9条(免責)

VB会員の「ボラ バイト」の求人関連情報への登録、利用から生じる一切の損害(精神的苦痛、事業の中断、またはその他の金銭的損失を含む一切の不利益)に関して、サンカネットワークは責任を負わないものとします。 2. サンカネットワークは、「ボラ バイト」において提供される一切の情報についてその正確性を保証するものではありません。

つまりボラバイト先で何があっても「株式会社 サンカネットワーク」は無関係であり、情報の正確性も一切保証されていないということだ。この他にも基本的には契約はボラバイト先とボラバイターのものになり、「株式会社 サンカネットワーク」は契約には一切関知しないといった内容だった覚えがある。結果として働いたボラバイト先の農家が募集していた募集要項は一つの漏れもなく、全てが虚偽表記であったのだが、それに対して「株式会社 サンカネットワーク」に責任を求めることはできないということだろう。また半分が「ボランティア」であるという搾取のロジックにより、朝の5時台に起きて過酷な肉体労働が夜の10時程度まで続くという連続の日々の時給は数百円である。交通費が支払われないのは仕方ないとしても、給料に宿泊費や食事代が入っているとしても、最低賃金で残業代や労働時間などを含めて計算すると大幅に基準を下回るので、普通に労働基準法違反である可能性は高い。

「ボラバイト」の仕事
文明社会以前の過酷な現場

実際の業務内容は極めて単純だったが、率直に言って現場は文明社会以前の過酷なものであった。雇われている人間の仕事ぶりが適当かつリーダーも仕切る気がないので、初日にして既に人を指導する立場に回ることになる。例えば作物の選別の過程ではルールに従って選別するのだが、ルールの周知がされない、他の従業員が適当に選別しすぎる、もしくは動作が遅すぎて選別の意味が余りないので、こちらにしわ寄せが凄い勢いでくる。他にも作物を収穫し終わった後にシートを被せるだけの単純な作業に関しても、シートの端と端を持ってそのまま上から被せれば良いだけなのだが、何故か相手がクロスして持ってしまい、絡まってシートを被せることができない。苗を植える時もバケツごと移動させれば効率よく作業できるのだが、一々バケツの元に戻っては少量の苗を抱えて戻ってきたりする。それはもしかしたら休憩したいという気持ちの表れだったのかもしれないが。社長は数を順番通りに記入できず、ある時はバケツの数を暗算で計算したら天才扱いされた。若い人もいたので話を聞くと、他の工場の入社試験が難し過ぎたというのでどういう試験内容か聞くと、感想文を3枚提出するという難問だったという話だ。他の従業員にこの仕事が終わった後に「リゾートバイト」で別の土地で仕事をすると言うと、そこではどんな農業をするかを聞かれたが、ここには農業以外の仕事という発想は存在しない。

業務用キャベツの悪夢

業務用キャベツを従業員十数人で、1日でトン単位で刈るという作業をした時は、雨の中レインコートを着て作業したので服に暑さがこもり、人が次々と倒れていく。広大なキャベツ畑には縦の軸と横の軸があり、作業が早い人は縦の軸を刈り終えたら次の横軸に移動して最初から刈り直し始めるのだが、途中で社長が到着し、何故かこちらの作業が早いグループに対して怒鳴り散らし始めた。どうやら圧倒的に早く刈って次の場所に移動して刈り直しているグループが、周回遅れにされて圧倒的に遅いグループと比較して作業が遅いと怒っているらしい。そこで社長の秘伝のキャベツ刈りの奥義を見せつけられるが、誰も何も言い返す気力もない。結局一通り刈り終えてトラックで出荷されたキャベツだが、箱詰めのやり方がまずかったのか、運搬の仕方がまずかったのか、キャベツに傷が付きすぎて買い取り拒否。その日のうちに全て返却されて戻ってきた。その戻ってきたトン単位のキャベツを全て彼の所有する土地に穴を掘り、埋めるという地獄がスタートした。結局夜遅くまで残業して重いキャベツを埋め続けたのだが、一体この日の過酷な作業は何だったのだろうか。

従業員の人々

従業員はホームレスとの境界線のような人が多数いて、この仕事はハローワークにも求人掲載しているらしいが、人の入れ替わりが激しい。例えば毎朝4時くらいに社長宅を訪ねて、断られながらも勝手に現場に登場し、「うっひゃ〜」とか言いながら収穫機に振り落とされそうになっている男の人がいたが、彼は今どうしているのだろうか。ある従業員は指が欠けており、話を聞くと以前働いていた工場の事故の熱で溶けたと言っていた。他の従業員の中にはアメリカから来た人がいて、最後の方に英語で話しかけて友達になった。彼は数年ここで働いており、映画監督になりたいらしいが、話を聞いてもこの仕事と映画監督がどう関わってくるのかいまいちヴィジョンが見えない。彼の数十キロの段ボールを幾つも同時に抱えて平然としている力はさすがに日本人にはないものだったが、彼の映画監督の夢は叶ったのだろうか。

他にも社長の家の隣に一緒に泊まっていた従業員の人は、結構優秀だったがそれ故に社長にこき使われていた。ただ彼はギャンブラーなので給料が入ると直ぐパチンコに向かっていく。給料が入った後に彼のお金で遊ぼうというので一緒にパチンコに行って遊んでみた。その時は大当たり連発で勝ちまくったのだが、それでも楽しさが全く分からない。その後彼が奢ってくれるというので焼き肉に行ったのだが、正直その金を節約してこの環境から脱出した方が良いのではないかと思った。最後に「良い情報教えるから家の番号を教えて」と言ってきたので教えたが、未だに向こうから電話がかかってくる様子はない。

他にもボラバイト経由で来た年下の男の人が1人いたのだが、その人は結構独り言が凄くて、特にトイレに入ると1人で何かをずっと大声で喋っている。彼は借金返済のために数ヶ月は働くという話だったが、結局数日で俺より早く辞めていった。他にも元専門学校の講師がいたりして、「モバイルwifiルーター」が繋がらないという話をした時に勝ち誇った顔で「甘ぇよ」と言われたことを覚えている。ボラバイトという立場は「帰る場所」がある、「必ずしもこの仕事をする必要がない」という点で他の従業員とは違うらしく、他の人からはその境遇を羨ましがられ、妬まれ、でもさっさとこんな場所からは脱出する方が良いと助言を受けたりした。社長と社長夫人には何故かかなり気に入られていて、優遇されたり、夜に家に来て飲み会になったりしていたが、大半の従業員は社長を嫌っていた。ちなみに社長は親戚の仕事を継ぎ、社長夫人は留学した後にここの農家に嫁ぐことになったらしい。結局当初宣言した期間通り働いてから帰還したのだが、「こっちはインテリで農家やってるんだ。どこにも行く場所がなかったらまた来な」と言われたことを覚えている。

