個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

アッサンブラージュの「可能世界」

アッサンブラージュとは「世界」を「可能世界」と捉えた上で<再構築>するための技法である。

「宇宙」と「世界」

「宇宙」は言葉を語る以前に、既に「無秩序」で「無限」なものとして存在している。その散逸した宇宙をそのままダイレクトに脳にインプットし、生活というアウトプットを行うなんてことは我々の「有限」な脳には不可能な芸当だ。たとえ薬を使用したり瞑想を駆使したりして、処理能力を一時的、もしくは恒常的に拡張できたとしても、我々の脳の処理能力には限度がある。よって我々はそんな<無秩序>で<無限>な「宇宙」に<秩序>と<有限>を導入し、それを「世界」と呼ぶことで何とか生きながらえている。しかしこのままでは話が抽象的過ぎて分かりにくいので、その「世界」の縮小版として例えば「都市」について考えてみよう。「都市」とは人間の脳の認知空間の表象だ。その「構造」、「機能」、「ルール」は建築物、道路、標識といった具体的な物質や情報的なスクリーンを通して具現化している。信号機の点滅、エスカレーターの速度、排水性のアスファルトなどは全て何かしらの「構造」、「機能」、「ルール」に従って構築される。その結果として都市空間のUX/UIが限りなく進化することで、人間は無意識的に知覚されたアフォーダンスの恩恵を受けることになる。つまり「都市」は人間の脳にとって快適であるように、「宇宙」という<無秩序> + <無限>を改変した結果出現した<秩序> + <有限>な「世界」の一部であると言える。

アッサンブラージュ

宇宙 (無秩序、無限) → 世界 (秩序、有限) → アッサンブラージュ (可能世界、秩序、有限)

しかしそんな世界に対する「可能世界」(反実仮想、事実の反対)を考えてみる。<無秩序>と<無限>を<秩序>と<有限>に変換する際に重要なのは、先程も挙げた「構造」、「機能」、「ルール」の三つの要素だ。そして「可能世界」を考える際には一度その世界の「構造」、「機能」、「ルール」を全て解体した後に、<再構築>することが必要になる。つまりアッサンブラージュで使用する素材は一旦その「構造」、「機能」、「ルール」の全てを放棄することになる。そして一度「世界」から切り離されてバラバラになったその素材を、もう一度別の「構造」、「機能」、「ルール」の元に構築し直す。もちろんそれは現実の「世界」に対して有効に機能するか否かは問題ではなく、ありえたかもしれない別の「可能世界」としての可能性を提示すれば良い。そのようにして<再構築>されてできあがった作品が一見<無秩序>に見えることもあるだろうが、それらの素材の選別という過程を経ている以上、そこには何かしらの<秩序>が生じているはずだ。このようにアッサンブラージュとは世界を「可能世界」によって<再構築>するための技法なのである。

「引きこもり」な人々

ところでアッサンブラージュの先駆者かつ代表的な作家としてはジョゼフ・コーネルが挙げられる。彼のアッサンブラージュの箱の作品は素晴らしいものだが、そこにはやはり「世界」を<再構築>して箱の中に閉じ込めておきたいという欲望が感じられる。一方でズジスワフ・ベクシンスキーは個人的なフェティシズムを極限まで探究した画家と言える。彼の作品は日常的な世界を徹底的に遮断した上で閉じている。ここでジョゼフ・コーネルとズジスワフ・ベクシンスキーの共通点を挙げるとするならば、彼らは2人共「引きこもり」な生活を送っていたことだ。開くこと、接続することを過剰に求めてくる「世界」に対して、彼らの在り方と作品はそこから一定の距離感を保ち、閉じること、切断することの意味を問いかけてくる。閉じなければ見えないものがあり、切断することで見えてくるものがある。自分の制作にもこのような「引きこもり」の美学という原点があるが、世界に対して適応できないまま開くことで、もう一度閉じることに対する可能性を探究したいのかもしれない。万能感の病理とその破綻によって<再構築>された「世界」は、もう一度尽きないフェティシズムによって結晶化する。

アッサンブラージュのアップデート

ではここで現代的なアッサンブラージュのアップデートについて少し考えてみたい。最初に断っておくとこれは今回の作品とは無関係であり、断片的なアイディアの羅列になるだろう。まず最初に思い付くのは、アッサンブラージュのボトムアップ的な手法は、情報技術とも相性が良いということだ。インターネットのシステムや一時期流行した創発の概念はボトムアップを主軸として考えている。さらにアナログなものを前提としていたアッサンブラージュに対し、インターネットを通過し、それ以降のXR (VR、AR、MR)、3Dプリンター、仮想通貨、ダークウェブ、バイオ技術などを応用した可能世界の<再構築>には何か可能性がありそうにも感じる。もしくは宗教儀式、ファッション、分子ガストロノミーなどもテーマとしては面白そうだ。この辺りの素材をまず、ボトムアップ的に手探りで光を照射することによって、何かしらの輪郭が見えてくる可能性はある。

