過去記事のピックアップ 1

過ログの盲点と「こうもり問題」についてで書いたように、後でアップしたために読まれていない記事、もしくはNILOGを途中から読み始めたために読まれていない記事がありそうなので、今回はそれぞれの月の中で読まれていないともったいないと思われる記事を自らピックアップして紹介してみる。

2017年2月: 「Emo Truth」宣言

2017年3月: 「人工知能学会 倫理指針」について

2017年4月: 次元についての話: アーキテクチャにおける秩序と無秩序

2017年5月: 全てのアーティストは通貨発行権を持っている

また2月22日〜2月27日までの記事に関しては、更新するのが相当遅れたために、読まれていない可能性が高い。なので、以下にそれぞれのタイトルとリンクを掲載しておく。

2017年2月22日: アナログとデジタルの狭間で

2017年2月23日: AIの作品制作、キャラ化、メンバー化の重要性について

2017年2月24日: 智・感・情の歴史

2017年2月25日: 速読/速聴/遺伝子について

2017年2月26日: 『天才を考察する』: 二項対立を超えた遺伝子と環境の相互作用

2017年2月27日: 『アートのための数学』: 誤解と説明と誤配

記事の中で関連する場合は過去記事のリンクなども積極的に紹介しているつもりなのだけれど、記事数が多くなってくるとどうしても埋もれてしまう記事も出てくる。その中には自分の中で特に力を入れて書いた記事も含まれていると思われるので、こういう風に再度紹介する機会を適宜作っていくのも良いかもしれない。

過去記事のピックアップ: 連載記事リンク

過去記事のピックアップ 1

過去記事のピックアップ 2

過去記事のピックアップ 3

規格外続編 1: 規格外野菜の標本

今日は主に、以前BankART Studio NYKで展示した「規格外」という規格外野菜を使用した展示の続編の展示の企画書を書いていた。提出期限は明日の消印有効なので、明日中には提出することになる。今回の企画が通るかどうかは分からないけど、この展示はどこかで必ずやろうと思っている。今回の展示では衛生面に配慮して樹脂を使用し、規格外野菜を標本化した作品を展示する予定だ。

前回は保存液としてエタノールを使用していて、それは未だに機能しているのだけれど、今回はそれとは違った方法を試してみたい気持ちがある。以前はホルマリンの使用、冷凍、乾燥系の技術の使用も検討したのだけれど、ホルマリンは劇物に指定されていて、実質一般人の購入は難しいのと、場合によっては「特定化学物質及び四アルキル鉛等作業主任者」の資格を持つ人が必要なので色々大変。冷凍、乾燥系の技術は長期保存に向かなかったり、元の形、色合いを保つのが難しい。それらを克服するために樹脂という選択肢を試してみる予定。

後は前回はアート作品としての展示、イベント、実験映像作品で終わっていたのだけれど、作品の販売や展開を含めてデザイン的な動きも取り入れようと思っている。それは正しくレイヤーということで、自分の中でアートとしての深いレイヤーを埋め込みながら、一般的にも受け入れ易い、デザイン的なレイヤーも埋め込んでいきたいという意図があるからだ。もちろんアートだけを深く掘り下げていく方向もあるのだけれど、それだとやはり海外、パトロンといった一部の人たち向けの作品になり、そこだけに経済圏を依存する関係になってしまうと、現代美術として閉じた世界ができあがってしまう。そういう意味でその深いレイヤーはそのまま深く掘り下げた上で、デザイン的な展開を別レイヤーで展開したいという意識が以前からあったのだけれど、それを今回より洗練された形で取り組んでみたいと思っている。

これは自分のソロ作品全般に関しても同じ考えで、作品のクオリティを上げるという意識はあったし、そういう意味で妥協のない制作をしてきたけれど、他人や社会に開くという意味では全く違う別の軸を導入して展開していく必要性を感じていた。それはアートに限らず音楽活動にしてもそうで、そういう意味ではソロであっても局所的にアウトソーシングをするなどして展開していく方が、全てを自分の手でこなすよりは、時間、労力、宣伝力、専門性という意味でも有利になる気がしている。そういう意味で経済圏、別のレイヤーという方向の意識をよりオープンに展開した上で、何がアートとして核の表現になるのかを「規格外」という作品の続編を通して引き続き探っていきたい。