そして「規格外」へ

以前現代美術作品で規格外野菜を使用した「規格外」という作品を展示し、今もその続編を作っているのだが、その全ての発端はこの「ボラバイト」の時の原体験にある。規格と規格外を延々と振り分け続ける作業、その境界線はどこにあるのか。それは野菜だけの話ではなく、人間社会全てを含めたメタファーであると感じるようになったからだ。そういう意味で言えば「やりがい搾取」されながらも完全に元は取っているわけだが、「ボラバイト」は普通の人生を求める人には到底お勧めできない。そもそも「ボラバイト」という言葉から溢れ出る漆黒の闇と、ボラバイト先に連絡をした時からコロコロ言うことが変わり、待ち合わせ場所と時間の約束すら明確に要領を得ない感じから、「闇金融ウシジマくん」案件なのは分かりきっていたのだが、体を張るアーティストとしてはこんなに面白い環境もない。夜に急に迎えに来たボロボロのトラック、夜気を付けないと落ちそうになる橋と川、電波の通じない宿、床に落ちているテーブル雑巾、蜘蛛の巣の張った冷蔵庫に入っている卵、水分多めのスープカレー、毎朝作る自作のおにぎり、読解力を試される書き置きのメッセージ、社長の家に繋がれた子山羊の目などは未だに鮮明な記憶として思い出せる。この「ボラバイト」以降どれだけブラックな労働、仕事でも「ボラバイト」の1/100程度かという尺度ができてしまったので、どんな環境でも生きていける生命力が付いた。ただ今日もこういった労働環境で働き続けている人がおり、その人たちの多くは出口がないと信じて「終わりなき労働」を生きているということは忘れてはならない。

「ボラバイト」と「リゾートバイト」の闇: 連載記事リンク

「ボラバイト」と「リゾートバイト」の闇: 「ボラバイト編」

「ボラバイト」と「リゾートバイト」の闇: 「リゾートバイト編」

Composition #3

「Composition #3」

「Composition #3」は昔大学の授業の課題で作った、環境音を主体として作曲した曲。何故このタイミングで公開する気になったのかは自分でも良く分からないが、今現在の自分の心情に近いものがこの曲にはあるのかもしれない。ブログの内容については制作1/2、批評とその他1/2、もしくは制作1/3、批評1/3、その他1/3くらいの割合にしたいと以前から思っている。ただ現状そうなっていないので、もう少し制作について過程も含めて発表していった方が良いだろうというバランス感覚がある。

環境音の構成

音を聴いてもらえれば分かるように、この曲は録音した様々な環境音を組み合わせて、大別して三つのシーンになるようなイメージで作曲している。環境音に関しては例えば心音、鐘の音、トイレの音、エレベーターの音、階段の足音、呼吸音などの環境音を、エフェクトを使用して音を変えて組み合わせている。また冒頭のチベット密教のような声、途中のピアノの音、最後の打楽器のような音は自分でアドリブで発声、弾く、叩いて録音したものを使用している。この曲はアメリカで作曲した曲になるのだけれど、今振り返って聴いてみるとある種の倦怠感と切なさがあり、個人的には白黒の8ミリ映画のような質感を感じる。

新しいプラットフォームへ

こういう過去に作ったけれど、どこにも発表していない曲がかなり溜まってきていて、以前だったら曲を「SoundCloud」にもアップしたりもしていたのだけれど、こういう作品も「Patreon」などにアップすれば良いのかなと思い始めている。一度全ての外部プラットフォームから作品を引き揚げたのは、自分のプラットフォームを持つことの重要性を感じたからなのだけれど、拡散という意味においては既に知名度のあるプラットフォームを利用した方が早く浸透する。段階としては自分のプラットフォームでの情報整理がまだ済んでいないので、それが終わり次第外部のプラットフォームにも進出していくというイメージを描いていて、それに関しては9月中に何かしらの動きがあると思うので、楽しみに待っていてください。

時事ネタ3連発: Wantedlyによる「DMCA」悪用/Googleによるネットワークの大規模障害/北朝鮮のミサイル発射

時事ネタ3連発

今回は3つの時事ネタについての記事。まず24日辺りに起きたWantedlyによるDMCA悪用、次に25日に起きたGoogleによる経路情報の誤設定によるネットワークの大規模障害、最後に29日午前6時頃に起きた北朝鮮のミサイル発射について。Wantedlyは以前サイトを見たことがあり、ネットワークの大規模障害ではメールが送れなくなるという影響を受け、北朝鮮のミサイルが発射された時は完全に寝ていた。これらは完全に独立した無関係なニュースなので、それぞれについて簡潔に整理してまとめてみたい。

Wantedlyによる「DMCA」悪用
Wantedlyとは

まずWantedlyについて。WantedlyとはビジネスのためのSNSであり、これだけを聞くとLinkedInとの類似サービスと思うかもしれない。しかしWantedlyはあくまで共感やヴィジョンをベースとしたマッチング、求人サイトであり、スキルや経験をベースとしているLinkedInとは毛色が異なる。Wantedlyで特徴的なのは募集要項に給料、福利厚生などの条件を書いてはいけない点であり、いきなり面接をするのではなく、まず会って話を聞きに行くということが可能だ。サービスとしては面白そうなWantedlyだが、東証マザーズに上場し、IPOするということで注目が集まっていた。YouTuberプロダクションであるUUUMも最近IPOで盛り上がっているが、それと全く同じ状態になる。ちなみにIPO (Initial Public Offering) とは、未上場会社の株式を新規公開して売買可能にすることを指す。

「DMCA」悪用とは

WantedlyのIPOはダウンラウンドIPOという手法であり、資金調達の目的にも賛否両論あるが、ここではそれらは本題ではないので割愛する。問題はそれらの問題提起をしたブログが「DMCA (デジタルミレニアム著作権法)」を悪用した形でGoogleの検索結果から削除され、Twitterでは非表示にされたことだ。実際にはそのブログの1点の写真を著作権侵害として申請し、認定されたことになる。しかし同様の写真を使用していた他のブログでは削除依頼がされていなかったため、記事の内容が「不都合な真実」であったためにWantedlyが「DMCA」を悪用したのではないかという憶測が流れた。現実にこの方法を悪用すれば「不都合な真実」を含んだウェブサイトの著作権侵害の揚げ足を取り、言論封殺をすることも可能なため、各方面に波紋を広げている。また今回の事件を受けて「WantedlyにWanted」、「ココロオドラない」という謎の迷言も生まれている。

Googleによるネットワークの大規模障害
経済的損失の計算不可能性

次にGoogleによるネットワークの大規模障害について。これは最初はプロバイダーか何かが問題を起こしたのかと思っていたが、後にGoogleのAS15169の経路情報の誤設定による世界規模の障害だったことが分かった。人為的ミスかどうかは不明であり、8分以内に問題は解決した。ただし日本国内でも多数の人が影響を受けたため、経済的損失は人身事故で電車が止まる程度では済まないだろう。ただこれによって生じた経済的損失を定量的に測定するのは不可能に近く、Googleの責任だとして「誰に」、「幾ら」支払うかの算出は無理だ。とすると、この件に関してはGoogleのてへぺろ謝罪で終わる可能性がある。仮にそうだとしたらここで新たな教訓が誕生することになる。やらかすなら誰も責任が取れない地球規模でやらかせ。