《Assemblage in Resin》

今回の作品である《Assemblage in Resin》に関しては、自分の身近な範囲で手に入る素材、もしくは購入できる素材に限って使用した。この作品を作る上で最も難しかったポイントは、枠組みが一番大きいので、今までで一番多くのレジンを一度に使用したこと。これを失敗すると標本箱とレジンの再購入をする金銭的、時間的余裕がなかったので、今回は完全なる一発勝負だった。一番心配だったのが素材として木片を使用したのだが、木片の中には水分もしくは空気が入っている可能性があり、今までの経験上その場合は熱で暴発し全てが気泡に包まれて失敗してしまう可能性があった。なのでそれ以外は使用する素材を無機質なものに限定しており、木片の配置に関しても暴発したとしても大丈夫であろう場所を狙って配置した。また他のスペースや裏側にレジンが漏れ出さないようにテープで固定してからレジンを注ぎ込んだ。結果として暴発は起こったが、その規模と気泡の発生の仕方はある程度自分の望み通りだった。またレジンは最後まで固まり、漏れもほぼ防ぐことに成功した。当初の予定では全面をレジンで覆い隠すようにしようか迷ったが、この作品に至るまでに様々な失敗をして残りレジンが少なかったことと、素材が半分程度露出していた方が見栄えが良い気もしたのでその可能性に賭けた。この《Assemblage in Resin》が完成した時点で、ひとまとまりの作品としてもようやく完成。全体を通して慣れない素材を使用しての制作だったが、何とか完成して良かった。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

CDという名の化石

光学ドライブの不在

CDは化石と化した

2018年である現在、そのことに異論を唱える者はほとんどいないだろう。自分の環境を振り返ってみても、家で使用しているiMacには光学ドライブが存在しない。当然iPhoneなどのスマホやiPadなどのタブレットには光学ドライブに相当するものなど付いていない。つまり円盤を再生するためには、外付けのドライブを購入するか、ノートパソコンを利用するしかない。これが何を意味するかと言えば、基本的にPCを利用することのないスマホ/タブレット世代はCDを含む円盤を再生する手段すらないということだ。使用できないものは存在していないに等しい。つまりCDは誰もが認めるように、既に化石である。

空気化する音楽

音とは波である

その波形をデータとして物理的な媒体に収録したものがCDということになる。つまり重要なものは元々データなのであって、CDはただの入れ物に過ぎない。一度リッピングしてしまえば用済みだ。しかしそのリッピングすら面倒くさいので、ダウンロードが流行する。しかし次第に人々は気付き始める。データはアクセスできれば良いのであって、所有する必要などないということに。かくしてストリーミングが流行し、音楽は空気となった。空気であるということを悲観する必要はない。何故ならそれは必要なものであり、いつでも自分の周辺を漂っているものだからだ。

マニアと物質性

もちろんこの動きに対する反動も登場する。CDは完全なるマニア向けのグッズとして、物質性を再度強調しながら局地的に復活する。アナログレコードブームはこの流行の延長線上に位置付けられるだろう。それと同時にハイレゾ音源というCDのクオリティを超えたとされる音源も一部で流行する。これはCDの規格である44.1 kHz、16bitを超える情報量が入るものを指すが、収録内容によっては必ずしも元のクオリティを超えているとは限らない。このような流れを受けて制作した作品がコンペで賞を受賞した『Unexpected Echoes』であり、ハイレゾ音源としても制作しているし、一方でアート的な文脈におけるインスタレーション作品として物質性を強化した作品にもなっている。

《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》では、『Unexpected Echoes』のCDを破壊した欠片を小瓶に詰めている。破壊の方法は洗面器にお湯を入れ、ハサミで切り刻むという方法を使用した。切り刻まれたCDの欠片は情報の再現性を失った純粋な物質となり、CDという媒体は小瓶の中に埋葬されることになる。またその小瓶の隣に横たわる電球は白熱電球を象徴化したものであり、その中に封入した海草は環境問題を象徴化している。何故なら白熱電球は環境問題から使用を制限されてきており、いずれ失われて化石となるものの象徴だからである。カセットテープの復刻版が流行したように、白熱電球もいずれ復刻版が流行することになるだろう。人は失われて化石化したものにノスタルジーを感じ、富の象徴として収集したがるものだ。そしてこれらの化石化した物質をドライフラワーで包み込むように埋葬した。化石は一度死ぬことによって始めて、タイムカプセルの中に侵入する権利を得るのだ。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