追記: 樹脂の他にハーバリウムも使えるかもという情報を教えてもらったので、それも含めて検討中。

規格外続編: 連載記事リンク

「規格外続編 1: 規格外野菜の標本」

「規格外続編 2: エポキシ樹脂とUVレジン」

「規格外続編 3: 規格外野菜とシリコーンとその他の道具類」

「規格外続編 4: 制作環境構築と型枠と原型作りとシリコーンの型取り」

「規格外続編 5: 型枠外しとエポキシ樹脂とUVレジンによる規格外野菜の硬化と成形品の研磨」

スケジュールに対するアルゴリズム: 融解する時間感覚

スケジュールに対するアルゴリズムは人それぞれであり、地域や文化圏によっても差異が大きい。日本人は時間に対して厳しいという声は良く聞かれるが、それは遅刻に対して厳しいだけで、残業に対しては全く時間を守らないという批判は良く聞かれる。システムが日常にとって当たり前になり、常識化、常態化した時に良くあるのが、最初は効率化を図るために人がシステムを作るが、後に人よりシステムをより効率的に運用することが優先されるようになり、最終的には人を置き去りにしたまま半永久的に自己目的化されたシステムが運用され続けることだ。これはマルティン・ハイデッガーの言う「Standing-reserve (在庫)」の問題であり、科学とテクノロジーは最終的には人間性すらも道具、在庫として扱い始めるということだ。日本人によく見られるこの遅刻に厳しく、残業に甘い時間感覚は正しく、人間よりシステムが優先された結果、人が「Standing-reserve (在庫)」として消費されている証拠とも言える。

一方で同じ日本でも時間感覚の差異はあり、その差異が最も大きい地域が沖縄だろう。沖縄に滞在していた時に最も驚いたことの一つは、集合時間に対する圧倒的な時間感覚の緩さだった。集合時間が決まると、大体それぞれがその集合時間に家を出るのが沖縄での普通の時間感覚だ。当然到着にかかる時間はそれぞれ違うので、遅れるという感覚が最初からほとんど存在しない。これをウチナータイムと呼び、「なんくるないさー」で乗り切っていくのが沖縄流だった。個人的にはその方が肌に合っているとも感じたが、日本の他の地域でこれをやると人間関係に深刻な影響を及ぼすだろう。根拠はないけれど、暑い地域の人の方が時間感覚が緩い気はしていて、それは細かいことに拘らないラテン系の人々を見ていれば理由が分かる気がする。これを先程の話と結びつけるならシステムより自分の気分を重視するということで、どちらにも良い部分と悪い部分があるけれど、色々なタイプの人間がいて地球は回っているんだろう。

自分の本来の気質としては時間は全く気にしないタイプだ。しかし、自分が時間を守らないことによって相手にコストを支払わせてしまう場合というものがあり、そういうことになりそうな場合、もしくは相手が時間厳守のタイプである場合はできるだけ時間は守るようにしている。学生時代は遅刻したことがなかった記憶があるが、そのほとんどは常に通学路をマラソン状態で走り、階段を駆け上がってチャイムが鳴る数秒前に辿り着くような毎日だった。

時間を守らない人間の特徴としてはまず時間を守ることを重視していないということがあるが、他にも幾つか要素がある。まず全ての物事を最短時間で行えた状態で時間を逆算して計算している場合。その最短時間の計算は例えば信号待ちや、トイレの時間などの細切れの時間が含まれていない場合が多く、道路の混み具合なども考えると全ての物事を自分でコントロールできるわけでもない。そういった計算外の時間の累積は積み重なると意外に長い時間になり、結局間に合わないということになる。もう一つは待ち合わせ時間から逆算していない場合。待ち合わせ時間に間に合うには待ち合わせ時間より前に家を出る必要があり、家を出る前にも色々準備が必要だ。それらを全く計算せずに漠然と待ち合わせ時間だけを意識しているので、結局待ち合わせ時間に時間に家を出ることになり、間に合わない。