「サマーウォーズ」な現実

また別の観点から言えばこれは正しく中央集権の弊害であり、こういう事件が起こる度に「サマーウォーズ」を思い出す。中央集権による上部構造が何かしらの不具合を起こした場合、下部構造は全てその影響を受けるので被害が甚大になる。現代社会は情報空間が上部構造であり、物理空間の下部構造を支配している形になるので、その上部構造が崩れた場合、物理空間に大きな影響を及ぼす。これらの中央集権のネットワークと、ブロックチェーン的な非中央集権のP2Pネットワークはどちらが優れているという話ではなく、双方にメリットとデメリットがある。よって完全にどちらかに統一されるということはなく、それらが混合して使用されていく現実は続くだろう。ということは我々はこれからもまた「サマーウォーズ」な現実と向き合っていく必要がある。

北朝鮮のミサイル発射
挑発パフォーマンスの計画性と「Jアラート」

金正恩が最高指導者になってから、金正男の暗殺、ミサイル発射と何かと忙しい北朝鮮。ミサイル発射は基本的にはアメリカに対する挑発パフォーマンスであるが、日本の上空を通過している以上それに対して不安を抱くのは当然だろう。ただ一つ言えることは弾道ミサイルの方角、軌道、着弾点に関しては、各国の政治的な意図を含めてかなり綿密に計算されており、ただ単に暴走して無計画に撃ちまくっているわけではないということだ。「Jアラート」に関しては、必要だと思う人は設定すれば良いし、そう思わない人は設定しなければ良く、これこそ真の「自己責任」という感じがする。自分の設定でどうにかならない範囲の「Jアラート」がうるさいと言っている場合は気持ちは分からなくもないが、不特定多数に関して知らせるという意味では仕方のない部分もあるだろう。多くの人にとっては「Jアラート」が鳴ったところで、「竹槍でB29を落とせ」と同じこととも言われているが。またミサイルが発射される前日に首相が公邸に宿泊していることを野党が指摘していたが、その日程を把握すれば「Jアラート」より早くミサイル発射のタイミングが掴めるかもしれない。

情報空間における非対称性

一つ気になるのは、日本国内での内輪揉めであり、この話題については自らの生死が頭の片隅に入っているので、論理的というよりは、感情的になってしまうところがある。また話題にし過ぎるのも北朝鮮にとっては思う壺でもあり、悩ましいところだ。今回の件に関しては首相や有名人を責めるよりは、北朝鮮に対して普通に非難するべきだろう。そもそも北朝鮮のミサイル発射に関しては挑発パフォーマンスであり、本気で対応するなら日本がサイバー的な攻撃能力を持って対応するしかない。何故かというと情報空間においては攻撃側と防御側には圧倒的な非対称性があり、専守防衛の考え方では確実に勝てないからだ。迎撃ミサイルの話も出ているが、それよりも北朝鮮のサーバーを落とした方が早くて確実だ。

例のコピペ

最後に例のコピペを掲載しておく。今現在Lv7〜Lv8程度まできている感じがするが、温厚な人間を怒らせた時の恐怖を金正恩は知っているのだろうか?

—— (仏のニッポン) ——
Lv1 推移を見守りたい
Lv2 対応を見守りたい
Lv3 反応を見守りたい
—— (意思表示するニッポンの壁) ——
Lv4 懸念を表明する
Lv5 強い懸念を表明する
—— (怒りを示すニッポンの壁)——
Lv6 遺憾の意を示す
Lv7 強い遺憾の意を示す
——(キレ気味のニッポンの壁)——
Lv8 真に遺憾である
——(キレちまったよ・・・)——
Lv9 甚だ遺憾である
——(大日本帝國)——
Lv10 朕茲ニ戦ヲ宣ス

「iPhone SE」と「Oakley Crosslink」

スマホと眼鏡の必要性

微妙に時系列はずれるが「iPhone SE」が届き、「Oakley Crosslink」が修理されて戻ってきた。ぶっちゃけスマホがなくても、眼鏡がなくても生活に支障がなかったので、むしろこれらがなかった1〜2週間程度で彼らの存在意義そのものが問われていたのだが、あったらあったで使ってしまう感じがどことなくSNSに似たものを感じる。スマホがなくて不便だったのはGoogle Mapsで場所が調べられなかったり、路線情報がリアルタイムで分からなかったこと。眼鏡がなくて不便だったことはコンタクトレンズの使用量が増えたことと、コンタクトレンズを外した後の作業。こうして不便だった点を挙げてみると、どれもクリティカルな要素ではない。

「iPhone SE」について

何故「iPhone SE」を選択したのかは「iPhone 5」から「iPhone SE」へという記事を参照してもらうとして、使用感なども良く分からないのでまだちゃんとしたレビューはできない。とりあえず「SIMカード」を入れ替え、「言語」、「国」、「Wi-Fiネットワーク」、「位置情報サービス」、「Touch ID」、「パスコード」の設定を済ませ、「iTunesバックアップ」からデータを復元。「iCloud」に関してはApple IDの「Verification Code」が届かなかったので、「System Preferences」>「iCloud」 >「Account Details」>「Security」>「Get Verification Code」で確認した。最後に「Siri」と「情報共有」の設定を終え、晴れて初期設定完了。最初に掲載した写真のように、「iPhone SE」は「iPhone SEレザーケース – (PRODUCT)RED」に入れて使用する予定。

「Oakley Crosslink」について

これも「眼鏡、死す」という記事を読んでもらえれば、事の顛末が分かる。「Oakley Crosslink」は壊れていない方のテンプルも付け替えられて戻ってきた。レンズなども綺麗に磨かれていて完全復活。ただテンプルとイヤーソケットも近い将来なくなりそうなので、今のうちに買い占めておいた方が良いのかもしれない。この眼鏡は結構軽いので、余り付けている感じがしないのも利点。基本的に眼鏡もサングラスもOakleyのデザインが好きなので買い換える予定は今のところない。

眼鏡と「大周天」

個人的には眼鏡と言えば「大周天」。昔から眼鏡の付け心地というか、鼻パッドの部分が本当に嫌いで、その部分が骨に当たっていることを意識し始めると眼鏡をかけることができなくなる。それを克服する方法として、意識の中で瞑想の一環として鼻パッドの違和感の部分を上下にずらしてみた。するととても気持ちが良い。勢い余ってそのエネルギーをぐるぐる身体の周囲にぶん回していたらいつの間にか「大周天」を習得していた。今では目を閉じて1秒でドーパミンを放出して気持ち良くなることもできるし、エネルギーを宇宙の彼方まで吹っ飛ばして隕石の落下のように落としてくることもできるが、話がずれるのでこの辺にしておく。しかし当時ハーバードの大学院に通っていた人にこういう話をしていたら辞めてチャクラを開くようになったらしいが、今頃彼は何をしているのだろうか。ちなみにスーツにネクタイも苦手で、意識しただけで首回りがくすぐったくなってくる。それに対する対抗策は今のところない。