「フェティシズム」について

「アート」と「フェティシズム」

「アート」と「フェティシズム」には切っても切れない関係がある。「フェティシズム」とは個人的な好みの偏り、つまり「倒錯した偏愛」のことだ。この言葉は元々「対象に対する性的倒錯」を指す言葉なのだが、現在では「性的」であるかどうかに関わらず広く使用されている言葉であるように思う。なのでここではその慣習に従って、「フェティシズム」を広義の意味で使用する。ここで「アート」に話を元に戻すと、「アート」は個人的な偏愛を通してしかアウトプットできない。これは一見そのようなものと完全に切り離された作品を作っていると思われがちな、田中功起や落合陽一に関しても当てはまることだ。何故なら田中功起は「コンセプト」に対する「フェティシズム」を持っているし、落合陽一は「メディア」に対する「フェティシズム」を持っているからだ。そもそも「アート」を作ろうというモチベーションに、「フェティシズム」的な欲望がゼロである人間を想定することは難しい。

「フェティシズム」の源泉

そこでここに一つの疑問が誕生する。

「フェティシズム」は何故発生するのだろうか?

完全に個人的な仮説ではあるものの、知性が高い人の「フェティシズム」ほど他人に理解されないものが多くなってくる気がする。それは何故かと言えば、知性が高い人は抽象思考が得意であることに原因がありそうだ。抽象思考とは一見無関係な対象同士を結びつける能力のことを指す。であるならば、一般的には結びつかない物質や記号が頭の中で結びついてしまい、それらが報酬系や性欲の回路とも結び付くことで「フェティシズム」が引き起こされるのではないだろうか。ここで注意したいのは、たとえ知性の高い人の中に変態が多く含まれていたとしても、変態だから知性が高いとはならないということだが。

「ASMR」とドーパミン

個人的には「ASMR」と呼ばれる視覚や聴覚(個人的には聴覚の方が刺激が強い)を利用した刺激に強い「フェチズム」を覚える。これは恐らく瞑想と大周天の修行によって、目を閉じて1秒でドーパミンを出せるようになってしまったこととも関係している。特におでこの部分と、後頭部の斜め上側に対して想像上で刺激を加える(光が通過したり、滝の水が落ちて当たるなどのイメージを使用)と強い快感を覚える。「ASMR」の場合はそれと似たようなことを何もしなくても勝手にやってくれる感覚で、ヘッドスパ(炭酸含む)の体験も似たようなものだ。

最近は特にこの「脳タッピング」がお気に入り。

ただし「氷の咀嚼音」、お前だけは許さないからな。

《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

「箱庭」の入れ子構造

ここからは作品の話に移行する。<血>、<針>、<小瓶>、<捻子>。《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》で使用されているそれらのモチーフは、いずれもV系的な要素を持っており、このジャンルにおいてはクリシェに近い表象である。そもそも「標本箱」というアイディア自体が「箱庭」的な有限で限定された空間を支配したいという欲望に貫かれているが、その「標本箱」に区切りを入れた上で、さらに<小瓶>の中に「箱庭」を作るという入れ子構造がここには構築されている。しかもその「箱庭」は<血>と<針>という痛覚を知覚させる素材で満たされており、それらは<捻子>という固定するための物質によって封印されている。つまりここでは「フェティシズム」とその封印が表現されているとも言える。

V系的なクリシェを集めた標本箱

元々のアイディアとしてはBvlgari Manのミニボトルの中身を<血>を入れ替え、レジンで固めるというものだった。しかし、瓶の密封が上手くいかずに水分と空気に反応して失敗してしまった。これは見た目的には中々面白いものだったので、とても残念。その代わりに瓶の形が気に入ったBvlgari Blackを購入して再度試そうとしたものの、箱のスペースにぎりぎり入らなかったために諦めた。試行錯誤の段階で購入したのに使用しない素材が出ると購入費が痛いが、これに関しては普通に日常生活で使用することにした。結果としては「ブランド的な商業主義は<血>で満たされおり、それは痛みを伴うが美しい」というタイプのコンセプトから、より自分の内面に近いコンセプトに移行したので良かった。それにしても「V系的なクリシェを集めた標本箱」というのは「フェティシズム」と興味をそそられるテーマであり、それを主題にした作品もいつか作ってみたいと思った。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

キメラについて

キメラ(動物と植物)/雑種

キメラは現在では動物のイメージが強いが、元々植物でも使われていた言葉が動物に適用された言葉である(動物の場合は類似概念にモザイクがある)。例えば動物で言えばギリシア神話のキマイラがキメラの由来になっているが、実際には不完全ながらも(免疫系に拒絶反応が起き、最終的には死に至る)ニワトリとウズラのキメラは存在している。一方で植物で言えば「接木キメラ」はキメラの一種であり、異なる遺伝情報が接ぎ木の接触点に混在することになる。またキメラは雑種と混同されやすいが、両者は定義上違う個体を指す。具体的にはキメラはあくまで同一個体の中に遺伝子の異なる細胞が混在しているが、雑種は細胞内の遺伝子が混じり合っているためにどの細胞を取り上げても同一の遺伝子のセットが入っているという違いがある。ちなみに雑種の例としてはライガー(父: ライオン、母: トラ)やラバ(父: ロバ、母: ウマ)などが挙げられる。