これらの対処法としてはまず自分の中の待ち合わせ時間を実際の時間より30分〜1時間程度早めに設定することで、そこから逆算して行動するという方法がある。これを行うことでその待ち合わせ時間に家を出たとしても間に合うくらい余裕ができるし、予想外の出来事が起きた場合にもバッファが設定されていることで、最短時間で計算した場合でもまず遅れることがない。実際の待ち合わせ時間よりどの程度早めに設定にするかは人によるだろうが、余り早めに設定するとそれはそれでどうせまだ時間があるだろうと思ってしまい、リラックスしすぎて逆に遅れることにもなりかねない。なので設定する時間は自分にとって最適な範囲にとどめておくのが良いだろう。

Anrealmsのメンバーのスケジュールに対するアルゴリズムは個人差が大きすぎるので、同時に何かをやることが難しく、特に話し合いには苦労する。その場合はメンバーごとのスケジュールに対するアルゴリズム、時間感覚とそれに伴う行動原理を把握していれば、対処法は分かる。例えばスケジュール駆動ではなく、ゴール駆動であり、優先順位が高いかつ、終了時間が決められていれば動く、もしくは時間には遅れるが必ずやってくるし、その事前連絡はした上で、アフターケアは行うというような。一緒に仕事をする時や何かを習慣化して継続する時はその人がどんなアルゴリズムで動いているのかを把握することは重要で、そのアルゴリズムに合わない方法を押しつけても絶対に上手くいかない。もちろん相手に合わせるだけでなく、自分はこういうアルゴリズムで動くという宣言をすることも大事だし、時にはぶつかり合うことも必要だろう。しかし、それぞれの背景にある行動原理を知るとそれはそれで筋が通っていると感じられることもあり、それによってストレスは軽減するし、対処法も分かる。

今日はJと共にDeep Learningを使用したAIを本格的に作り始めた日でもある。以前Deep Learning FrameworksでPython系のライブラリをインストールしてみたけど、やはりPython系でやってみるのが良さそうだ。今後は勉強会なども開きつつ、初歩的なことからやり始めたいので、以下の本を参照しつつ、まずはDeep Learningを使用して手書き文字を認識するAIを作ってみたいと思っている。

Make Your Own Neural Network

※AmazonやAppleなどのサービスが国ごとに完全に分かれているのは面倒くさいが、国ごとに法律が違うことなどもあり、必要悪なのだろう。Amazonアソシエイト・プログラムは.comとco.jpで別だし、Kindleの日米アカウントの統合などはメリットとデメリットを比較した上で結局していないし、App StoreのUpdatesの国の切り替えは毎回面倒くさい。これらはインターネットが自由だという間違った思い込みがあるから違和感が出てくるのであって、システムがあるところには役所と事務処理が発生すると考えれば当たり前のことなのかもしれない。

過ログの盲点と「こうもり問題」について

ブログの更新日時が空いた時、空いた日付より後の日付が先にアップされ、後から空いた日付が埋められると非常に読みづらいという指摘をいただいた。ごもっともである。また、パソコンの場合は2カラムレイアウトになっていて、Widgetが横に表示されるけど、スマホでNILOGを読んでいる人にとっては、一番下の方までスクロールしないとWidgetが表示されない。Widgetの中にはカレンダーやRECENT POSTSなどもあるのだけれど、それらがあっても日時が空いた後での更新は気付かないことが多いのに、スマホの場合はさらに気付かれにくいので記事が読まれない可能性が高い。何故かというと最新記事を読むためにブログを読み進める場合は、読んだことのある記事、見覚えのある記事まで読み進めてそこで読み進めるのをストップする場合が多く、その場合は後から日付が埋まるとその記事までスクロールしない可能性が高いからだ。

初期の頃は先にブログ記事を書いて未来に自動投稿するように設定しておくことを未ログ、逆に過ぎた日付に未来の日付から遡って投稿することを過ログという言葉を使用して表現していた。未ログは余裕のある時にやることが多いけれど、過ログは忙しかったり、外出中でどうしても投稿できない時に使用することが多い。本来毎日ブログを更新する必要も日付を埋める必要もないのだけれど、既に何となくそれが空いているのが気持ち悪い状態になってしまっているので、日付は埋めたい。その意味で本来の投稿日時という意味の日付ではなくなっているのだけれど、できるだけ話題はその日に起きたことや考えたことを優先してその日付に投稿するようにはしている。それらが余りない場合は日付がほぼ関係ない話題になることが多い。