好きな色について

「iPhone SE」と「Oakley Crosslink」の写真を見た方は気付いたかもしれないが、個人的には色に関しては「赤」と「黒」が組み合わさったものが好き。子どもの頃は好きな色は何かと尋ねられたら「青」と即答する子どもだったのだけれど、何か心境の変化があったのだろうか。好きな理由を言語化するのは中々難しくて、色に関しては好きだから好きという感じである。実は未だに「青」も好きだけど。こういう好きな色の組み合わせに関しては、オーラソーマでスピリチュアリズム的な何かの診断をされそうだ。先程は「エネルギーを宇宙の彼方まで吹っ飛ばして隕石の落下のように落としてくる」とか言ったが、あくまでもこれは瞑想空間、つまり脳内の情報空間の話であってスピリチュアリズム的な何かとは全く関係がない。トイレで小便をする時に肉体から液体を放出しているイメージをすると身体も反応して直ぐ出るよねくらいの話なので、悪しからず。

追記: iPhone SEは室内でWi-Fiばかり使用していて気付かなかったのだけれど、外出中に4Gが使用できないことに気付いた。原因は単純で「SIMカード」を入れ替えた後に、APN設定を行っていなかったから。自身の環境では「OCN モバイル ONE アプリ」から「APN構成プロファイル」をインストールできるので、それを実行したらすぐに繋がるようになった。

秘境駅の世界

「秘境駅」とは

『秘境駅』『秘境駅II』『秘境駅III』を読了した、というか眺めた。基本的に本書は写真集なので、一つの駅を2〜6ページ程度の写真と短文で紹介していく内容になっている。「秘境駅」とは何かを本書から引用すると「徒歩ではたどり着けない駅」のことらしい。要するに『マツコの知らない世界』で紹介されるような、マニア向けの内容を本で紹介しているということだ。

「秘境駅」の特徴

まず「秘境駅」には人がいない。この特徴は「人類に対するアンチテーゼとしての廃墟」という記事で紹介した「廃墟」とも親和性が高い。というより多くの「秘境駅」は「無人駅」でほとんど活用されていない、人家がほぼ周囲にないなどの特徴があるため、半分程度「廃墟」そのものであるとも言える。「夏草や兵どもが夢の跡」、「諸行無常」という言葉がぴったりな場所も多く、過去の賑わいと夢がそのまま形として残されているような「秘境駅」もある。場所によっては危険性が高い、電波が通じない、ダイヤの関係で帰れなくなるなどの可能性が高いため、事前準備は必須になる。

「VR秘境駅」

個人的には青春18きっぷなどで延々と電車に乗って知らない駅に降りたり、駅弁を食べるのは結構好き。理由としては恐らく普段生きている日常の世界が、当たり前ではないと当たり前に気付くことができるから。「秘境駅」を巡るというのは「有限の遊び」のヒエラルキーと「無限の遊び」のレイヤーという記事で書いた「無限の遊び」の一種だが、写真の面白さもこういう遊びを紹介できるところにもあるんだろう。驚いたのは『秘境駅』『秘境駅II』の出版間隔が4ヶ月程度しか空いていないこと。『秘境駅III』はそこから9ヶ月程度で出版されているが、このシリーズはかなりのハイペースで出版されていたことが分かる。2009年以降はこのシリーズは出版されていないが、『秘境駅Ⅳ』の出版はないのだろうか。『日経トレンディ』の「2017年ヒット予測ベスト30」では、「ネオ秘境駅巡礼」という言葉が25位にランクインしている。その流れで「VR秘境駅」みたいなコンテンツがあればカジュアルに一般層も楽しめそうな気がするのだが。

秘境駅
秘境駅
著者: 牛山隆信栗原景

秘境駅II
秘境駅II
著者: 牛山隆信栗原景

秘境駅III
秘境駅III
著者: 牛山隆信栗原景

評価軸を乱立させること: N次オルタナティブの可能性

話題のまとめ

今日は濱中さんのリトグラフ工房、ダイナミックサイクルに行ってきた。金沢からアーティストの本多奈緒さんが横浜トリエンナーレを観に来ていたので、ダイナミックサイクルで合流。初対面ながら3人で飲みながら色々話すことができた。話題が色々ありすぎて全ては書ききれないので、幾つか話題を抜粋し、それに関する個人的な視点を含めてまとめてみる。

AIと人間の仕事の代替可能性

簡単に言えば現在AIで代替可能だが、代替されていない仕事の多くは人間を使用した方がコストが低いから。個人的にはブルーカラー、ホワイトカラー含めて大半の仕事は代替可能で、将来的にはクリエイティブ・クラスしか残らないと思っている。クリエイティブ・クラスすら淘汰されたら、いかに暇を潰すか、面白く遊ぶかだけを考えて生きていけば良い。ただし現状のAIはDeep Learningを含めて汎用AIにはほど遠く、人間をコンピュータとして見た場合、その身体、バイオの部分や、「あれ」という抽象的な文脈を含めないと意味を持たない言葉を理解できるという意味では圧倒的に優秀なので、相互補完的に仕事を行っていくという現実がある程度続くだろう。またソフトウェアは発展しているが、ハードウェアの発展がボトルネックになっている部分があり、第3次人工知能ブームにおいて何が可能か、何が不可能かを含めて一般層まで余り伝わっていない。

ベーシックインカムに関して

ベーシックインカムを導入すべきか否かは知識人の間でも評価が割れている。Elon Muskは肯定派、ひろゆきは否定派から肯定派に変更、苫米地英人は否定派。この知識人の間でも評価が割れている感じがシンギュラリティと同じで面白い。シンギュラリティの派閥については「人工知能学会 倫理指針」についてという記事の中でも言及しているのでそちらを参照してほしい。

ベーシックインカムの財源

良く勘違いされがちだが、ベーシックインカムの財源は確保しようと思えば簡単に確保できる。小飼弾の言うように相続税100%にすれば月に5〜7万円程度のベーシックインカムは実現可能だ。そもそもベーシックインカムという考え方は社会主義、共産主義的なのだが、生きているうちは資本主義、死んでから社会主義、共産主義なら誰も困らないという話。富裕層からの反発に関しても死後に財産を取り上げるので特に問題ないし、子どもに財産を残したいという親ばかに関しては可愛い子には旅をさせよ、もしくは自分以外の人間も自分の子どもとして死んでいけと説得する。

メンバーシップの問題

ベーシックインカムの問題としてはメンバーシップの問題が考えられる。通常ベーシックインカムは国民から財源を確保し、国民に配布されるものなので、誰が国民なのかというメンバーシップの問題が考えられ、そこにはカール・シュミットの言う友敵理論が発動する。それは移民や在日の問題なども含めて、ある種のセンシティブな問題が絡んでいる。国家という枠組み自体が21世紀にどうなるのかというのは最大の注目ポイントの一つであるが、国家というシステムが将来的に存続するにしろ、しないにしろ、ベーシックインカムという制度が成り立つためにはその対象となるメンバーを決めなければならなず、このメンバーシップの問題は必ず誰が友で誰が敵かという線引きの問題を含むので難しい問題だ。