幻想標本と透明標本

ここで突然告白しておくと、江本創の幻想標本が好きだ。以下の幻想標本博物館では彼の幻想世界の住人としてのキメラに対する愛情が見て取れる。

幻想標本博物館: 江本創の世界

モモンガガエル、サイガメ、魚人間、四脚鳥、テガニ、ウミウマ

これらの生物はもちろん架空の存在であるが、同時にキメラそのものでもある。個人的には透明標本も好きなので、透明幻想標本があったら素敵だなと思うのだが、中々実現が難しいものなのだろうか。しかしこれらは幻想や透明であることもさることながら、標本という存在自体がフェティシズム的な欲望を刺激してくる。また別の観点から言えば今のメディアアート、バイオアートの発展を見ていると、幻想標本や透明標本に対して別のアプローチも取れそうな気もする。

《Flower on Starfish》

《Flower on Starfish》では、海岸で良く見かけるヒトデと散歩中に拾った花をキメラのように接続してみることにした。この試みは子どもの言葉遊びやままごとの延長線上にあるが、このように大人がその言葉遊びやままごとに真剣に興じてみること、もしくは科学的な想像力を科学とは全く違った場で使用することにアートの最初の萌芽がある。動物と植物のキメラというのはSF的な響きがあるが、この試みでは遺伝子とは無関係に瞬間接着剤を使用して接続しているので厳密に言えばキメラとは無関係である。にもかかわらずそのような接続には何かしらの想像力が刺激されるように思う。現代ではPhotoshopなどのツールを使用することで、2次元的に<視覚的なキメラ>を作り出すことは容易であるが、そもそもコラージュの発想の原点もキメラ的な想像力に支えられていると言える。そして今回のように接着剤を使用するだけで、3次元的に<視覚的なキメラ>を作り出すこともまた容易なことであり、VRや3Dプリンタなどの発展により3次元的に<視覚的なキメラ>の存在も身近になってきている。物理的なキメラと情報的なキメラ、キメラについて知れば知るほどそれは「弱さの象徴」であるように思えるが、異質なものを排除することは生き延びる上での生物的な最適解だったのかもしれない。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

制作と批評

『石版を丸呑みする回転木馬』

サドとマゾのための磁石

この詩は以前発表した『石版を丸呑みする回転木馬』という詩とリトグラフの大喜利アートブックに収録した一編の詩である。これは説明するまでもなく「磁石におけるS極とN極が引かれ合う性質をサド(S)とマゾ(M)の惹かれ合う性質」に重ね合わせて接続したものだ。またこれは今更説明するまでもないことかもしれないが、そのような批評的な説明が先にあってこの詩が生まれたわけではなく、何も考えずに生まれてしまった詩を解説するためにどのように言語化すればスッキリするのかと考えた結果、このような解説が生まれたという順序になる。よって自分としては制作した差異には無意味/無自覚であったものが、事後的に意味/自覚を獲得した順序になっており、そこには自分としても新鮮な驚きと発見がある。

制作と批評

ぐちゃぐちゃドロドロふわふわとしたカオス(混沌)を幾何学的な構造で構築するオーダー(秩序)があったとして、それを見た人が秩序を〈安全地帯〉として求めるのだとしても、最終的には混沌に帰還していくような嘘と真実が重なり合った〈虚実皮膜〉がそこにはある。

これは制作と批評を両方同時に行っている人間にしか分からないことかもしれないが、制作と批評は単純な両輪ではない。批評のロジックを単純に制作に適用した場合に悲惨な結果を招くことはあり、その逆もまた然りなのである。批評の前に制作がなければならないという順序は経験上正しい感覚が強いが、制作に対して言語化を上手く行えたとしても実際の作品が良くならないケースはあるし、作品に凄みがあっても言語化が全く追いつかないというケースはある。もちろん制作に必要な才能と批評に必要な才能は根本的に異なっているという事実もあるが、制作と批評にはそれだけではないもう少し捻った関係性が存在しており、それが一体何なのかは未だに謎に満ちた領域である。

磁石/砂鉄/磁性流体

磁石には惹かれる。

その理由が今まで良く分からなかったが、最近思い当たったのはアートや批評には磁石のような性質があるということだ。現実の世界を一旦切断し、異質なもの同士を再度接続する。アートや批評にはそのような性質があるが、これは磁石における反発と引き合う性質と重なり合っている。さらに磁石は磁場を発生させる物質として極めて科学的な物質でもある。自然界における四つの力は、重力、電磁気力、弱い力、強い力であるが、中でも電磁力は重力と共に日常的な身体感覚として体感しやすい力でもある。超伝導の実験は見ているだけで楽しいし、海で砂鉄を採取するのもハマるし、磁性流体のスパイク現象はとにかく格好良い。そのような思い入れから磁石/砂鉄/磁性流体を使用した作品は今までも作ってきたが、このような科学的な物質を使用しつつ、最終的には科学的な枠組みをアートや批評で乗り越えるような作品に辿り着きたいのかもしれない。たとえそれがオカルトやポエムと呼ばれようとも。