先程の過ログで空いている日付を埋めた場合、読みづらいし、アップされたことに気付かないという盲点に対処するために、過ログの場合は今後基本的に古い日付順に更新するというアルゴリズムを採用することにした。基本的に自分が読んだことがある記事までくればその先は読まないという場合、このアルゴリズムを採用することで問題は解決するはず。あとはできるだけリアルタイムで毎日更新する、もしくは未ログは使用しても過ログは使用しないということなのだろうけれど、先程も言ったように物理的に更新できない状況というのはあり得るし、ブログは基本的に空き時間に書いているものなので、リアルタイムの更新が難しい状況はある。なので、基本的にはこの対処法でしばらく対処して様子を見ることにする。

今は難しいけれど今後取り組みたいことは、TwitterやMastodonなどを使用してブログの更新情報を流したり、ブログ記事のカテゴリ分けをすることで、過去の興味のある記事にアクセスし易くすること。前者はSNSを利用したブログの更新情報に関しては過ログがあるために、更新情報を流す時間とアップされた日付が違うということもあり、後から日付を埋めた場合は混乱を招きそうという問題があったのだけれど、その問題だけであるならばそこまで問題にならないかなと思い始めた。

後者のカテゴリ分けについてはジャンル分けと同じく自分の中で人生で最も悩まされてきた問題の一つだ。これは俗に言う「こうもり問題」と呼ばれる問題で、複数の属性に属するものをたった一つのラベルで分類しないといけない場合、どこに入れれば良いのか分からなくなるという問題だ。たとえば寿司の写真をフォルダに入れて分類する時に、魚料理のフォルダに入れるのか、日本料理のフォルダに入れるのか、もしくは他のフォルダに入れるのかには正解はない。

この「こうもり問題」に対しては個人的に3つの対処法がある。一つ目は抽象度をあげてしまい、どちらの概念も包摂するような概念を作ること。先程の例で言えば、魚料理と日本料理の両方の概念を包摂する料理というフォルダを作ってそこに入れてしまえば良い。この対処法の問題点は全てがこのようにうまく包摂できる概念とは限らず、またそれを思いつくとも限らないことと、抽象化することで具体的には分かりにくくなる可能性が高いことだ。二つ目はタグで分類すること。これはフォルダとも併用可能だが、先程の例で言えば、寿司に魚料理、日本料理というタグを付けてしまえばそれで解決する。三つ目は分類自体をせずに検索を使用すること。検索という選択肢がある以上、分類する必要性は減っている、もしくは消失しているとも言える。この方法はフォルダ、タグとも併用可能であり、いかに分類するかより、いかに検索し易くしておくかが重要になる。

以前からソロ活動にしてもチーム活動にしても活動内容が抽象的かつ多岐にわたりすぎていて、他者から見ると分かりにくいという問題があると感じているし、実際にそう言われることもある。これは「こうもり問題」に対する対処として一つ目の対処法を選ぶことが多く、その概念自体を自分で何でも入るような抽象的なフォルダとして創り出してしまうという性質にもよるのだろう。この問題に対しては自分に対してもチームに対してもよりタグ的な性質であったり、よりポートフォリオ的に実際の活動内容や実績、具体的な作品を見せていくことで宣伝していくしかない。

今回の件に限らず他人からは見えやすくても、自分では盲点となる部分は沢山ある。例えばこのブログの文字数をスマホで打つのは効率的ではないので、基本的にパソコンを使用しているが、大抵の人はスマホで読んでいるという盲点がまずある。そういった時にどうしてもスマホでの表示が自分にとっての盲点になりやすい。これは音楽でミキシング、マスタリングをする際のモニタリングの問題と同じだと思っていて、それらを行う際は良い悪いを含めた様々な環境下でヘッドフォン、スピーカーなどを使用してモニタリングする必要がある。何故かというと、それをしないと実際にその音楽を聴く人の環境でどんな音が鳴るのかが分からず、最適な調整ができないからだ。もし何かNILOGに対する意見/改善案などがある場合は、Contactから連絡してもらえれば、できる限り対処する。