累進性と逆進性

そもそものベーシックインカムの財源など、特別会計から流し込めば一発で解決する問題なのだが、その問題に深く切り込むと「突然の死」が訪れる。また「税の公平性」の問題には累進性と逆進性があり、金額に応じて税率が変われば累進性がある、金額に関わらず一定の税率であれば逆進性があると言われる。簡単に言えば所得税には累進性があり、消費税には逆進性があるということだ。累進性と逆進性のどちらが「不公平」であるかは議論の余地があるところだが、仮に累進性が「税の不公平」を促進していると考えるならば、ベーシックインカムは累進性を持つので不公正と言える。何故なら支給額は所得に関わらず一定であり、公平か不公平かは金額ではなく割合の問題なので、所得が多い人間ほど不公平さが増すと言えるからだ。

日本の特殊性

またベーシックインカムに関してはメリット、デメリット云々の話の前に、日本は「働かざる者食うべからず」という間違った思い込みと、世界でも特殊で歪んだ「自己責任論」が合わさった国であることを認識する必要がある。つまり女の敵は女であるのと同程度に庶民の敵は庶民であり、弱者の敵は弱者である。「庶民は奪い合う」 by 三浦瑠璃という言葉があるが、「弱者は奪い合う」ということだ。その国において「働かざるもの飢えるべからず」であるベーシックインカムを導入するのは感情的に難しい気がする。いずれ導入されるとしても時期はかなり遅れるだろう。それは「生活保護」の受給を凄い勢いで攻撃している勢力を見れば明らかであり、本来はそのルサンチマンは別の方向に向けるべきなのだが、弱者こそが弱者を攻撃する。何故なら彼らの世界観ではパイは限られており、全てはゼロサムゲームであるからだ。

「メディアアート」の現状

落合陽一、ライゾマティクス、チームラボなどを代表とする「メディアアート」の勃興が激しいが、今現在の「メディアアート」は「デザイン」、「パブリックアート」、「トリックアート」になっている。Sputniko!は「メディアアート」というよりは「バイオアート」であり、「スペキュラティヴ・デザイン」なので多少ずれるが、問題系としては類似している。一つはブランディングの問題で、「デザイン」が「アート」と呼ばれる問題。例えば以前Sputniko!のトークで自分の作品を販売する場合、同一の作品であっても購入する側がデザインを求めていればデザイン、アートを求めていればアートとして販売すると言っていた。これは正しくブランディングをしているということだが、「デザイン」と「アート」は正反対のものなので、そこが混同されてしまう弊害はある。

「パブリックアート」について言えば、「チームラボアイランド 学ぶ!未来の遊園地」などは「パブリックアート」をインタラクティブに展開したものと理解できる。また、「メディアアート」が「トリックアート」に類似しているという指摘は黒瀬陽平のものであるが、例えば以前無限反復の圧力としての「わが永遠の魂」とゲームの基盤としての「ミュシャ展」という記事で言及した、チームラボの「Crystal Universe」は草間彌生の「生命の輝きに満ちて」という作品からその「トリック」の部分だけを抜き出し、感動的な演出を「デザイン」的に施したものと見ることもできる。その余計な演出と「デザイン」の要素は排除した方が「アート」的には洗練されると思うのだが、彼ら「メディアアート」のトップランナーの中にはコンセプト、文脈を無視、もしくは軽視する発言をする人もいるので、そこは難しいのかもしれない。

シリコンバレーから中国へ

シリコンバレーは時代遅れであり、中国が主流になる。シリコンバレーの人間はこぞって中国語を習っているという話。アメリカがトランプによって一流国家から転落した後、世界はますます局地的な流れになっているが、中国は金もあるしエリート教育が洗練されているのでトップ層が強い。ただ仮にシリコンバレーの人間が今更中国語を習っているのだとしたら、目的が良く分からない。何故かというと言語の問題はテクノロジーでかなり早い段階で解決するからだ。例えば会議で全ての人間が違う母国語で話したものを、同時通訳して遅延なく伝えられるレベルにはなるだろう。中国語をビジネスで使いこなすために習得しているのだとしても、学習コストが高すぎる。

中国と言えばビットコインとビットコインキャッシュ。彼らは安い電気代と高い技術力を駆使して、一大マイナー勢力として君臨しており、ビットコインキャッシュの分裂騒動は中国のマイナー勢力が主要な原因であったことは明らかだろう。ビットコインとビットコインキャッシュについては継続性と中央集権の問題があり、継続性については伊藤穰一の言うように開発者コミュニティが私財を投じて開発している状況が改善しない限りは、継続性がどこまで担保されるかは分からない。また今以上に電気代と技術力の問題で中国のマイナー勢力が拡大していった場合、「51%攻撃」によって改竄の問題が起こらないとも限らない。いずれにせよ中国がこれから勢力を拡大してくることは自明であり、その際にリミテッドを信用しないといった中国特有の文化がグローバルにどれだけ影響力を持ってくるかは注目すべきポイント。

フェミニズムの問題

上野千鶴子の言う「おひとりさまの老後」のようなフェミニズムは独身のお金持ちしか救えない。彼女自身が独身であり、東大の教授という日本で言えば庶民とは言えない立場にあるので、それ以外の立場に対する想像力を欠いてしまっている。成功したアーティストには独身が多く、特に子育てしながら活躍する女性アーティスト少ない。アートは多様性が重要であり、日々の生活は創作活動に大きな影響を及ぼす。「女性が輝く社会」とは現状、小池百合子に代表されるように男性化した女性が活躍する社会であり、それに対する立場で活躍する女性はアート界に限らずもっと増えて良い。

マイクロペイメントの可能性

キャッシュやクレジットカードは衰退し、仮想通貨を含んだキャッシュレスな社会になる。マイクロペイメントは日常化し、個人が個人から資金を集める社会になる。先程も言ったようにビットコイン、ビットコインキャッシュなどは継続性、中央集権の問題に疑問があるわけだが、仮想通貨全体で見れば様々な問題を孕みながらも普及していくだろう。実際に投機の手段ではなく、決済の手段としてみれば仮想通貨はキャッシュレスであり、手数料と決済速度から考えても有用な手段だ。また、それとは別にマイクロペイメントの流れも普及しつつあり、これには可能性を感じる。簡単に言えば1人から1円ずつ集めても1億人から集めれば1億円になるという話だ。これは手数料が大きい場合は現実的ではないが、最近では技術的な問題や手数料の問題も解決されつつあり、コンテンツ提供者にとってはマイクロペイメントなどを使用した継続的な支援というのが一般化していく。

知性の無駄遣い

話の中で知性の無駄遣いという話があって、無駄だから止めろという話だったのだが、個人的には無駄遣いの中にこそ知性が宿るのだと思う。何故かというと誰かにとって「無駄」と思えることはその人間の思考のパラダイムを超えている可能性があるということであって、単に新しさや価値を認識できないが故に「無駄」と捉えてしまっている可能性が高いからだ。大体イノベーションを起こすものは最初は周囲が「無駄」と思えるようなことから始まっており、多くの人々に最初から良いと言われてしまうことは既存の価値観の軸の上で良いということなので、余り新しい価値観を提供できていないということになる。そういう意味では知性を発揮するためにこそ、「無駄」と思えるようなことをやり続けた方が良い。