《Magnets and Ironsand in Resin》

《Magnets and Ironsand in Resin》では、第1層に磁石、第2層に砂鉄、第3層に磁石を配置し、レジン + 硬化剤 + 硬化促進剤を混ぜ合わせた液体を計4回流し込んだ。流し込む回数が増えると一度ミスしただけでやり直しになるので難易度が一気に上がるのだが、この場合も何度かやり直して何とか完成させた。この作品のチャームポイントは、一番上の層の硬化具合の妙でぼかし効果が出たことと、レジンを乾燥させる時に底にくっついてしまった広告の断片。単純に磁石にサンドイッチにされた砂鉄がどのような形態を取るのかには興味があったが、それに関しては反応しているかしていないのか微妙な範囲に留まった。というよりレジンで硬化しているので、砂鉄が変形することが難しいということだったのかもしれない。「動きの一瞬を永遠に止めておきたい」という欲望は写真的な美の探求と重なり合うところがあるのかもしれないが、自分としては最終的なアウトプットは2次元よりも多次元に展開していたいというフェティシズムがある。Dustin Yellinは主に健康上の理由でレジンのレイヤーからガラスのレイヤーへと制作の形態を移行したが、個人的にはあくまで絵画的な重層性とは別の重層性を探求したい。換気しつつのマスクとゴーグルと手袋をもってしても防げないレジンの有毒ガスに頭をクラクラさせながら、そんなことを思ったり思わなかったりしていた。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

QRコード

開発/普及/化石

QRコードはいつか化石になるだろうか。

QRコードは元々日本のデンソーが開発したものだが、現在は日本よりも中国で爆発的な普及率を誇っている。理由としては決済手段として日本では現金決済が未だに主流である一方で、中国ではWeChatやアリペイと連携したQRコード決済が主流となっていることが挙げられる。開発と普及は同一のプロセスではないので、このように思わぬ場所で思わぬ普及の仕方をするという例は枚挙に暇がない。そういう意味である場所では化石と化したものが、ある場所では現役で活躍するということはあり得るし、QRコードが情報技術である以上どこかの未来の時点で完全に化石になる日が来る可能性はあるだろう。世界中の化石と化した大量のQRコード群(ゾンビQRコード)の中から、リンク切れではないQRコードを探し出し、スキャンすることで未来人が過去のデータを発掘するみたいな風景が一瞬脳裏をよぎったが、その時代には物質と情報を接続することが当たり前過ぎて、既にスキャンという意識すら消失していそうな気がする。

可変QR

ところでQRコードは自分で作成することが可能だが、その方法はツールを使用すれば至って単純である。最近は作品でQRコードを使用することが度々あったので、その時には以下の可変QRというサービスを使用していた。

可変QR

このサービスを使用するとQRコードを作成した後にリンク先のURLを変更したくなった際に、簡単に対応できる可変的なQRコードを作成することができる。

QRコードを作品に使用する際には、大抵音楽、映像、画像などのリンクに飛ばすようにしているのだが、このサービスを使用すれば後に気分が変わったり、対応させる情報を変えたいという場合に対応可能なので便利だ。ただし将来的にこのサービスが停止する可能性はあるので、その場合は自己責任で使用するか、契約期間の保証がある有料版を使用するべきかもしれない。

《QR Code in Resin》

そんなQRコードを化石のようにレジンの中に閉じ込めてみたいという欲望が芽生えたので、早速実行してみた。QRコードを単純に紙に印刷してしまうとレジンの透明感が薄れてしまうので、QRコードの印刷にはOHPフィルムという透明なフィルムを使用した。これは過去作品でレイヤー構造を表現するために、OHPフィルムを使用してイメージを重ねたことの応用でもある。一度半分程度で硬化させ、QRコードを印刷したOHPフィルムを配置し、もう一度樹脂と硬化剤などを注ぎ込んで硬化させる。ここで分量の微妙な差異により最初の層と2番目の層の色が変わってしまうなどの失敗を重ねつつも、一番透明感のあるものを選んだ。これを大量に制作して部屋にばらまくなどしてみたい気分にもなったが、趣旨とずれるのでその欲望を抑圧しつつひとまず《QR Code in Resin》は完成した。

もしタイムマシーンで過去に行くことができるなら、これをアルタミラ洞窟壁画が描かれた辺りの時代に大量にばらまいて世界線変動率がどの程度ずれるのかを観測してみたいが、残念ながら私たちは未来に進むことしかできない。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる

新芸術校で個展プランをつくるという課題が出た。具体的には以下の三つに取り組んだので、今回の記事からその経緯を連載記事としてまとめてみる。

1. 個展のコンセプト
2. 展示構成のビジュアル
3. メインの作品

1と2については後回しにするとして、今回の記事からは主に3のメインの作品についてできあがった部分から紹介していく。

「鎖」

思えば全ては「鎖」から始まった。

「The Chain Room」

話は2009年に自宅の自室で行われた個展、「The Chain Room」にまで遡る。その個展は当時引きこもっていた部屋を「Danger Keep Out」の黄色いテープで封鎖し、使っていた机と椅子を天井に張り巡らせた「鎖」で雁字搦めにして吊り下げた作品「思考」をメインとしたものだった。当時は「現代美術って何だか美味しそうだな」くらいのノリで、一応作品と呼べるようなものを作るのも、まとめて展示するのも初めてだった。引きこもりなので当然宣伝することも人を自室に招くこともなく、両親がチラ見したという実績が観客としてカウントできるかどうかの瀬戸際みたいな感じだった。それから美大に入ったり、辞めたり、アメリカの大学に編入したり色々あった。そしてアイルランドで展示を行った際も「鎖」を自分のスペースに張り巡らせ、パフォーマンスで髪をハサミで切り刻み、叫びながら作品ごとぶち壊し、ガスマスクを装着してランプを灯して外へ歩き出すみたいなことをして、アートを知らない一般人が感動して泣きながら抱きついてくるみたいなことがあった。

《Chain in Resin》

そして今、こうしてまた「鎖」と向き合っている。

縛られたいのか、解放されたいのか。マゾなのか、サドなのか。

恐らく両方なのだろう。それらの欲望が同時に存在していることは決して矛盾しない。そんな象徴的な「鎖」をレジンで閉じ込めてみる。防塵マスクとゴーグルを装着し、シリコンフレックスにエポキシ樹脂と硬化剤と硬化促進剤を混合した液体を注ぎ込む。閉じられた世界が無機的に硬化していき、それを美しいと思う。それにしてもこのレジンの高価さは何とかならないものか。数メートルや数十メートル単位で硬化できればもっと面白いものが作れそうに思うのだが、今は数センチ単位で限界だ。こうして「雁字搦めさ」が閉じ込められた透明なレジンを眺めながら、原点回帰の輪廻を繰り返していく。それが制作と呼ばれる行為なのだろう。

個展プランをつくる: 連載記事リンク

個展プランをつくる 1: 《Chain in Resin》

個展プランをつくる 2: 《QR Code in Resin》

個展プランをつくる 3: 《Magnets and Ironsand in Resin》

個展プランをつくる 4: 《Flower on Starfish》

個展プランをつくる 5: 《Blood and Needle in a Small Bottle Surrounded by Screws》

個展プランをつくる 6: 《Fragments of a CD in a Small Bottle and Seaweed in a Light Bulb Surrounded by Dry Flowers》

個展プランをつくる 7: 《Assemblage in Resin》

個展プランをつくる 8: 《A Specimen Box as a Self-Portrait》

しりとりの修行を積んでみた

しりとりの修行

しりとりは奥が深い。しりとりが言語に依存することは言うまでもないが、そこには幾つかのルールと戦略のバリエーションが存在している。一番有名なルールは「ん」が付くと負けというものだが、実際には「ん」の付く言葉は皆無ではないので高度なルールでは「ん」の使用が許可されることもある。ここでしりとりのエッセンスを取り出すと、「言語空間と知識の制約を受けながら、言葉を紡ぎ出す連想ゲーム」ということになる。しかししりとりにとって重要なのはあくまで表面上の言葉であって、意味は完全に置き去りにされているということだ。ソシュール言語学で言うならば、シニフィアンが重要なのであってシニフィエは問われない。よってしりとりにおいては、その無意味な文字の連なり、突飛な連想ゲームが最終的に塊として出現することになる。そこでその塊は何かを示すことになるのかもしれず、そのことを検証するために今回はしりとりの修行として一人しりとりを異なる方法でやってみたいと思う。