去る者は追わず来る者は拒まず

今日は祖父の三回忌だった。釈迦の言う初期仏教の教え、特に空と縁起については素晴らしいと思うが、日本の仏教、特に墓守ビジネスと化した仏教には基本的に全く興味がない。ただ日本では宗教と呼ばれない宗教が色濃く残っているので、それを主張しても面倒なことになる場合が多い。しかし、今回寺の住職から聞いた話で興味深かったことは、現在は檀家制度も形骸化しつつあり、墓じまいをする檀家も増えてきているということだ。

そもそも檀家制度の始まりは家制度と深い結びつきがあり、江戸時代の寺請制度がその起源と言える。これは江戸幕府がキリシタンの迫害、踏み絵として寺請制度を使用し、檀家にしてしまうことでキリスト教を信仰していないことを証明させたものだ。しかし、今日ではその起源も忘れ去られ、仏教としては完全に形骸化した上で檀家制度だけがゾンビのように残されている。墓じまいをするにしても様々な局面で莫大な料金がかかる場合もあるらしいが、その金額に関してはかなり恣意的に運用されており、ほとんど実態のない言い値状態になっている。「千の風になって」の「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」という歌詞に対するリアリティが大きくなっている現代社会において、檀家制度の崩壊とその変容は時代を反映していると言えるだろう。

それと同時に本日をもってAnrealmsのメンバーであったAuremelが脱退し、チームがNIL、Konosuke、Jの3人になった。詳細は入り組んでいるのでここで書くことはしないが、彼は今後ソロの音楽活動に専念したいということで、基本的には自己都合での脱退ということになる。2度の話し合いの結果様々な可能性が検討されたが、現段階で脱退することが双方の将来にとって良いと判断した。

自分としては直近の2ヶ月ほどこの脱退問題で色々揺れていた面があり、個人的にもAnrealmsとしてもプロジェクトを一時休止しているような状態が続いていた。今回このメンバーの脱退という決定があったことで、それらについては再稼働していくことが可能になり、個人的な肩の荷も下りた。チームを優先して海外の活動やソロ活動を後回しにしていた面もあるので、その配分は今後変えてみようかと思う。また、LLP設立に関しては一旦延期して保留するなど幾つかのプロジェクトに関しての変更事項はあるが、基本的にはやることは変わらず、チームとしてはそのまま存続していくことになる。以前書いた「「対等」、「平等」という名のTaker」「オープンとクローズドのレイヤー」など今後特に改善していきたい面もあり、Anrealmsの実験はこれからも続いていくことになるが、「去る者は追わず来る者は拒まず」という基本的な精神は今後も大切にしていきたい。

Mastodon Embedを試してみた


Warning: DOMDocument::loadHTML(): Empty string supplied as input in /home/orderofchaos/nilorderofchaos.com/public_html/wp-content/plugins/embed-mastodon/mastodon-embed.php on line 35

MastodonのトゥートをWordPressの記事に埋め込むためのプラグイン、「Mastodon Embed」を導入してみた。プラグインの詳細は下のリンクを読めば分かる。

Mastodon Embed

簡単に使い方を説明すると、まずこのプラグインをWordPressの方でインストールし、有効化する。次に実際の記事を書く画面に移行し、埋め込みたいトゥートのURLを調べる。そして以下の形で記述するだけ。


実際にはa Mastodon status URLの箇所を、埋め込みたいトゥートのURLに入れ替えれば良い。そのURLはMastodonでトゥートされた時間の部分をクリックすると個別ページに飛ぶので、そこのURLをチェックすれば分かるはず。これで晴れてTwitter、Instagram、Mastodonをそれぞれブログに埋め込むことができるようになった。

SNSに関して言えば、Facebookは権力そのものになってしまったし、Twitterは経営がどん詰まり、Instagramはおしゃれ空間ということを考えると、Mastodonが今は一番楽しいと思っている。ただMastodonは可能性に満ちているとは思うけれど、SNSの世界は乗り換えが激しい世界であり、今後も少人数のグループ制がますます盛んになっていく中、いつまで人気を保てるかは分からない。イノベーターが革新的なサービスを提供し、アーリーアダプターが発展、宣伝し、一般に普及する中で芸能人や利権が跋扈し始め、一気にレベルが落ちてつまらなくなる、そして廃れるというサイクルはこれからも変わらないだろう。それはMastodonも例外とは言えないのだけれど、斜に構えた態度を保って何もしないよりは、やってみた方が色々分かるし面白いとは思う。その流行のサイクルを追い続けた上で、一体どこに辿り着くのかは個人的にも興味深い。SNSだけではなくブログも含めて少しずつ連携を始めていて、それらの連携はさらに強化できれば良いと思っている。実際に何が育つか分からない種をまき続け、収穫を待つのはとても楽しい。夏に向けてフレンチカットグランされ、新しい仕事に結びつきそうな案件も発見したので、これからも爽やかに日常生活と仕事を乗り切っていきたい。