N次オルタナティブ

話題のまとめのまとめとして、話の中ではキーワードとして「評価軸を乱立させること」という言葉が出た。これは先程の知性の無駄遣いにも通じる話で、オルタナティブをどう作るかという話だ。今個人的に思っていることは、既存の評価軸に対抗してオルタナティブをやるだけでは足りないということ。何故かというとそれは結局権力依存の関係になってしまい、ミイラ取りがミイラになるのは時間の問題だからだ。例えばそれはメジャーに対するマイナーとして出てきたのに、結局メジャーになったことを悩んで自殺したカート・コバーンのような末路になるだろう。最近で言えば神聖かまってちゃんも似たような立場で、彼らは生き続けた先のカート・コバーンみたいになっていくのだろうが、かつての勢いはもうない。

2次創作がN次創作になっていったように、オルタナティブを2次創作の位置に位置づけるならば、オルタナティブもN次オルタナティブになる必要がある。N次創作については「AIの作品制作、キャラ化、メンバー化の重要性について」という記事でも触れているが、N次オルタナティブは造語であり、自作の新しい概念である。要するに二項対立でもなく、二項対立を往復するだけでもなく、絶え間なく動き続け、多様な視点から評価軸を乱立させることで、オルタナティブが乱立していくということ。非中央集権と言っているシステムが目指すべきはここであり、N次オルタナティブを作るためにはどのような場が必要かということをコンテンツ提供側も考えて実行する必要がある。

紹介してもらった場

話の中で幾つか紹介してもらった面白そうな場があるのでメモ。

TAV GALLERY

「アーティストではなくフリーランスで活動するキュレーターが所属するギャラリーです。」とウェブサイトに書いてあるので、要するにインディペンデントキュレーターが集まったギャラリーらしい。今度見学がてら個展の企画を持ち込んでみたい。

「TAV GALLERY」

Patreon

EntyやCAMPFIREのファンクラブ方式 (定額課金制) などは知っていたけれど、Patreonはどちらかと言えば海外の人を対象にした「パトロン」サービスで、定額支援が可能なサービスになっている。現状日本人が余りいないので、穴場かもしれない。

「Patreon」

最後に

今回のブログでは主に話題のまとめをしたけれど、実際は3人で酒を飲んでつまみを食べながら喋っていただけ。そういった動画、もしくはラジオを配信をしたいとも思っていて、そのためのプラットフォームはどこが良いのか探している。無難にTwitCastingかなぁなどと思いつつ、近いうちにラジオは配信する予定。良く文章の印象と話す印象が全然違うと言われるのだけれど、そういった違う面も出していきたい。個人的には個人が複数に分裂しているというのがコンセプトの一つで、全く相容れない、真逆と思われている要素が複数のレイヤーを持った上で共存しているというのが理想なのだけれど、中々理解され辛い。

そういえばキャバ嬢の話は中々凄い話だった。あるキャバ嬢が運転が得意だという彼氏の車に乗ったのだけれど、事故を起こして彼氏は枝に突き刺さって死んだ。キャバ嬢はそれにブチ切れして、「ふざけるな、馬鹿!」と言って車を降りて帰り、その日もちゃんと店に出てきて、化粧で傷を隠し、普通に働いていたという話。色々ツッコミどころがありすぎて追いつかないけど、キャバ嬢は生命力が高いんだなと。生命力は大事で、アーティストも筋トレが大事だと思っているので、キャバ嬢の評価が上がった。

他にも個人的には荒川修作が好きで、『哲学、脳を揺さぶる: オートポイエーシスの練習問題』などにも出てきた、「養老天命反転地」などの話もあり、話題は尽きない。来年以降は海外を主な拠点にして動こうかと思っていたけれど、3年後のトリエンナーレなども含めて日本でやり残したことがないとも言えない。金沢は青春18きっぷの始発、終電で日帰りで一度行ったけれど、確かにもう一度じっくり見てみたい場所ではあった。今は場と人に対してどんどん接触していく、動き続けることがテーマなので、その辺はやりながら考えていけば良さそう。

今夜は非常に刺激的な話と出会いがあり、制作意欲も湧いてくる夜になった。オルタナティブは定義上小さくしか始まらず、ダイナミックサイクルはとりあえず面白い場なので、「濱中祭」やトークイベントなどリトグラフに限らないイベントもやればいいんじゃないかなぁ。ダイナミックサイクルに興味のある方、何か面白いことをやりたい方は濱中さんに繋ぎますので「Contact」から連絡してもらえればと思います。

哲学、脳を揺さぶる: オートポイエーシスの練習問題
哲学、脳を揺さぶる: オートポイエーシスの練習問題
著者: 河本英夫

「有限の遊び」のヒエラルキーと「無限の遊び」のレイヤー

肉体労働 = 筋トレ

先週と今週は4日連続で肉体労働、つまり筋トレをしてきた。肉体労働は筋トレをしながらお金がもらえるという謎のお得感があるのだが、超回復を考慮に入れ忘れ、4日連続でシフトを入れてしまったのは完全にミスだった。ベテランのボディビルダーたちでも無理して3日連続が限界、というか通常連続でシフトを入れるべきではないらしい。しかし「ボラバイト」、「リゾートバイト」など現代の蟹工船における深淵を覗いてきた身からすれば、まぁ日常の生活の範囲内というところだろう。少なくとも今回は文明社会が存在していた。

簡単なお仕事

先週は「冷凍マグロになるのを避けながら、封印の呪符を貼っていくだけの簡単なお仕事」で、今週は「戦車に轢かれるのを避けながら、人の脳を麻痺させる液体を掻き集める簡単なお仕事」だった。先週は午前9時〜午後6時までの実働8時間で、休憩時間の合計が1時間。今週は午前8時〜午後10時までの実働14時間で、休憩時間の合計が1時間。今週は先週より現場が家から遠く、拘束時間が長いという事情もあり、朝5時起床、夜1時就寝で合計4時間睡眠を4日連続で繰り返したことになる。睡眠時間的に言えばあり得なくもないが、内容が筋トレであることを考えると中々凄まじいスケジュールであることが分かる。

「有限の遊び」と「無限の遊び」

「有限の遊び」と「無限の遊び」とは

さてここで本題の「有限の遊び」と「無限の遊び」について説明する。この概念は元銀行強盗で5年間刑務所に服役していたアウトロー系哲学者、ベルナール・スティグレールの講演タイトルになっていたものである。ここでこれらの概念を個人的かつ簡潔に整理してみる。簡単に言えば「有限の遊び」はヒエラルキーに対応し、「無限の遊び」はレイヤーに対応する。「有限の遊び」は結果に拘り、「無限の遊び」は過程を楽しむ。要するに「有限の遊び」は競争を基盤としたランキングシステムや勝ち負けに収束するが、「無限の遊び」には際限がなく、そのゾーンに入っている人間は幸福であり続ける。これは「ヒエラルキー」を超克するための多次元の「レイヤー」という話と関連が深い。