100回しりとり

実演

しりとり → 陸上競技 → 擬態 → 板 → 体力測定 → インノケンティウス3世 → イタチ → チリ → 林檎 → ゴーストライター → 魂 → 椅子 → 水泳 → イスタンブール → ルミノール → ルール → ルクセンブルク → 鯨 → ライチ☆光クラブ → ブール関数 → 宇宙 → 鰻 → 餃子 → ザクロ → ロックンロール → ルービックキューブ → ブラジル → ルンバ → バミリ → 理化学研究所 → ヨーロッパ → パセリ → リュウグウノツカイ → インポテンツ → ツインビー → ビール → 流刑 → イチジク → 熊手 → 出口 → 地球 → 鬱血 → 津軽海峡 → 烏骨鶏 → イッテルビウム → ムー → 村 → 落雷 → イチョウ → 運動会 → インフルエンザ → 財務省 → 牛久 → 国木田独歩 → ポカホンタス → スマイリーキクチ → チャルメラ → 落花生 → イリジウム → 骸 → ろくろ首 → ビット → とんねるず → ズーラシア大陸 → 工藤新一 → 血 → 秩序 → 洋室 → 積み木 → キュウリ → リーマンショック → 空海 → インド → ドイツ → ツンドラ気候 → 馬 → マイクロメートル → ルイジアナ州 → 雲梯 → 命 → 超能力 → 苦海浄土 → 土木 → 苦行 → ウーマンラッシュアワー → ワニ → 虹 → 地雷 → 伊能忠敬 → 海上保安庁 → 浦島太郎 → うたた寝 → ネバーランド → ドリーム・シアター → 短冊 → クトゥルフ神話 → ワンダと巨像 → うちなーぐち。

分析

まず100回しりとりをやってみた。ルールとしては「ん」を付けることなく、単純に100回しりとりを繰り返すことができれば成功。やはり1人でやっている分、自分の知識や好みの傾向、偏りが出てくる。また「インノケンティウス3世」については、「インノケンティウスループ」というテクニックがある。これは何かと言えば、インノケンティウスは3世が特に有名だが、実際には1世〜13世まで存在しているので、「い」の付く言葉が来た時には13回これらの「インノケンティウスストック」を使用することが可能になる。欠点としてはその戦略がばれた時点で「インノケンティウスループ」が禁止される可能性があることと、「インノケンティウスループ」においては最後が「い」になるので、相手も同様にそのテクニックを使用してくることで、一気に「インノケンティウスストック」が消費されてしまう可能性があることだ。他には元素記号を覚えておくと有利なことと、「る」攻めの中でも特に「る」で開始して「る」で終わる「ルール」、「ルミノール」などは覚えておくと良い。個人的には地球 → 鬱血 → 津軽海峡 → 烏骨鶏 → イッテルビウムの流れが好き。

文字数増加しりとり

実演 (日本語)

絵 → エイ → イチゴ → ゴミ箱 → コカコーラ → ラウドロック → クロネコヤマト → 冬虫夏草 → ウクライナ航空 → ウッチャソナソチャソ → 総合人間学部 → 文豪ストレイドッグス → スマトラオオヒラタクワガタ → 大日本帝国憲法 → 宇宙戦艦ヤマトシリーズ。

実演 (英語)

I → it → toy → yell → light → tripod → darling → Gregoria → Arlington → navigation → nationality → youthfulness → sexualization → neurobiologist → troubleshooting.

分析

次に文字数増加しりとりを日本語と英語でやってみた。日本語に関しては濁点の使用や、〜シリーズの使用など際どいところもあるが、15文字が限界だった。英語に関しては初めての試みなのでやり方に戸惑い、動詞や形容詞を挙げたくなるところを我慢して名詞で頑張ったものの、こちらも15文字が限界だった。ただ単にそれらより長い単語なら思い付かないこともないのだが、しりとりという連なりの制約上難しいものがある。振り返ってみると特に日本語では「う」攻めで自爆し、英語では「n」攻めで自爆するなど勝手にどつぼにはまっていく過程が垣間見える。実演してみた結果、100回しりとりよりも文字数増加しりとりの方がシビアであり、特に最後の文字を何で終わるかが後の命運を分ける可能性がより高くなる印象を受けた

今回の記事のまとめ

今回の記事ではしりとりの修行ということで、100回しりとりと文字数増加しりとりを実演し、後に分析してみた。現代においては言葉や知識の重要性が相対的に低くなってきていることは確かであり、特に内容や意味を伴わない単語の羅列は人間の得意な領域でないことは確かだろう。しかし一方で自分の脳内の内蔵HDDに言葉や知識があることの重要性は変わらず存在している。それはつまり自分が使える画材が手元にあるということであり、また世界の解像度はそれらに依存するということであり、Google検索に入れる単語をそもそも知っていなければならないという問題への対処方法でもある。他にも連想で連なる単語から描ける想像力というものも存在している気がした。Wikipediaが存在している今、百科事典や辞典の意味も失われつつあるわけだが、一方でまとまった読み物として考えるならば、むしろそれらを今読んでみるのも面白いのかもしれない。