追記: 現在はプラグインを使用しなくても埋め込みができるようになっているので、特にプラグインを使用する必要はないです。

文書の番号について

以前「一対一対応でない翻訳」という記事で文書を作るために使用した「MFクラウド請求書」を使って、領収書を発行した。これで見積書、納品書、請求書、領収書という個人事業主にとって基本的な4つの文書についての流れと書き方が分かったことになる。

これらの文書には、通常番号を付けるのだけれど、正式にはその付け方は決まっていないらしい。というか、意外にもそれらの書き方は自由であったり、必ずしも発行する必要がなかったり、慣例として印鑑が押されている現状があったりといい加減なものだ。個人的にはこれらの文書の番号は以下のようにしている。

xxxxyyzz-aaaa-bbbb

これを解説すると、xxxxは年、yyは月、zzは日、aaaaとbbbbは4桁の数字になっている。aaaaは取引先番号で、特定の取引先を0001から順番に付けている。bbbbは文書を発行した順番で、これも0001から順番に付けている。例えば今日の日付で、最初の取引先で、初めての請求書を出す場合の番号は以下のようになる。

20170525-0001-0001

上記のように番号を管理すれば混乱することもないし、後に検索する場合も楽になる。このような文書の番号は基本的にその文書を発行する側の利便性を考えたものなので、番号を付けなければいけないという義務はない。ただ自分なりに何かしらのルールを持って管理すれば、後の負担が減るということだ。最近では個人事業主として依頼を受けて仕事をすることにも慣れてきたので、近日中には放置していた青色申告のための帳簿を付けてみようかなと思っている。

「対等」、「平等」という名のTaker

「オープンとクローズドのレイヤー」という記事で一つ書き忘れたことがあるとしたら、「対等」、「平等」という概念について具体的にどう扱うべきかということだ。一見素晴らしい言葉に見えるこの「対等」、「平等」という概念だが、そこにはTakerによる搾取の構造を生み出す構造が隠されている。その構造とは何かというと、公平であることは基本的には良いことかもしれないが、「結果としての平等」、「何があっても対等」を強調する場合には、社会主義による貢献するもの、しないものの不平等性が結果として生じるということだ。

これはコラボやチームによる作業をした場合に顕著に表れることで、実際の作業量、貢献度の割合が9:1程度であっても、金銭的な利益分配の割合は5:5などにした場合、ここに圧倒的な不平等性が生じる。最初にこの金銭的な利益分配の割合を「結果としての平等」、「何があっても対等」として5:5に決めた場合、こういった問題が起こり易い。この場合は最初には必ずしも金銭的な利益分配の割合は決めずに役割、クレジット、作業量、貢献度に応じて可変的に変えるという方法が考えられる。その場合の問題点としては、その役割、クレジット、作業量、貢献度の重み付けをどうやって定量化して金銭的な利益分配の割合を割り振るかということで、それで最終的に揉めるという可能性はある。もう一つは、それらについて事前にある程度決めておき、金銭的な利益分配も決めた上で、やり始めるという手もある。この場合はスムーズかもしれないけれど、実際に作業していく中で柔軟な動きや最終的な貢献度などが変わった場合に対応しづらいという問題がある。また、利益分配の方法は必ずしも金銭だけではないので、それに対しても柔軟に対応していく必要がある。