「有限の遊び」と「無限の遊び」の実例

これだけでは分かりにくいかもしれないので、「有限の遊び」と「無限の遊び」に関する一番簡単な実例を挙げてみる。以前ニコニコ生放送で「安倍離れ?内閣改造について言いたい事を言う生放送 《東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗》」という番組が放送されていた。その中でワイン通で知られる夏野剛がお薦めのワイン「Extro’ Kante」を出してきた後、津田大介がエビデンス厨となり、楽天で全く同一の商品を見つけ、4000円程度で販売されていることを発見する。

ここで何が起こっているかと言えば、要するに「Extro’ Kante」が価格というヒエラルキーの中に取り込まれ、そこでの高低がクオリティに直結するという「有限の遊び」の視点で見たときに、夏野剛のワインに対する鑑定眼に疑問が付けられているということだ。一方で夏野剛を擁護するのであれば、彼はそういったヒエラルキーを超えた「無限の遊び」を楽しんでおり、「有限の遊び」のヒエラルキーとは違うレイヤーで独自の価値観を見出だして遊んでいるとも考えられる。他の例を挙げれば資本主義や学歴は基本的に「有限の遊び」だが、アートや哲学は基本的に「無限の遊び」である。ちなみに夏野剛は過去にワインの詐欺にも遭っており、彼の鑑定眼が正しいかどうかも検証不可能なので置いておくとして、「有限の遊び」と「無限の遊び」の違いを実例を通して説明すると上記のようになる。

「有限の遊び」と「無限の遊び」の絶え間ない往復

最後にこの「有限の遊び」と「無限の遊び」が先程の筋トレ、簡単なお仕事とどう関連があるのかを説明する。要するに「有限の遊び」の視点で見たら完全にブラックバイトに近い労働であっても、「無限の遊び」の視点で見れば楽しむことは可能ということだ。実際に労働者には多様性があり、マイルドヤンキー、ギャンブラー、闇の住人、就活生、工場系労働者、ギャル男、写真家、俳優などがいて面白かった。ナイトプールの話やギャンブルの話は普段聞くことがなかった話だったので新鮮だった。

アメリカに留学していた時などは資産が何十億円あるような中国系の金持ちの人たちと生活したり、芸能人やら天才やら王族やら様々なレイヤーが入り乱れる世界を見てきたのだけれど、そういった華やかな世界とこういった無限に広がる闇の世界を往復することは確実に自分のアートを形作る上での基盤になっている。「有限の遊び」はレッドオーシャンであり、それはそれでゲーム性があって面白いし、「無限の遊び」はブルーオーシャンであり、そこには無限の可能性がある。エリートは「有限の遊び」に偏る傾向があり、アーティストは「無限の遊び」に偏る傾向があるのだけれど、それらを絶え間なく往復していくことが一番面白いゲームなのかもしれない。

眼鏡、死す

物が壊れていく時期

ブログではまだ報告していなかったと思うが、先週眼鏡が壊れた。ブログの時系列的には逆なのだけれど、眼鏡も壊れたし、「iPhone 5」も壊れたということで、今月は色々壊れていくんだろう。物の場合は一度購入して使うとほとんどの場合は壊れるまで変えない癖があるので、色々な物の寿命がきているのかもしれない。「iPad 2」は一度画面が破損したけど、修理して未だに現役で使用しているし、「Kindle Paperwhite (1st generation)」も未だに現役で活用している。こういう物との付き合い方は人間関係にも表れている気がしていて、一度継続的に付き合うことを決めた人とは長く続くことが多い。その一方で物も人間関係も心機一転、リセットする時は全てを大胆に変える。

「Oakley Crosslink」

話を眼鏡に戻すと、外出する際は大抵コンタクトレンズを装着しているが、家では目が疲れるので大体眼鏡で過ごしている。眼鏡の種類は「Oakley Crosslink」というものを使用していて、テンプルやイヤーソックの部分を交換することができる。眼鏡の部位の名前は興味深くて、智、丁番、ヨロイ、クリングス、モダン、ブリッジ、リムなど敵の名前に使えそうなものが多い。ちなみにテニスに使用しているサングラスもOakleyのもので、コンタクトレンズは「1-DAY ACUVUE TruEye」という一日使い捨てタイプのものをまとめ買いして使用している。昔は2週間使い捨てのコンタクトレンズを洗って使用していたが、危険な連続装用の癖が付いてしまったのと、花粉症で目が痒くなり過ぎたので止めた。視力は両目ともかなり悪く (0.0?)、乱視も入っているので眼鏡やコンタクトレンズなしでは外界の景色が全く分からなくなる。

眼科の通電療法

視力に関しては子どもの頃、眼科で仮性近視と診断されてから、それを治療するために通電療法に近いものを試した記憶がある。ただ今調べてみるとやり方が違うような気がするので、本当に通電療法だったのかどうかは分からない。確かやり方は両頬の骨辺りにしめらせたスポンジのようなものを当てて、電気を流して数分待つみたいな感じだった記憶がある。これで視力が一時的に回復したような気もするし、他にも立体視や眼球運動や遠くを見ることなど効果があるとされることは一通り試したけれど、結局焼け石に水だった。視力の悪化は暗い部屋でひたすらゲームをしていたのが恐らく主な原因で、自業自得なのだけれど、もう視力が回復しないと言われた時はショックで、その時の暗い感情は未だに覚えている。自分が不良品になったような、可逆と思っていたものが永遠に不可逆であると告げられたような感じだった。

多様な選択肢

しかし、今では「レーシック (LASIK)」、「オルソケラトロジー (Orthokeratology)」、「眼内コンタクトレンズ (ICL)」など様々な手段と選択肢があるし、眼鏡と使い捨てコンタクトレンズの併用でも特に支障はない。もちろんそれぞれの選択肢にメリット、デメリットがあり、レーシックを勧める眼科医が眼鏡をしているなどの矛盾を指摘する人もいるが、それは人それぞれの判断だろう。自分としては使い捨てコンタクトレンズだけを使用していると目が疲れるし、視力が落ちるので、外出時以外には度を室内用に多少抑えた眼鏡で生活している。将来的にサイボーグ的な意味で「眼内コンタクトレンズ (ICL)」の機能が拡張されたら手術したいとも思っているが、今のところはその予定はない。

半月板損傷

ちなみに昔作曲している際に足を組み替えて骨折したことがあるのだが、未だにその左足の半月板は骨折したままである。これは軟骨なので、自己治癒能力はほとんどなく、自然に治る見込みはない。医者に通院した際は手術して一部取り除くかどうかを聞かれたが、それで膝が良くなるわけでもないらしいので、直感的に何もしなかった。元々円板状半月板という珍しい半月板で、負担がかかりやすい形だったらしい。作曲していて骨折というと意味が分からないが、過去に陸上やテニスなどで酷使してきた反動がきたのかもしれない。慢性的な腰痛の原因にもなったし、過去の過度な運動は今考えるとやり過ぎだった。ただ半月板損傷に関しては、最近はiPS細胞を利用した再生医療の一環として、半月板を再生させることも可能になってきたらしい。過去に不可逆に壊れてしまったと思っていた肉体が、こうして可逆的に治療できるようになるというのは科学と技術の恩恵であり、率直に素晴らしいことだ。