すしざんまい 本店に行ってきた

築地の罠

築地といえば海鮮、海鮮といえば築地。豊洲市場の開場日は今年の10月11日に決定したようだが、築地にはどこか江ノ島と似たような雰囲気を感じていて愛着がある。しかし築地には罠がある。そう、時間の罠だ。夕食時に築地を訪れても、ほとんどの店が閉店してしまっており、選択肢が非常に限られてしまう。そして夕食難民として築地周辺を彷徨い歩く中、過去の記憶がフラッシュバックしてくる。以前の時は何とか夜まで営業している店を見付け、夕食を食べたのだが、折角築地に来ているのだから別の店に行きたい。また一旦候補の店を決め、もう一周して他に何もなかったらそこに決めようとしていたのだが、もう一周回ってきたら何とその店が混み合っていた。そこで店の前を通る度にちらついていたすしざんまいのイメージが脳内で浮かび上がってくる。結局Hailey’5 Café渋谷店 → 変なホテル東京 銀座 → すしざんまい 本店という鮮やかな流れに身を任せ、可能世界の世界線を収束することにした。

すしざんまい 本店

早速すしざんまい 本店に入る。余談だが本店という響きには魔力がある。別に本店だから何が優れているという保証もないのだが、何か凄いのではないかと思えるそのハッタリこそが食事にとって重要な要素だ。店内は中々混み合っていたが、特に待つこともなく2階席へ案内された。このタイプの店にしては店員の数が異常に多く、活気がある。客層としては年齢層も人種も様々で、多様性に溢れている。席に着くといかの塩辛と海鮮ちらし丼を注文した。どちらも結構美味く、特に海鮮ちらし丼は量的にも十分。そもそも外食で余り不味いと感じない人間なので非常に満足し、素早く食べ終え、会計を済ませて店内を出る。

変なホテルとすしざんまいのコンボ

はすしざんまい 本店は24時間・年中無休らしいので、築地で夕食難民化してしまった際にはここに行けば良いと思った。それ以外の有名店などに行きたい場合は、事前に調べるなどご利用は計画的に。今回は寿司を食べなかったけれど、見た感じ美味しそうな印象だった。また接客に関しても本店だけあって、レベルが高い。本店繋がりで言えば、来る道の途中に築地銀だこ 築地本店があり、行きの際は帰りにそれを食べようかなどと思っていたのだけれど、お腹いっぱいでそれどころではなかった。というより帰りの時間には既に閉店していた。ちなみに変なホテル東京 銀座からすしざんまい 本店までは歩いて行ける距離なので、この周辺に来る際にはそのコンボを決めてみてはいかがだろうか。

変なホテル東京 銀座に宿泊してみた

変なホテル

変なホテルという名前のホテルがある。自らを変と自己主張するものに限って割と普通という法則は、人生の経験則として普遍的なものだ。しかし、ホテルが変ということはアニミズム的な日本ならではの哀愁を感じなくもなく、そこには一定の愛着が湧いてくる。そのようなことを特に考えることもなく、日程と価格と場所の条件が合ったので変なホテルをポチッと予約した。実は変なホテルについては、数年前に長崎のハウステンボスにできた当初から知っていた。しかし今回予約した変なホテル東京 銀座は今年に入ってからできたかなり新しいものであり、「変なホテル」という名称と「銀座」という名称が組み合わさることで、メロンソーダとエスプレッソを混ぜたようなメロンプレッソ感が出ている。というわけで、今回の記事ではその変なホテル東京 銀座に宿泊した体験について書いてみようと思う。

変なホテル東京 銀座

まず初歩的なミスを犯す。変なホテル東京 銀座というホテル名を見て、銀座駅が最寄り駅と勘違いしていたのだ。実際には新富町駅が最寄り駅で築地に近いのだけれど、予約した際の地図には新豊駅と書いてあり、ますます混乱は深まる。結果到着するのに大分時間がかかった。若干遅れて変なホテルに到着すると、事前情報の通りロボットが接客すると思いきや、普通の人間が出現する。そして普通に予約の確認を済ませる。その間もずっと受付の人間をロボットかアンドロイドかと疑って警戒していたのだが、どこからどう見ても普通の人間だった。結局チェックインに関してロボットが関わったのは一瞬だけで、正直拍子抜けした。チェックインを済ませると、エレベーターを使用して部屋へ移動。良いところ、悪いところを箇条書きにしてみると、以下のようになる。

良いところ

・部屋は十分広い。
・風呂が綺麗。
・テレビが大画面で、スマホのYouTubeの映像を投影して楽しめる。

悪いところ

・変にテクノロジーを駆使しようとして、逆にUX/UIのクオリティが下がってしまっている。
・LG Stylerの音が大きい。
・変ではない。

結論

結論を言うと、変なホテルは変ではなかった。何もかもが凄く普通で、特段に良いところも、特段に悪いところもなく、無難な印象。変なホテルというハードルを掲げてしまっているのでこういう評価になってしまうが、別の名前だったらまた違う評価になったかもしれない。ただロボットを使用した接客にはまだまだ超えなければならないハードルが沢山あるのだろうな、と思わせるには十分な宿泊体験だった。実際不気味の谷も結構発動していたし、むしろ恐竜のロボットを見てみたかった感もある。「変わり続けることを約束するホテル」ということで、数年後に何もかもが変わった変なホテルへと変貌を遂げていることを期待したい。