自分の中での結論は未だに出ていないけれど、「5月8日: 誕生日とは何か」という記事の中でも言及したように、Takerは排除する必要があり、それはそういう人がいるというだけではなく、構造が生み出す場合もある。自分の理想の世界の状態としてはGiverしか存在しない世界を目指していて、そこには様々な価値あるものが溢れ出し続けているから取り合う必要もない。全員が自分も含めた全員のことを考えていて、Give and Takeではなく、Giveの連鎖しか存在しないような世界を作りたい。ただ、その世界を実現するためにはその構造自体を考え抜かなければならず、ただ単に自分がGiverでいるだけでは圧倒的に搾取されまくるのが資本主義社会だ。成功者にサイコパスが多いとされるのも、その成功の定義と社会構造自体がサイコパスに有利な世界になっていることが考えられ、それはGiverが溢れている社会とはほど遠い世界だ。その世界におけるGiverはただ搾取され続ける存在ではなく、筋肉ムキムキになった状態で圧倒的にTakerを寄せ付けず、彼らさえGiverに変えていく必要がある。そのための構造と対応を考える日々はこれからも続くが、少しずつその世界に近づいていることは間違いない。

滅茶苦茶江ノ島に行った

記事タイトルの通り、滅茶苦茶江ノ島に行った。

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物理的に移動することはリラックスするためにとても大事で、精神状態にも良い影響を及ぼす。今回の散策コースとしては定番の江の島サムエル・コッキング苑、江の島灯台、岩屋に行きつつ、良く分からない細い道などにも入ってみた。エスカーには乗っていかないスタイル。途中で江の島大師も訪れ、中村屋羊羹店では海苔羊羹と湘南サイダーを堪能した。

江ノ島散策は何度も繰り返してきたけど、江の島大師は今回初めて行った場所だ。真言宗といえば密教ということで、建物の外には護摩焚きの写真が飾ってあった。初見では護摩木が一瞬札束に見え、現世利益の象徴である札束を燃やすことで煩悩を滅却していくとは、なかなかエクストリームな儀式だなと思ったけど、普通に護摩木の束だった。

さらに本日はKonosukeの誕生日ということもあり、それを祝いながらの江ノ島散策だったのだけれど、振り返ってみると江ノ島に行く前に寅そばを奢った以外に特に祝いという祝いはしていない気がする。これに関しては自然の麗しさが祝っていたということにしておく。江ノ島は元々外国人も来る場所だけれど、以前にも増して様々な国から人が来ていた印象があった。中国、韓国などの定番の国から、インドや中東と思われる国までバラエティに富んだ人々で賑わっていた。

江ノ島といえば、個人的には思い出深い場所で、昔は「とびっちょ」というしらす問屋でバイトをしていたこともあった。ここは生しらすが有名な飲食店で、海鮮を中心とした丼物を食べることができる。正直生しらすより釜揚げしらすの方が美味しいと思うが、目新しさという意味ではありなんだろう。江の島ヨットハーバーは2020年東京オリンピックのセーリング会場に選ばれていて、その時期に来た外国人が生しらすを見て何とコメントするのかは気になる。踊り食い、残酷焼などと同様のフォルダに入れられて炎上しそうな気もする。食文化の違いは未だに国によって最も差異の大きい、センシティブな問題の一つだ。

「とびっちょ」は藤沢市で一番混む飲食店としても知られていて、メディアや芸能人の取材も良くある。家に引きこもった挙げ句に発狂事件を起こした後、全てを失った後に外に出る第一歩としてバイトを初めて経験したのだけれど、その初めてのバイトがここだった。何をどうやっても追いつかない洗い場は今思い出してもトラウマだけど、一緒に働いていた人たちは良い人たちで学ぶことが多かった。そこで出会った人が俳優をやっていて、一緒に自主制作映画を撮影したりもした。当時は小説を書き始めたり、ギターを弾き始めたりと何かしらの創作活動も始めていた頃だったと思う。自己啓発とかにもはまっていた気もするけど、引きこもっていた当時の自分にとっては、朝に海に行くことや働くことのハードルですら果てしなく高かった。でもそれらを乗りこえつつ、充実した日々を過ごしていたように思う。

話が思い出話に飛んだけど、今回の江ノ島は圧倒的に風が強い中、Instagramにアップした写真以外でも綺麗な写真、面白い写真が幾つか撮影できたので最後にまとめて掲載しておく。