眼鏡の修理

「Oakley Crosslink」は購入した店では既にテンプルの在庫はないらしく、修理に時間がかかるらしい。未だに連絡がないので、いつまでに修理されていつまた眼鏡が使用できるかどうか分からないのだけれど、今回は足で踏み潰したのが原因なので、置き場所を変えるなどしてもう二度と壊さないように気を付けていきたい。ちなみに個人的には眼鏡のデザインはスポーツタイプが好きで、眼鏡をかけるとインテリに見えると言われるけれど、最近は丸メガネや細フレームが流行しているらしい。みんなが憧れているのはのび太かジョンレノンかどっちなのだろうか。

人類に対するアンチテーゼとしての廃墟

人類増殖

人類は増え過ぎた。実際は人類が増えてもそれを賄えるだけの食料は生産されているのだが、先進国の国民、家畜、発展途上国の国民の順番で食料が配分されているために、飢餓の問題は一向に解決しない。つまり飢餓の問題は食糧不足の問題ではなく、政治や経済の問題ということになる。また先進国や富裕層は広大な土地を所有し、人は都市部に密集して集まる傾向があるため、人口密度の過密化に伴って様々な問題が起きている。日本の満員電車や人気店の混み具合を見ればそれは一目瞭然だろう。これらは人類が増えすぎたことが問題なのではなく、政治、経済、分布の問題であるのだが、それに対して有効な対策を実行するのは難しい。何故ならそこには様々な利害関係が絡み、現状資本主義のロジックが最優先であるからだ。

密度効果

密度効果という概念がある。これはある個体群の密度が、成長、繁殖、形質、行動などの要素に一定の影響を与える効果のことを指す。例えば個体群の密度が高い場合、その個体群の成長速度が遅くなる、繁殖活動が抑制される、形質が変わる、傷つけ合う、共食いを行うなどの変化が見られる。霊長類の場合は密度効果が発生したとしても、傷つけ合う、共食いを行うなどの暴力性は見られないという研究結果があるが、将来的に食糧不足や資源不足などの問題があった場合、密度効果が発生する可能性も否定できない。『進撃の巨人』、『テラフォーマーズ』、『食糧人類』などの漫画が示唆しているのは、人類の大量殺戮であり、それは密度効果を下げるための犠牲とも考えられる。この話は完全に根拠のない憶測になるが、引きこもりの増加、出生率の低下、LGBTQの割合なども含めて実は人類の密度効果に対するバランスを取るために自然と調整しているのかもしれない。

少子高齢化の福音

この話をさらに広げるとするならば、少子高齢化の問題にも結びつく。個人的には少子高齢化は全く問題がないと考えている。まず少子高齢化が問題と言われている時、それは誰目線で問題なのかを考える必要がある。また少子化と高齢化を分けて考えることも必要だ。少子化が問題なのは支えてもらう側の高齢者であり、若者ではない。若者にとっては教育も少人数で受けられるし、仕事で満員電車に乗らなくて済むようになるかもしれないし、特に問題はない。高齢化は確かに介護の問題などがあるかもしれないが、それも含めて彼らを支える生産性はAIを使用して支えれば良いだけのことなので、子どもを増やして支える必要もないし、可能であれば高齢者がサイボーグ化して働き続ければ良い。先程の密度効果の話と少子高齢化の話を接続すると、出生率が下がっていることは、実はAIがこれから人類の代わりに増加してくることへの自然な適応なのかもしれない。

人類に対するアンチテーゼとしての廃墟

さて、今回の本題である廃墟についてだ。廃墟を見ているととにかく落ち着く。まずそこには自分以外の人類が誰もいない。これは実は宇宙的な規模で考えれば当たり前のことなのだが、普通に暮らしていると至る所に人類が存在しているので、それがあたかも珍しい光景のように思えてくる。また廃墟には死の匂いが常に漂っている。死といってもそれは暴力的な何かというよりは、時間の悠久の流れの中で、物質が砂のように溶けていく感覚だ。以前書いた「Homo sapiens (人類遺産)」における「図」と「地」の関係という記事で言えば、人類と廃墟が「図」と「地」の関係になっていたわけだが、正しく「不在なもの」が「在るもの」によって、「在るもの」が「不在なもの」によって想起される関係になっている。そのテーゼとアンチテーゼを常に思わせてくれると言う意味で、廃墟はメメントモリ的な存在であり、疑似可能世界の時間と空間における現実を見せてくるという意味で癒やしなのである。

最後にCC0/CC-PDの廃墟画像を10枚張っておくので、お楽しみください。

追記: 廃墟と言えばズジスワフ・ベクシンスキー。ポーランドにあるベクシンスキー美術館には死ぬまでには行きたい。

ブログの文字数制限: 1000字チャレンジ

1000字チャレンジ

ブログの文章は短すぎて悩む人もいるが、長すぎて悩む人もいる。今回の記事ではブログの最低文字数と言われる1000字の分量がどの程度なのかを体験してもらうため、本文の文字数は1000字丁度という制限を課して書いてみる。文字数に関してはWordの文字カウントで、文字数 (スペースを含めない) の数値を基準とし、タイトル、目次、HTMLタグはカウントしないことにする。

小説家の場合

小説家の場合は1日に4000字を継続的に書くというのが一つの目標になるらしい。これは過去に村上龍が語っていたことであり、分量的にはそれ以上書くことも可能だが、安定したクオリティで書き続けるためには自分に制限を課すことが重要ということだ。確かに4000字であれば400字詰めの原稿用紙10枚なので、プロであれば余裕を持って仕上げることが可能だろう。西尾維新は1日に2万字書くらしく、彼の作風を考慮したとしてもかなりの速筆である。

人にはそれぞれにあった創作ペースがあり、寡作の天才もいれば、多作の天才もいる。個人的なスタイルとしてはスピード重視かつ多作であるのだけれど、その理由としては量は質に転化すると信じているからであり、一瞬の閃きはそのまま出さないと消えていくし、速ければ速い程クオリティが上がるフロー状態があるからだ。それぞれの作品が独立しながらも、複数のレイヤーにおいて群になっている状態が自分としては理想の状態だ。

NILOGの場合

既に残り文字数が1/3程度なので今回の記事の締めに入る。読者のあなたが既に察している通り、NILOGの記事を1000字で済ませるのは難しい。文章が長文化するのは自分のブログなので文字数制限がないこと、書いていると次から次へとアイディアが湧いてくること、その全てを網羅しないと気が済まないことなどが原因として挙げられる。本来推奨されるブログの文字数は2000〜3000字だが、NILOGの場合はその倍以上になることが多く、1万字を超え始めると連載記事として分割することが多い。一方で制限された文字数で書くのも好きで、その場合は取捨選択の面白さがある。文字数制限がある場合は限界ギリギリまで詰めるので、その場合は言い回しを工夫するなどして調整する。NILOGは当初「 シュレディンガーのブログ」のように75字の記事などもあったのだが、結局は文字数よりも継続することの方が重要だと信じており、今もブログマラソンを走り続けている。