謎の白い縦線が入ってしまった写真

仲間想いの欠片byみゆき

餌をくれると思って群がる健気な金魚たち

超芸術トマソン1 どこにも辿り着かない階段

超芸術トマソン2 選択の扉

かつて人が住んでいたかもしれない洞穴

オープンとクローズドのレイヤー

オープンソースはソースコードを公開することが核となる概念だが、元々これはフリーソフトウェアから発展してきた概念だ。フリーソフトウェアはフリーウェアとは違い、必ずしも無償であることが定義に入っているわけではなく、自由という概念に最も重きを置いた概念である。オープンソースにも幾つかの定義があり、通常はそれらを満たすものをオープンソースと呼んでいるわけだが、フリーソフトウェアとの違いはそのブランディング戦略にある。

過去にはビジネスにおいて無償という意味のフリーは邪魔になるなるものと考えられていて、その自由さのメリットを強調したとしてもフリーソフトウェアは敬遠される傾向にあった。少し前にはフリーミアムという言葉が流行り、無償を基盤としたビジネスモデルが構築された。それは「フリー」 + 「プレミアム」ということで、負担の分配比率をサービス内容に合わせて完全に変えることで、無償という概念をビジネスに持ち込んだものだ。これは誰かが誰かの負担を余分に背負うモデルという意味では、負担の総量としては変わらないのだけれど、マネタイズする上でビジネスの定番モデルになったことで、今ではフリーに対するビジネス利用の抵抗感は減っている。しかし、フリーソフトウェアやオープンソースはそれ以前の話なので、そういった意味ではブランディング戦略の一環としてオープンソースが必要とされたと考えられる。

オープンであることとクローズドであることは、結局はメンバーシップの問題に帰着する。誰が利益を得られ、得られないかの線引き問題こそ、誰がメンバーなのかという問題であるからだ。その線引きは多様なレイヤーを保ったまま、少人数の流動的な共同体へと帰着していく。その流れはSNSの流れとも一致しており、巨大になったSNSがグループ機能などを実装し始めているのもその流れの中にある。ここでは誰がその情報を目にし、誰にその情報を流さないのかという細部のコントロールが重要になってくる。家族や国家という共同体は考えてみれば奇妙なもので、家族は血の繋がりによる線引きであり、国家は場所による線引きという一見全く恣意的に見えるメンバーシップの選別方法を持っているわけだが、これらが未だに強固な力を発揮しているというのは刮目すべき事実だ。

個人的には自分のソロ活動とチーム活動はオープンであり、クローズドであるという一見矛盾する2つのレイヤーが内包されていることが重要だと思っている。それは核となる役割を担う「コアなメンバー」とその周囲を覆う流動的で補助的な役割を担う「ゆるやかなメンバー」の2つのレイヤーということになる。その「コアなメンバー」は絶えず「ゆるやかなメンバー」や社会とのレッドオーシャンの競争にさらされながら、ブルーオーシャンを追求していくようなイメージになる。そういう意味で「コアなメンバー」ですら「ゆるやかなメンバー」と交代するような一定の圧力、新陳代謝は必要になる。自分のソロ活動に関してもこの考え方は適用できて、中心的な仕事をやるのは自分で良いし、中心となる名義も自分のクレジットで出して良いが、全てを自分だけでやる必要はなくて、その外部を「ゆるやかなメンバー」が覆っていることは重要に思う。具体的に言えばコンセプトや核となる部分の制作は自分でやるが、専門性の高い部分や、宣伝、販売などは「ゆるやかなメンバー」に任せるというようなアウトソーシングだ。その「コアなメンバー」の人数と役割が拡張されたものがチームであり、そこにもそのチームを覆う「ゆるやかなメンバー」がいるのが理想的だ。

例えばAppleは元々新製品に関する情報の厳密な箝口令が敷かれる体制があり、販売方法もカスタマイズ性を抑えてAppleの思うベストな選択肢提示するようなクローズドなシステムになっていた。Googleは最初はオープンだったかもしれないが、Xでやっているようなプロジェクトに関しては完全にクローズドなシステムになっている。そういった流れの中で、オープンとクローズドのバランスを取るためにはその異なるレイヤーが同時に存在していることが重要である。ソロ活動とチーム活動に関してはオープンであるということに対してもう少しできることがあると感じ始めているので、そういう意味でこれから自分のソロ活動とチーム活動を変革していきたい。